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坂東太郎のこれだけは知っておきたい高校生のニュース常識 【早稲田塾】

映画「マイケル・ジャクソン This Is It」

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09年6月に死亡した、歌手のマイケル・ジャクソンさんの未公開映像などを収めた映画『This Is It』が大ヒットしている。マイケルは1980年代に大ヒットを連発した後、90年代には『Black or White』(1991年)、『You Are Not Alone』(1995年)を全米1位に送り込んだのを最後にナンバーワンヒットが出ず、かなり過去の人という印象になっていた。にも関わらず、死後これだけの観客を魅了するのは、彼が紛れもなくポップス界の巨人だったからだ。今回は音楽性ではなく足跡を中心に考える。

1)ビートルズとジャクソン5
洋楽の世界は、ビートルズの『I Want Hold Your Hand』が、1964年2月1日の週から7週連続トップを取ってから一変する。ビートルズ旋風の幕開けだ。70年の『The Long And Winding Road』まで20曲がトップに輝き、1曲あたり平均約3週その座にいたから、空前の、そしておそらくは絶後の人気バンドである。

その陰でもう一つのムーブメントが台頭した。モータウンというレーベルである。アフリカ系アメリカンの音楽をさまざまな形で提供した。ビートルズ全盛期でもっとも対抗したのが、ダイアナ・ロスという天才女性シンガーを据えたThe Supremesで、12曲ものNO.1を送り出している。

このモータウンが手がけた兄弟5人組のジャクソン5で、11歳でメーンボーカルを取り『I want you back』で全米1位をつかんだのがマイケルだ。70年に入ると、2月にサイモン&ガーファンクルの『明日に架ける橋』が6週連続トップを走り、その後をビートルズのLet It Beが逆転するという名作そろいぶみとなる。このLet It Beを首位から陥落させたのが、ジャクソン5の『ABC』である。ビートルズとして最後のナンバー『The Long And Winding Road』からトップを奪ったのもまた、ジャクソン5の『The Love You Save』だった。

つまりマイケルは、小学生にあたる年齢で天下のビートルズと争っていたのである。この時点で十分に伝説だったといえよう。

2)自作への道と名プロデューサーとの出会い
その後ソロへ転身したマイケルは、72年に『Ben』をトップへ送り込んだものの、目立った活躍はなかった。78年に音楽プロデューサーのクインシー・ジョーンズと出会ってから、彼の運命は上昇気配となる。翌79年は初の自作曲で全米1位を獲得し、80年にもクインシーとのコンビでトップに輝いた。ポツポツではあっても大爆発寸前のエネルギーを溜めていた。

そして後にソロとしてのマイケルをスーパースターへ押し上げる、24時間音楽を提供するケーブルテレビ「MTV」(Music Television)が、81年8月に始まる。最初にかかった曲の名前『Video Killed the Radio Star』の通り、音楽を「聴く」から「見る」へ変えてしまった革命だった。

3)プロモーション・ビデオとともに歩んだMTV時代
米国では長らく先にアルバムを出し、その後にシングルを切っている。マイケルが出したアルバム『スリラー』大ヒットにともない、そのシングルカット版で彼は、「まるで映画のような」今までにないプロモーション・ビデオ(PV)に挑む。最初は自身作詞・作曲の『Billie Jean』で83年3月から7週連続1位。アフリカ系のミュージシャンのPVがこれほど大量に流された例はかつてなかった。

間を置かず4月からは『Beat It』(自作)がトップへ。内容もドラマ仕立てで、ストリート・ファイトを演じるマイケルの格好良さに皆が魅惑された。背景にダンサーを並べるのも、ライブでは古くから見られた方法だがドラマ仕立てでは珍しかった。このあたりの手法は、すべて今のPVのお手本になっている。畑違いとも思えるヘヴィーメタルバンドのギタリスト、エディ・ヴァン・ヘイレンをフィーチャーし、長い間奏をひかせたのも斬新な試みだった。アル・ヤンコビックという歌手は、この曲をパロディー化した『eat It』という曲を作った。歌詞のみならずPVまでパロディーとして抱腹絶倒。アルのこの分野での地位を確立するに至る。

アルバムタイトルと同一の曲『Thriller』は1位にこそならなかったものの、PVでは最高傑作といまだ称される出来となった。約15分という考えられない長さで、短編映画のような、今日のCGでも難しいのではないかと思わせる特殊メイクを駆使した作品だ。

全米1位だけでも80年代のマイケルは8曲を送り込んでいる。単に歌うだけでなく、踊り、演技もしてみせるアフリカ系アメリカンのスタイルが席巻した。同時期に活躍したユーリズミックス、ライオネル・リッチー、カルチャー・クラブ、ヴァン・ヘイレン、シンディー・ローパー、マドンナといったミュージシャンもまた、出来の善し悪しは別にして、慣れない?演技でMTVを盛り上げた。

エポックとしては1985年のUSA for AFRICAがある。マイケルとライオネル・リッチーが書き、クインシーのプロデュースで結成された、エチオピア難民救済チャリティーのための全米スター競演である。歌の『We Are The World』は85年4月から4週間全米一位を記録する。

4)さらなる挑戦とスキャンダル
90年代に入ると米国ではヒップホップが台頭する。またニルヴァーナによる「グランジ」ブームが巻き起こり、80年代のPVブームは若者の一部で「うそくさい」ように映る。マイケルもクインシーと別れて、独自の境地を開こうとしてきた。90年代では、むしろ兄よりも売れたジャネット・ジャクソンと競演した『Scream』のPVなどを見ると、「まだまだあきらめないぞ」との気迫が伝わってくる。

21世紀に入るとさまざまなスキャンダルや不幸などに見舞われ、不遇の日が続く。それらもおおよそ解決して、新たな展開をしようとした矢先の急死だった。

マイケルには上記のように「ジャクソン5」からMTV時代まで長らく雌伏の時があった。最後の大ヒット『You Are Not Alone』(1995年)から10年余。また何かマイケルがやってくれると期待していたファンは決して少なくなかったはずである。

注:順位はすべてビルボードによる
参考文献
“THE Billboard BOOK OF NUMBER 1 HITS”(FRED BRONSON)
cashboxmagazine.com(http://www.cashboxmagazine.com/index.htm)

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著者紹介

【坂東太郎】

毎日新聞記者などを経て現在、早稲田塾論文科講師。 現在、日本ニュース時事能力検定協会監事を務める。 著書に『マスコミの秘密』『時事問題の裏技』『ニュースの歴史学』など。 早稲田塾の「AO・推薦対策講座」および「論文作法」を担当。

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