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感動体験の第一歩は自分の「好き」を信じること

宮川竜一 Special Interview 16

Profile
早稲田塾第28期生。小学生時代、アメリカ映画「Beancake(おはぎ)」にて、カンヌ映画祭の短編映画部門で最高賞「パルム・ドール」を受賞。2007年桐朋高校、2011年日本大学芸術学部卒業。在学中にネパール徒歩旅行500km/インド自転車旅行1000kmを経験後、〈旅人〉としてカメラを片手にアマゾン川イカダ下り、ホームレス生活体験等を敢行。震災後にはドイツニュース雑誌「シュピーゲル」にて東日本大震災のリポーターを務める。次なるチャレンジでは世界最長のアマゾン川6800kmを下る予定。

全身が成長する早稲田塾が、
1日の楽しみだった

入塾は、高2の夏。たしか「TIME CUP」の1か月前だったかな。これは、早稲田塾がTIME社の協力のもと開催する英語プレゼンテーション大会で、偉人たちのスピーチを暗唱し、大勢の観客の前で発表するもの。僕が選んだ課題文は、〈ダライ・ラマ〉。それまで彼のことをほとんど知りませんでしたが、きちんと理解しようと本を読んで勉強しました。今でも記憶に焼きついているのが、「優勝できるかも!」という自信。スタッフがとにかく、「いいよ!」と肯定して励ましてくれたから、どんどん“その気”になっていった。早稲田塾に通うまではそんなにポジティブに捉えるほうではなかったから、キモチをオープンにしている自分に、ぼく自身がビックリ。あまりに居心地が良かった早稲田塾は、その頃のぼくにとって1日の楽しみでした。応援してくれる人がいると、めちゃめちゃ頑張れるんですね。おかげで、「TIME CUP」では、個人&校舎のダブル優勝! 受験勉強のためだけの脳みそではなく、全身が成長していく。早稲田塾では、そんな体験が次から次へと待ち受けていました。

主演映画がカンヌの最高賞
「パルム・ドール」受賞。
英語がアイデンティティのひとつに

ロスの日本人学校に通っていた小学生時代、たまたまアメリカ映画「Beancake(おはぎ)」のオーディションを受けたところ合格。とんとん拍子で主役となり、松田聖子さんの娘、神田沙也加さんと共演。「Beancake(おはぎ)」は、カンヌ映画祭の短編映画部門で最高賞「パルム・ドール」を受賞しました。この経験は大きな自信となり、英語がぼくのアイデンティティのひとつとなるきっかけに。けれど、年齢を重ねるごとに求められる英語力は高度になっていく……。アメリカに滞在していたとはいえ、大学受験に対応できる英語力は十分とは言えなかった。その不安をカバーしたのが「英単語道場」です。「道場」では、秒単位で区切って記憶していくから、「あと10秒待って」なんて許されない。ここで学んだ英語は、一生モノの財産です。数年経った今でも、すっと口から出てきたり……。ドイツニュース雑誌でリポーターを務めたときも、ビデオカメラに向かって堂々と英語で伝えることができました。
また、早稲田塾で頑張ったことのひとつにあげられるのが小論文。それまでは、書くことに自信がなかったけれど、「論文作法(さっぽう)」では「です」「ます」を統一する超基礎的なところから学び、少しずつ自分の体験や考えを文章化していくことができました。随分書き直したおかげで、すっかり書き慣れた。大学のレポートには、ほとんど困りませんでした。

<自分を表現する>ために日芸へ一直線!

