日本銀行の金融政策(2)
ところで日銀が上げ下げする政策金利とは何か。現在では「短期金利」と同じ意味で使う場合が多い。1年未満(短期)で金を貸し借りする市場で、金融機関だけが利用する市場がある。その1つが「無担保コール翌日物」で、1泊2日(翌日)で必ず返すと約束し、市場に参加する金融機関同士が信用し合って担保(人質のようなもの)は取らない。
金融機関は正常に業務をしていても、一瞬お金に困る場合が発生する。社内に1億円ある。今日、信用できる客が今すぐ2億円借りたいといってきた。明日には信用できる別の客から2億円を返済されるといった様子だ。これに似た事態は金融機関ならばどこでも起こりうるので、皆で助け合おうと金を出し合って、必要な時は電話一本で「コール」すれば貸し借りできる市場である。
しかし量的緩和があると、短期金利市場の無担保コール翌日物で借りる以前に、口からお金を突っ込まれているので必要がなくなる。だから量的緩和の解除はイコール「短期金利の水準に戻」す、との表現につながるのだ。
ゼロ金利政策の解除が「短期金利(無担保コール翌日物)の誘導目標を、現行の『おおむねゼロ』から『0.25%』に引き上げた」との表現になったのは、そもそも短期金利をゼロにする行為がゼロ金利政策なので、「解除」とはそれより上げるという意味になる。その数値が「0.25%」で、日銀はその程度まで「誘導」するのだ。
コール市場に出るお金も、元を正せば全部日銀が刷っている。0.25%程度だと、日銀が手形を市場で売り買いして目標に「誘導」するのが普通だ。日銀がコール市場から資金を吸い上げれば資金は不足して金利は上がり、逆にばらまければ下がる。その調整を「誘導」という言葉で表現している。
量的緩和解除の際に「首相ら政府・与党から慎重な対応を求める声も相次いだ」のは2つの懸念が考えられる。一つは2000年の悪夢が再来しないかというもの。当時の速水優日銀総裁の主導で、政府・与党の反対を押し切ってゼロ金利を解除したことがあった。しかし「IT(情報通信)革命」による好景気という前提が予想外に早く崩れ去った上に、米国の経済が急減速し、またまたデフレの恐怖が襲いかかった。結局半年余りでゼロ金利に戻し、さらに量的緩和政策の導入に追い込まれた。その繰り返しだけは嫌だったのだ。残念ながら「リーマン・ショック」後の対応をみると「悪夢の再来」と批判されても仕方ない側面がある。
もう一つは国の借金に当たる長期国債を含む長期金利が上がる心配だ。これが連動して上がると、国の利払いが増える。つまり借金が増えるとなる。だから量的緩和およびゼロ金利の解除の時に、日銀がこれまでのように長期国債を市場から買うとアナウンスして安心感を与える必要があった。
日銀はお札が刷れる。だから最終的には紙切れである国債を日銀が買うのは、紙切れをお札に換えて市場に撒く結果となるために、量的緩和およびゼロ金利の解除の目的である「引き締め」とは逆の効果を生む理屈になるのだが、財政(国家経済)の悪化に配慮しての続行宣言だった。
「米国は04年6月から利上げを続け、欧州も利上げ局面に入っている」のも解除の引き金となった。世界的な利上げ傾向のなかで日本だけゼロに張り付いていると、日米、日欧間の金利差が開く。すると預けるうまみのない円を売ってドルやユーロを買う傾向が強まり、為替相場は円安に触れる。円安は輸入品の価格上昇につながるので極端な金利差は日銀としても避ける必要があった。
ただしこの前提も、「リーマン・ショック」とそれに先立つサブプライムローン問題で米国が劇的に金利を引き下げ、英国やユーロ圏など欧州も追随したために消滅した。
「利上げ」と聞いて「あれ? 公定歩合じゃないの」といぶかる人もいよう。確かに多くの人がそう習ったはずだ。公定歩合ではなくて「短期金融市場無担保コール翌日物」という長い名前が登場した。
公定歩合と似たような存在は残っている。
1973年の変動相場制への変更を期に、世界中の通貨は刻々とレートを変えていくようになった。その時々のさまざまな情勢で円とドル、円とユーロなどの為替相場が変わっていく。グローバル化が顕著になった21世紀になると、日銀が定めた公定歩合に足並みそろえて……では実態に合わなくなってきた。そろえたくても為替相場の変動によって、公定歩合とは違う利率で成立する市場が誕生してしまった。
したがって公定歩合は01年3月からは、日銀から金融機関が資金を借りる「補完貸付制度」の金利になった。「補完」とは市場金利が主で公定歩合は補う役割に過ぎないとの意味だ。グローバル化で外国の金融機関も多く参加するようになった以上、それらの思惑の集合体である市場金利を優先するのは歴史の必然といえよう。
では役立たずになったかというとそうでもない。まず「補完」の役割はある。何らかのアクシデントで短期金融市場から金融機関が借りられないとなったら資金ショートを起こして休業に追い込まれかねない。その急場をしのぐ役割がある。
もう一つは、日々微妙に上下する短期金融市場の金利の上限の役割を事実上果たすという点だ。短期金利が仮に公定歩合を上回れば、市場ではなく公定歩合で「補完貸付制度」を申請した方が得になる。そうなると短期金利に意味がなくなるので、必ず公定歩合よりも下がる。ゆえに公定歩合は上限の目安になるのだ。
逆にいうと、だから日銀はゼロ金利解除の際に公定歩合を0.1%のままにはしておけなかった。短期金利の誘導目標が0.25%なのに公定歩合が0.1%では、皆「補完貸付制度」に走ってしまう。0.4%としたのは、0.25%を越えてこの水準に金利が近づくと再利上げのタイミングだとのメッセージとも読み取れる。
「政策委員会」は、1997年に改正された日本銀行法で権限が強化された。9人で構成され、うち1人が総裁で2人が副総裁。残りの6人が審議委員となる。9人のうち日銀出身は福井総裁のみで武藤敏郎副総裁が財務(旧大蔵)省出身、他は大学教授が3人、会社役員2人、銀行員1人、外資系証券アナリスト1人。
97年改正で、大蔵大臣に認められてきた業務命令権や内閣による日銀総裁解任権がなくなって、独立性がより増した。金融(日銀)と財政(内閣やそれに含まれる大臣の政策)は分離すべきとの、これまたグローバルスタンダードに合わせた結果でもある。









