早稲田塾
GOOD PROFESSOR

埼玉大学
教養学部 教養学科 現代社会専修課程

三浦 敦 教授

みうら・あつし

東京・町田市で生まれ育つ。1986年東京大学教育学部卒。88年東京大学大学院社会学研究科(修士)卒。94年 同大学院総合文化研究科(博士)単位取得満期退学。94年埼玉大学教養学部専任講師。96年同助教授。07年同准教授。09年度から現職。

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三浦研究室の入るさいたまキャンパス教養学部棟
埼玉大正門付近。ノーベル物理学賞を受賞した
梶田隆章東大教授の出身大学でもある

人類学的視点で迫る農村開発と協同組合の可能性

――今週は埼玉大学教養学部において文化人類学を熱く講じる三浦敦教授に登壇ねがうことにした。ヨーロッパ地域での研究をベースに、日本国内やアジア・アフリカ地域をふくめ農村開発問題から都市環境問題まで、幅広く現地調査研究と学生指導などを手掛けてきた。

――三浦先生が所属するのは教養学部教養学科現代社会専修課程ですね。

そのなかでも「フィールド科学専攻」という、文化人類学と地理学を教えるセクションにいます。この専攻の特徴は、学生自らがフィールド調査(聞き取り調査など)することを重視するという点です。そうした調査結果をもとに卒業論文を書く学生もいます。ただし卒論のためには調査を必ずしなければいけないというわけではありません。もちろん教養学部では文化人類学を担当しており、文化人類学のさまざまな分野(経済人類学や宗教人類学・医療人類学・開発人類学)、および東南アジア民族誌と西アフリカ民族誌について教えています。

――三浦先生の専門分野は文化人類学と農村開発研究ということになる。まずは、文化人類学分野に興味をもたれたキッカケについてお聞きすると……

学生時代は社会教育というくくりの中で社会教育学と図書館学の勉強をしていました。学部の卒論のときのテーマは青森県下北地方・脇野沢村(現むつ市)における「講」について調べました。そういう意味では当時から人類学っぽいフィールド調査をやっていたことにはなります。文化人類学そのものは大学院修士課程からです。

高校時代から柳田國男の著作を読んだことで、フィールドワーク系の学問に関心は抱いておりました。大学での専攻分野にかかわりなく、それこそありとあらゆる分野の本を乱読しました。当時はニューアカデミズムとも称された哲学思想ブームの時代。そこで例えば、あらゆる垣根を越えた著作で知られる文化人類学者・山口昌男氏の著作をどんどん読破していくと、その周辺には文学も歴史も広がっていきます。大学の講義を熱心に受けたというよりは、自ら興味をもって読み散らした本にインスパイアされていたとも言えるかもしれません。

――東大教育学部で社会教育学を学びながら人類学などフィールドワークに親しむようになったキッカケについては……

学部時代からカモシカやニホンザルを中心とする野生生物の調査をするグループに所属しておりました。青森・下北の現地で知り会う人は生物学の専門家や地元の住民たちが多く、当時からの文理を問わず首を突っ込んでしまうクセがいまも続いています。下北地方は典型的な過疎地でもあり、農村社会とか農村振興についても問題意識を自然と持つようにもなりました。いまでも講義のなかで畑違いの遺伝子や野生生物のことなども絡めた話をよくします。

学生の憩いの場であるけやきホール
カンボジアでの学生による農村調査風景

市場の暴力から身を守る別の社会的オプション

――そんな三浦先生の中心的な研究テーマは「農村の生計向上の可能性をめぐる諸問題」ということになる。

とくに協同組合や土地所有・生計戦略といったテーマで農村調査を世界各地でしてきました。そして、これと関連して、社会主義思想(フランスで調査した地方が、たまたま社会主義思想が生まれた地方だった)やマイクロファイナンス(フィリピンで調査をした協同組合がマイクロファイナンスをしていた)、さらに市民社会論(協同組合は市民社会論とつながりが深いので)についての研究もしています。学生時代に野生動物調査の関係で環境保護運動にも関わっていたこともあって環境問題にも関心が強く、わたし自身の研究でも環境を重視した農村開発の可能性は何かという問題意識が根底にあります。

――三浦先生は国内外ふくめてフィールド調査を重視し、世界で誰も知らないことを知ろうとする。また、それが出来てしまう強い人でもあり、海外をひとりで調査活動することも多いらしい。

