小沢一郎民主党代表の辞任
09年5月、自身の公設第一秘書が政治資金規正法違反で逮捕されて以来、各種世論調査で民主党代表職続行に対して厳しい批判が出ていた小沢一郎氏が、「辞任」の結論を下した。後任の代表選挙も速やかに行われ、鳩山一郎幹事長が選ばれた。
小沢氏が権力の頂点に限りなく近づいたのは1989年の第1次海部俊樹内閣時で、自民党幹事長に就任した時だ。以来実に約20年。何度となく政党・政派の創設と破壊を繰り返しながら、常に政治の中心にあり続けた「賞味期限」の長い政治家である。
当時の小沢氏は、竹下登氏率いる自民党竹下派の有力幹部、称して「7奉行」の1人でもあった。この7人のうち橋本龍太郎、奥田敬和、梶山静六、小渕恵三の4氏はすでに世を去った。渡部恒三、羽田孜の2氏は現役で民主党に属しているものの、高齢でもあって今後首相候補になる環境にない。
先に「政党・政派の創設と破壊を繰り返しながら」と述べた。よくよく調べても、戦後はおろか戦前の立憲政治史上でさえ、このような繰り返しを行った人物はまずいない。戦前の床次竹二郎のように、遊泳しながら出世をねらうタイプはいた。その結果としての混乱で、政党・政派が破壊されることもあった。しかし自ら築いた集団を破壊する、しかも一度ならずとなると例がない。
彼はまず、権力の絶頂にあった竹下派の有力幹部として、肥大化を進めながら壊した。実質的に自らが率いた新生党も加わった細川護煕非自民連立政権を、1993年に作って、古巣の自民党を野に追った。ところがこの連立政権から日本社会党を追い出すと、同党は旧敵の自民党と組んで、94年に政権は奪い返された(村山富市政権)。
それでも、同年に巨大野党の新進党を結成して党首も務めたものの、最後は旧公明などの党内派閥解消の合い口を突きつけて、97年末に空中分解した。自らは翌98年から自由党を率いて、同年末に今度は自民党と手を組む(自自連立)が、最後には「我々も解散するから自民党も解散して新党を作ろう」などと、誰が考えても飲めない要求を自民に突きつけて案の定のゼロ回答。仕方なく2000年、自由党は政権残留グループ(後の保守党)と袂を分かち、野党に転じた。これも事実上の自由党破壊だ。
この時点でかなりの人が「小沢も終わった」と感じた。だが同年の衆議院議員総選挙で、小沢氏は自らが殴られる役を演じるCMを引き受け、自由党は比例区で658万票も獲得したのだ。大半が、小党となってやがて消えると見ていただけに、公明党と遜色ない数字を個人技で集めた能力に皆が驚いた。次の参議院議員選挙ではロボットに扮した。そこに、自民党幹事長時代「記者会見はサービス」と言い放った姿はどこにもない。
そして03年に民主党と合併(党名は民主党)。同年の総選挙における民主党の飛躍は、多分に「小沢エキス」が大きかった。
そして06年4月、「ニセ送金指示メール」問題で前原誠司民主党代表が責任を負って辞任。それに伴う代表選挙に立候補して、小沢民主党代表が登場する。メール問題で、解党の危機とさえ危ぶまれた民主党を、直後の衆議院千葉7区で勝利して、息を吹き返させた。そして、翌07年の参議院議員通常で大勝利。参院で第一党となると同時に、他の野党と共闘すると、自民・公明連立与党を上回る「衆参ねじれ」を現出させた。安倍晋三首相は大敗の約1ヶ月後に辞任する。
さあ、いよいよ次の総選挙で自公与党を過半数割れに追い込んで、持論の「政権交代」に追い込むかと思いきや、安倍後継の福田康夫首相との党首会談で「自民・民主大連立構想」を試みて世間をあっと言わせた。あっと言ったのは世間だけでなく、民主党議員の大半も、であり、多くが反対して撤回。その過程で小沢代表が辞意を漏らして撤回するという、目まぐるしい展開となった。
以後は福田政権と全面対決路線を取って追いつめる。08年の辞任に際して、福田首相は何度も「局面を打開したい」と繰り返した。この「局面」は、「ねじれ国会」による民主党の徹底抗戦路線を指すとみられる。
続いて誕生した麻生太郎政権は、相次ぐ失言や閣僚の失態などで支持率が低迷し、09年に入ると一部報道機関の世論調査では、ひとけたにまで落ち込んだ。「次の首相は誰がいいか」との質問にも、小沢氏が麻生首相を圧倒する数字を叩き出した。09年は衆議院議員の任期が満了するため、必ず総選挙がある。したがってこの数字は、「小沢政権が発足」を確実視する予測にまで発展し、民主党の高揚感も頂点へ達した。
そのさなかに、冒頭で述べた公設第一秘書逮捕。事態は一挙に暗転した。しかし、本来ならば「終わり」を意味するはずの、代表辞任にともなう後任選びでも、候補者である鳩山氏と岡田克也副代表の選挙戦で、「鳩山さんは……」「岡田さんは……」の主語でなく、「小沢さんの処遇をどうするか」などオザワが問われ、鳩山新代表にも「小沢禅譲」「小沢院政」など、「いつの時代だ! 」といった言葉遣いがニュースで踊る。代表を辞してなお、彼の賞味期限が切れていない証拠といえよう。
このように事実のみを淡々とつづっていくだけで、20年にわたる小沢氏の政治経歴は、ジェットコースターのように目まぐるしく変転しているのがわかる。そしてまだ続きがありそうだ。









