1995年
戦後50年の節目の年として迎えられた1995年。安室奈美恵さんを始めとする「小室ファミリー」の曲が大ヒットして世を覆っていたこの年を今から振り返ると、別の「節目」がいくつか見出せて興味深い
●デフレのスタート
継続して物価が下がるデフレーション(デフレ)傾向は、GDPデフレーターを参照とする限り、1994・1995年当たりから97年を除いて今日までずっと続いている。95年は15歳から64歳までの「生産年齢人口」のピークである。生産年齢人口とは国の労働力の中心になる層を指す。生産や消費が旺盛な年齢層の減少と、モノが売れなくなるデフレがピタリと一致するのだ。
半面で94年から始まった「高齢社会」の定義である、総人口に占める65歳以上の割合14%超えは一層深まり、今日に至る。国の純粋な借金である赤字国債残高は94年頃まで65兆円の範囲内で微増減していたが、95年以降は右肩上がりに増加して、現在は400兆円を超えた。生産年齢人口が減って需要(「ほしい」)も下降し、企業は安売りで対抗するものの収益が一般に悪化する。その下支えと高齢人口層に多く必要な社会保障費などをまかなうため、国はとめどなく赤字国債を発行せざるを得なくなった。
●テロの本格化
95年3月、カルト教団のオウム真理教徒による地下鉄サリン事件が起きた。この事件は無差別大量殺人を目的とした点と大量破壊兵器の化学兵器(サリン)を用いた点で、戦前戦後に見られた要人殺害のテロと明らかに相違した。同年4月には米国オクラホマ州のオクラホマシティ連邦政府ビルが爆破され、多くの死者が出た。日米とも犯人も被害地も同じ国内だったため、事件そのものの残虐性や経緯こそくわしく報じられて両国民とも戦慄するも、「テロ」と深く認識したかは疑問である。世界を恐怖のどん底へ叩き込んだ米国同時多発テロの6年前の出来事である。
●大震災と円高と原発事故
年が明けて間もない1月17日未明、阪神大震災が発生して6000人以上が命を落とした。4月には東京外国為替市場で1ドル=79.75円と戦後最高値を更新した。12月には福井県敦賀市にある高速増殖原型炉「もんじゅ」の冷却剤であるナトリウムが漏出する事故が起きる。「大震災」「円高」「原発事故」とまさに2011年の相似形だ。
2011年3月に発生した東日本大震災の死者・行方不明者は阪神大震災を超えて戦後最悪となった。またその際に投機筋が仕掛けた円買いで95年の1ドル=79円を超える76円台の戦後最高値をつけ、その後の米欧債務(借金)に対する不安感からこの水準がしばらく定着しそうである。
「もんじゅ」の事故も決して福島第一原発事故と無関係ではない。高速増殖炉とは、原発で生じるプルトニウムを主要燃料として発電する仕組み。燃やした燃料以上の燃料(プルトニウム)を生み出す「夢の原子炉」ともてはやされた半面、物質としてのプルトニウムの危険性、試みた諸外国がことごとく撤退した事実、水や空気と簡単に反応してしまうナトリウムを冷却剤にせざるを得ない点などが問題視され、裁判まで起きたにもかかわらず推し進めて、案の上、失敗を犯した。
●米軍普天間飛行場問題の出発点
沖縄県宜野湾市にある、米軍海兵隊の普天間飛行場の騒音や危険性はかねてから問題視されていたが、一挙に反発の声が上がったのが、95年9月に発生した米兵が少女を暴行した事件である。沖縄県民の猛烈な反基地運動を受けて、当時の政府はその象徴的存在である普天間問題解決に乗り出し、翌年の移設を条件とした返還が日米間で合意された。以来、返還は代替基地の移設先が決まらないまま迷走と停滞が続いた。2009年の総選挙で圧勝した民主党の鳩山由紀夫代表(選挙後に首相就任)が「最低でも沖縄県外へ移設」と演説したのが実現されず、それが大きなつまずきとなって総理大臣を辞任したのは記憶に新しい。
●米メジャーリーグへの日本人選手本格進出開始
前年まで日本プロ野球近鉄バファローズ(当時)に在籍していた野茂英雄投手が、米メジャーリーグのロサンゼルス・ドジャースへ入団した。この時点で日本プロ野球機構所属選手がメジャーに渡るための正規の取り決めがなく、そのために当初は多くの日本メディアが、野茂の行動を一種の横紙破り、ルール違反とみなして冷たい視線を送っていた。それが大活躍すると一転して絶賛の嵐となる。と同時に野茂に続きたい日本人も声を上げ始め、制度も整えられていくようになる。
野茂は日本人初のメジャーリーガーではない。1964年から2シーズン、サンフランシスコ・ジャイアンツに在籍して通算5勝を上げた村上雅則のケースがある。しかし彼の場合は、日本側の所属チームである南海ホークス(当時)の帰国要請を結果的に受け入れた。いったんメジャーに籍を置き、長期間一線級で活躍して、後進へ道を開いたのは野茂が初めてである
●Windows 95の発売
「デスクトップのアイコンをマウスでクリックするとアプリケーションソフトが起動する」と、今では説明自体が不要な能力を十分に持ち合わせた初めてのオペレーティングシステム(OS)を米 マイクロソフト社が発表し、このOSを搭載したパソコンが爆発的に売れた。今日まで続くIT技術の進歩史でも画期となる出来事だった。
「デスクトップのアイコンを……」という仕組みは「グラフィカルユーザインタフェース(GUI)」と呼ばれ、Windows 95以前にも存在した。代表的なのはアップル社のパソコン「マッキントッシュ」シリーズである。ただアップルはOS(ソフト)とパソコン本体(ハード)を抱き合わせて売る戦略を取ったため、当時の感覚では相当高額な商品だったのがネックだった。対してマイクロソフト社はWindows 95の前シリーズでGUIを取り入れたものの、2つ以上のアプリケーションを起動しようとすると「固まる」など不具合があった。それを改善した95人気は凄まじく社会現象にまでなった。
それまでのコンピュータは英語のコマンド(指令)を打ち込んで起動するタイプがほとんどだったので、自在に動かそうとするとコマンドを山のように覚える必要があった。95はその煩雑さからユーザーを解き放ったのである。
●世界貿易機関 (WTO) が発足
95年元旦に発足。これまでの関税と貿易に関する一般協定(GATT)を発展解消させて誕生した。世界中の国と地域の自由貿易を促進させるための統一したルール作りなどを、多角的貿易交渉(ラウンド)を通して図る。大いに期待されてのスタートだったが、2001年から始まったドーハ・ラウンドが完全に行き詰まり一種の機能不全へ陥っている。
●新食糧法の施行
1942年に制定された「最後の戦時統制経済関連法」と呼ばれた食糧管理法に代わる、新食糧法が施行された。食糧管理法は、主食であるコメの価格を原則として政府が決める仕組みで、流通まで仕切った。新法の施行でコメの販売が原則自由化されて、スーパーマーケットなどでも買えるようになった。