もともとの旅行好きが高じてというところも確かにあるでしょうね。知らない土地に出かけることは好きです。旅行して歩きまわるだけだったら、もっと嬉しいのですがね(笑い)。ただ、どちらかといえば知らない人と話をするのは苦手。しかも調査自体すぐに飽きてしまうという悪いクセも。いまでも網羅的・定量的な農村調査などにおいて途中でパターンがわかってしまうと、それ以上調査するのが正直めんどうくさい気持ちにとらわれてしまいます。

よく人類学者のなかには定量的・統計的調査よりも定性的な調査を重視する方がおりますが、わたしはどちらもきちんと考慮すべきという立場です。ただ、自分自身でやるとなると話はまったく別。定量的な生計戦略研究を実施するには要員アルバイトを多数雇うなどお金と手間がかかることにもなり、わたしにはなかなか難しいです。人類学にかぎらずあらゆる現地に赴いての調査には費用と面倒はつきものなのです。

――その調査フィールドが外国ふくめて広がっていった経緯については……

修士論文段階まで、わたしは日本をフィールドとした研究を続けるつもりでした。ところが当時の指導教員から「外国に行かなければだめ」と言われ、フィリピンやオセアニアを希望したものの拒否され、急きょフランスへ研究留学することになりました。フランスではジュラ県の酪農地域をフィールドとして酪農と農村についての研究を主としました。このジュラ地方はフランス中世時代から協同組合活動が盛んだった地域でもあります。

わたしはバブル絶頂前後の当時から中央政府が進める開発タイプには批判的な視点をもっていました。ただ政策批判をするだけではなく、オルタナティブな別の解決策を示さないといけないという意識も常につきまとっていました。フランスの片田舎で協同組合運動にふれるなか、そうした解決策を探るために協同組合運動に目を向けることも有効なのかなと思い始めるようになっていきます。

またジュラ県のある地方は、フーリエとかプルードンといった「フランス土着型社会主義者」の生まれ故郷でもあります。さらに、いろいろ好奇心が強いほうなので、演劇論や会話分析も含めそれぞれ研究対象として首を突っ込んでもいきました。日本に戻ってきても試行錯誤は続きましたが、最終的な博士論文としてはフランスでの調査を踏まえた農業研究がテーマとなりました。

――その後フランスからフィリピン・ボホール州やセネガル・ティエス州での海外現地研究へとつながる経緯については……

人類学研究者の多くは、大学院時代にフィールドとした地域の研究がライフワークとなっています。ただわたしの場合のフランス研究は、社会学とか政治学とか歴史学とか関連諸学問がうんざりするほど発展しており、新たな文化人類学の視点からの研究には難しい面も予想されました。フランスにおいて人類学分野で今後なにを研究すべきなのか? そんな折ある開発援助についての研究会において現地調査をしようということになり、わたしが腰掛け的にフィリピンに行くという話に。たまたまこの調査に補助がつくことにもなり、いったんフランス研究は店じまいして、フィリピンにおける協同組合活動からみた農村開発の研究に本格的に取り組んだわけです。

そもそも協同組合運動は、日本をふくめ先進国ではある程度うまくいっていますが、アジア・アフリカ諸国では失敗続き。それでも5年ほど前からフィリピンなどは都市部を中心に物価が上昇して、アフリカなどと比べればそこそこ中進国レベルの経済状況に近づいてきた面もあります。そこで、「もっと条件の悪い国々での協同組合はどうなんだろう」という疑問と興味がわいてきました。

アフリカ・セネガルでの調査研究については、ある国際学会がセネガルで国際会議を開催することなり、わたしが学会発表するという名目でセネガルへと旅立つことに。ついでということでフランス語圏でもあるセネガルで調査対象地を探すうちに、ティエス州で現地調査を本格的に始めることになりました。ここでも、協同組合をふくめた農村組織の調査が中心となります。

――これほどまでに協同組合運動に注目する理由については……

開発途上国にみられがちな経済政策的に上から押しつけたところから始まった協同組合というのはなかなか長続きしません。フランス・ジュラ県でみた住民主体の協同組合はそれらとは一線を画すものなのであり、地域の人々が国家に頼ることなく自らの生活をどう維持していくか、そのことに個人的に興味があります。普通はどこの国でもそういう段階を経て経済成長を遂げていくわけなのですが、アジア・アフリカの多くは近代化の過程で無視されたり破壊されたりしてきました。

そのマイナス面を補うのが国家本来の仕事であり、社会主義あるいは福祉国家論の役割でもあったはず。いまや事実上そうした実験的な取り組みの大半が歴史的に崩壊してしまった。ならばアメリカ発の新自由主義がグローバルに進行するなか、市場での敗者を無視していいのか。「市場の暴力」から身を守るために国家を頼らないで生きていく方法はないのか。

