2009年10月18日 開催
特別公開授業
「臓器移植の現場から」
自治医科大学
河原﨑 秀雄教授
早稲田塾新宿校にて

- 河原﨑 秀雄教授(かわらさき・ひでお)
東京大学医学部医学科卒。都立府中病院外科医員の後、東京大医学部附属病院小児外科医員、講師、同医学部助教授を経て、現職。著書に『生体肝移植マニュアル』、『日本に根づけ、生体部分肝移植』。
日本に脳死移植が受け入れられるまでの20年間
「今日は、大学2、3年生の講義で教えている内容をスライドで持ってきました。
医学部に受かったものと自分を高めて、楽しんでいただきたい」
参加者たちの表情に期待と緊張感が走った。
小児生体肝移植の第一人者である、河原﨑秀雄教授。
子どもが好きで小児科医を目指していたという教授が、移植手術に関わることになった経緯を詳しく説明していく。
1970年代、カリフォルニアに留学した際、アメリカでは臓器バンク意思表示の原型がすでにできていた。
当時のことを教授はこう語る。
「免許証の裏に“もし私が脳死に陥ったときにはどんな組織でも提供します”という意思表示欄があった。
このシステムを当時の日本が受け入れるかと考えたら、想定される答えはNO。では何年かかるか?
30年かかったら、自分は定年を迎えてしまう。治療の甲斐なく死んでいく子どもたちをなんとか助けたいという思いもあり、20年で受け入れてもらえるための努力をしようと決意しました」
20年後の1997年、実際に脳死肝臓移植法が制定される。
同時に、生体肝移植の可能性も探っていた教授。
留学中、自身の子どもを何度も風呂に入れる際に肝臓の箇所を触っていた経験から、生体肝移植のアイデアを生み出した。
「常にその問題について考えていると、離れていた点と点が近づいてきて、解決の道に当たることがある。皆さんも受験という大きな事態に直面しているが、あきらめないで頑張ってほしい」
1989年に、日本で初めて生体肝移植が行われてから今年でちょうど20年。今でも手術時間は12時間ほどに及ぶ上、術後も拒絶反応と感染症との闘いが続く、非常に難易度が高い手術だ。
常にその最前線を走り続けてきた河原﨑教授が、講義の最後に医師の理想像をこう語った。
「肝移植は医療の一部でしかありません。
しかし狭義とか広義とか関係なく、医療全般において共通しているのは、医療従事者と患者さんが、病気という辛い部分においてともに闘っている大事なパートナーであるということ。
患者さんを家族のように思って、とことん大事にして愛するということが大切です。私もそういう風にありたいと努力しています」
医療従事者を志す参加者達にとって、将来の理想像が一歩、具体的になった2時間だった。



