イランのアフマディネジャド大統領が再選
09年6月、イランの大統領選挙があり、現職のアフマディネジャド大統領が大差で再選を果たした。しかし対立候補やその支援者が、当初「選挙に不正があった」などと抗議活動をして、反政府運動にまで拡大する気配をみせた。この抗議活動を鎮圧したイラン政府に、アメリカのオバマ大統領が「怒りを感じる」などと強い口調で非難し、イラン側も言い返すといった「論争」も起きている。
このイラン・イスラム共和国の政治体制は、一風変わっている。現在の体制は、1979年にホメイニ師の指導で成し遂げたイスラム革命を引き継ぐ。ホメイニ師が倒したパフラビー朝は、国王による軍事独裁で、第二次世界大戦中に即位したモハンマド・レザー・パフラビー国王が、隣国で強い影響力を持っていた旧ソ連が国内民主化勢力を支持したため、対抗上米国寄りの立場を通した。したがって、それを打倒してのイスラム革命勢力は、当然反米となり、革命の年の11月に首都テヘランの米国大使館を占拠し、大使館員らを1年以上人質に取った。これが決定的となって米国はイランと断交する。
ホメイニ師はまた、権力掌握直後に在イランのイスラエル大使館員を国外に追放したので、中東・湾岸の民に、イランは反米・反イスラエルのシンボル的存在となった。
1980年から88年まで続いたイラン・イラク戦争は、昔からある国境紛争解決が名目とはいえ、攻め込んできたイラクのサダム・フセイン大統領を当時は米国が支持したとされる。
ところで中東・湾岸諸国にとって、イスラム革命は自らの地位を脅かす脅威に映った。この地域で圧倒的に信じられているのがイスラム教なのに、である。その理由は主に次の通り。
①イランでは多数のシーア派は、イラクを除いた他国ではほぼ少数。スンニ派が多くを占める。そのイラクも、フセイン大統領時代はシーア派が弾圧されていた。イスラム内の違いがある
②中東・湾岸諸国のイスラム国家には強権的な支配者が多い。それに対して革命後のイランは、大統領選に見られるように「民主的」な色彩がある。確かに不正選挙ではないかと非難されているが、とにもかくにも選挙で「大統領」を選んで交替させているのは、当地域では案外と民主的なのだ
③イランの最高指導者は、大統領ではなくホメイニ師だった。死後から現在までその地位はハメネイ師が受け継いでいる。この最高指導者も、間接的ながら国民が選べる仕組みになっている。「師」とはイスラム法学者を指す。「法学者」といっても裁判官や大学法学部教授のようなイメージとは違い(その面もある)、イスラム教という宗教の聖職者(キリスト教でいう神父や牧師)だ。②で述べた他国の強権的な支配者は、王族(サウジアラビアやヨルダンなど)だったり、軍などを味方とした独裁者に近い世俗(聖職者でない)の出身(エジプトやシリアなど)である。とりわけ、親米路線を取るエジプトやサウジアラビアといった国々は、反米イランのありようが二重にうとましく感じられておかしくない
④この地域の多数民族はアラビア人。しかしイラン人(ペルシャ人)はアラビア人ではない。ペルシャ語は7~8世紀のアラビア支配の影響を受けてはいるものの、原則的には違う言語だ。したがってアラブ諸国はイランを抑制する意図がしばしば見られ、諸国が集う湾岸協力会議では、「ペルシャ湾非核化構想」のような、イランの核保有を強く意識した案も浮上している
反米を鮮明にしているイランを米国は信用しない。加えて、05年就任したアフマディネジャド大統領は、テヘラン市長時代から反米的言動を取り続けてきた人物である。オバマ大統領の非難にも似た言葉も、そこに一脈通じよう。
中東情勢も微妙な影響を与えている。前述のように、イランはイスラム教シーア派を国教とする政教一致国家で、そのシーア派組織と敵対しているのが親米のイスラエル。隣国レバノンのシーア派組織ヒズボラとの対決は、06年にも発生した。ヒズボラの陰にイランをみる者は多い。何しろアフマディネジャド大統領は、イスラエルの「生存権」を認めないとも取れる発言をしている強硬派である。
そのイスラエルは事実上、核兵器を保有しているとみなされている。敵対関係といっていいイランは、06年1月3日に国際原子力機関(IAEA)に対し、「核関連研究開発活動を再開する」と通告したから大揺れとなった。アフマディネジャド大統領は開発活動再開を表明したが、「核兵器を必要としない」と、武器の開発ではなく、核兵器拡散防止条約(NPT)加盟国に認められている原子力の平和利用権の行使であると述べている。しかし、前述と構図から、核兵器開発疑惑をずっと抱かれ続けている。