こうした問題は、発展途上国など国家への過大な期待ができないときに実際的に取り組むべきですし、先進国レベルでもそういうことを模索すべき課題でもあります。ある意味ふるくて新しい協同組合に注目していくというのは、ひとつの社会的オプションとしてあり得るのではないかと考えてもおります。

――三浦先生自身における個人的研究の今後についての野望などもお聞きしてみると……

いま土地所有論の研究について新しい展開を考えはじめており、そうした成果をこれまで現地調査で蓄積してきた農村経済開発の理論に反映できればなぁと。そこでは経済学など他分野の研究成果を踏まえたものにしたいと考えております。

アンコールワット遺跡前での学生集合写真
晩秋を迎えた埼玉大キャンパス点描

人類学的リテラシーは一生モノの「生きる力」

――ところで三浦先生は「フィールド科学調査法」という教養学部生向け授業および「異なる文化と出会う」という全学部生向けの演習授業も担当している。ここ数年は、カンボジアに学生を連れて行って農村調査を毎年やっているという。

じつはカンボジアでの活動は全く別の経緯となります。本学にはNPOやNGO関係の資料センターが設置されていたことがあり、その関連で6年ほど前から調査実習授業をやることとなり、カンボジアで活動する知り合いのNGOの方と組んで海外に学生を連れていって農村調査をやることになりました。

そもそもNPO・NGOで海外援助をされる方々というのは活動自体に忙しく、そこで現地調査をしてまとめる時間などないことが多いのです。そこで、彼らの活動を補いつつお手伝いする意味合いもありつつ、学生へのフィールド科学調査の実習授業としているわけです。今年も9月初めに行って帰ってきたところです。

――ちなみに埼玉大学教養学部フィールド科学専攻の人類学研究室において、三浦先生は原則としてゼミ演習制度をとっていない。

というのも人類学という学問は、その幅は非常に広く、一人の教員で人類学全般を教えるのは事実上無理だと考えるからです。このへん同じ現代社会専修課程における社会学専攻などではゼミ制を採用していることもあり、混乱しがちなのは事実なのですが。

――学生に対する卒業論文指導をする「総合演習」や大学院生への修士論文指導では……

学生に対する卒業論文指導をする「総合演習」や大学院生への修士論文指導では、本当は外国で現地調査をする学生がもっと増えてほしいと思います。ただ実際には国内調査で済ますことのほうが多いようですね。卒論・修論の研究テーマはじつに様々。わたしの学生時代に野生動物調査の関係で環境保護運動にも関わっていたので、もともと環境問題に関心があり、そのため博士課程では環境人類学(環境社会学も含む)も教えています。

――埼玉大学の文化人類学研究室は優れた人類学者を輩出してきており、卒業後に学会など指導的な立場になった研究者も数多いるという。ところが昨今は、卒業後の進路として研究者になろうという人が年々少なくなっているという状況でもあるらしい。

教養学部に限らず本学の就職状況はおかげさまで好調続きですが、みんな地方公務員を中心に就職してしまいますね。いまや修士・博士になっても職がないような時代を迎えており、わたしとしても大学院進学を積極的にすすめることはしておりません。

こんな学生に来てほしい

目先のことや学校のこと以外にも興味をもてるような人に来てほしいですね。むしろ将来なにをしたいのか決めきれないモラトリアム型の人にこそ来てもらいたい。本学教養学部には哲学から文化人類学や国際関係論まで幅広く学ぶことができます、そこから自分で4年間のうちに判断しても決して遅くはありません。もちろん文化人類学の学問体系を学んでもらうことを否定はしませんが、卒業して3年もたてば忘れてしまうような粗末なことを覚えておけと言うのもナンセンスでしょう。

そんなことよりも、一生モノともいえる文化人類学の基本的な調査手法と枠組みについてさえ身に習得してくれれば、この混沌の時代に生き抜く術は十分だとも個人的には思っております。もはや一流企業に就職したら一生安泰というような時代ではありません。いま卒業してすぐに役に立つとされている学問が10年後30年後も役立つかどうかは誰もわかりません。未曾有の激動時代を生き抜かねばならない世代の皆さんを元気づける力の素となるようなこと、何かヒントとなることをぜひともお教えできればと思っております。


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※掲載されている教授の所属・役職などは取材当時のものであり、現時点の情報とは異なっている場合があります。