いよいよ進路を決める時期になり、ぼくは、好きなこと3つを思い浮かべました。
高校時代にさらに自信がついた〈英語〉と、映画などで〈自分を表現すること〉、そして〈生き物を飼うこと〉。このなかで一番がんばりたいことを考えたとき、やっぱり〈表現〉だと。そこで芸術系学部志望者が集う早稲田塾の「芸術系フラッグ」に所属しました。日本大学・芸術学部の卒塾生が来てくださった「攻略セミナー」では、大学の授業内容とかマニアックな話を聞き、そのたびにゾクゾクした。「ぼくも日芸に入りたい!」――。絶大なる信頼を寄せていたスタッフからまたもや応援してもらい、ココロは決まった。あとは無我夢中で、勉強に明けくれました。
そうして合格が決まった春休み。いてもたってもいられず、面接で出会った日芸の教授を訪ねた。
「入学までなんの勉強したらよいですか?」
前のめりに質問したぼくの熱意は、教授に通じたみたい。浮き足立つように和服で登校した初日、その教授は真っ先にぼくに声をかけてきてくださいました。見守ってくれる方が近くにいるって、スゴクうれしい。だから大学時代も、心を開放して過ごすことができました。

「世界を知りたい! オンリーワンでいたい」
旅人、ホームレス、
ドイツニュース雑誌のリポーター

「自分の知らない世界を知りたい! オンリーワンでいたい」
そうした衝動が走り、大学入学後すぐの夏休みには、おカネを持たずに仙台まで国道6号線をひたすら歩きつづけた。インドからネパールまでも徒歩で。歩いて国境を超えれば、きっと今までの自分を越えられる、そしてオンリーワンになれる。その気持ちだけがぼくを突き動かし、揺さぶり続けた。そしてインドで目にしたような、すぐに物資や安心を得られない生活にも関心が及び、東京でホームレスとして約1か月、生活をした。傍目からみた「ホームレス」へのイメージは、「汚い」「惨め」「人間のクズ」などというものではないか。しかし、それはある意味偏見なのではないかという仮説を立て、「ホームレスの笑顔」を撮影することで、偏見を取り払い、彼らへの見方を変えてみせたかったんです。
でも結局、ホームレスの方たちが映すことを嫌がることもあり、彼らの笑顔を見ることもあまりありませんでした。現実は思ったよりも厳しいものであり、「ホームレスでいるということは悲しい」という結論で体験を終え、ルポルタージュした映像作品は、体験しながらその感想を述べる自分の姿が一時間弱映っているものに。
また、ホームレスの方達と見た目では同じところに立っていても、自分には帰る家がある。どれだけ外見的に近づこうと、結局彼らの気持ちは理解し得ないことを知りました。
ただ、ぼくは〈宮川竜一〉として何かを表現したい……。
震災は、そんな気持ちを大きくした。気づくとカメラを片手に地元の商店街を歩き、自分が目にしたこと、感じたことを3分間の映像にまとめていた。被害が深刻だった地域から数百キロ離れた東京でも倒壊があり、買いだめも起きている……。生活者の様子を刻々と伝えた翌日、YouTubeには数万件のアクセスが集まり、ドイツニュース雑誌に大々的に取り上げられました。雑誌社からオファーを受け、震災の様子を伝えつづると、ヨーロッパの見も知らぬ人々からメッセージが続々と。英語は、世界に通じる。ぼくの好きな英語がこうして役立ち、生きていることを実感した瞬間でした。

将来の<夢>世界の路上パフォーマーとして
感動を伝えたい

ぼくの軌跡には、感動体験があふれています。けれど現状に満足せず、もっともっといろいろな場所に行って、感動したい。まずは、流域面積世界最大のアマゾン川6500kmを含む、南米大陸人力横断すること。気の遠くなるような時間をたったひとりで過ごすことは、とても孤独だし、涙も出るだろう。そんな喜怒哀楽に富んだ自分、美しい景色を映像として発信していきたい。そして、路上パフォーマーとして世界に羽ばたきたい! こんどはぼくが周りに感動を提供する番です。

――「今でも、当時お世話になったスタッフに時々会いにいくんですよ」と語る宮川先輩。真摯に「自分の好きなこと」に向かいあう姿は、とても清々しいものでした。目を離せないチャレンジの数々、今後も楽しみにしています。きっと、大きな感動体験を発信してくれることでしょう。

宮川竜一
宮川竜一
感動体験の第一歩は自分の「好き」を信じること

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