- 室井 尚 教授
- 横浜国立大学
教育人間科学部 1955年山形県生まれ。’82年京都大学大学院文学研究科美学美術史学専攻博士課程修了。’89年帝塚山学院大学専任講師。’92年横浜国立大学教育学部助教授。’97年学部改組により教育人間科学部助教授。’04年より現職。著作は『情報宇宙論』(岩波書店)『哲学問題としてのテクノロジー ダイダロスの迷宮と翼』(講談社選書メチエ)『巨大バッタの奇蹟』(アートン)など多数。
室井先生が主宰する〝Virtual Time Garden〟のURLアドレスはコチラ →http://www.bekkoame.ne.jp/~hmuroi/
総デジタル化で人はどう変容していくのか

- 室井研究室のある教育人間科学部第1研究棟

- 横浜国立大学教育人間科学部の建物群
横浜国立大学教育人間科学部・室井尚教授の専門分野は、その守備範囲の広さにとにかく驚かされる。情報文化論にはじまり、哲学・美学・記号論・メディア美学・美術批評……等々と続く。まずは、その研究内容の一端から伺っていこう。
「人類が古代以来築いてきた文化や教養についての研究を人文科学といいますが、いわゆる理系の自然科学(あるいは社会科学)のように、すぐに何かの役に立つものでは全くないのですね(笑)。そのうち、私は文学理論や美術史の分野の研究から始めましたが、いまはメディア(とくにコンピューターを媒体とした人間の芸術や文化表現の意味等)について研究しています」
室井先生の諸思索は哲学が基軸となる。ただし目下のところは、情報がデジタル化・IT化されていくなかで、本来アナログな人間や人間社会がどう変容していくかを原理的に追究することにあるという。
巨大アートは「暴走資本主義」へのアンチテーゼ

- 横浜国立大学キャンパス全景
2001年、そんな室井先生が世間をあっと驚かせた。哲学者・人文学者の枠を跳び越えた実作者として、巨大なオブジェ作品を突如発表したのだ。同年開催された「横浜トリエンナーレ」に出品された『インセクトワールド』(芸術家・椿昇氏との共作)は、なんと全長50㍍に及ぶ「巨大バッタ」だった。しかもこの巨大バッタは、横浜ベイエリアの顔ともいえるインターコンチネンタルホテルの外壁に飾り付けられた。
「とにかく 当時はバカバカしく巨大なモノを創り上げたかったわけです(笑)。21世紀初頭の現代社会は、『商品として通用しないと価値がない』という風潮が、芸術作品であれ音楽活動であれ一般的です。そんな時代の流れに抗して、商品としては通用しないかも知れないが、日常の枠の外に飛び出して心からワクワクして生命が輝くようなモノを創り上げてみたい。そんな経験を若いゼミ生諸君にも体験させてあげたい。その一心での試みでした」
当時2ヵ月半の展示期間中、海からの強風にオブジェが煽られて一部破壊されるといった予想外のアクシデントもあり、展示担当の室井ゼミ生たちは点検と修復に追われる日々となって、それもまた貴重な経験になったようだ。
さらに横浜市営バスの車体をラッピングデザインするプロジェクトなどでも評判を呼んだ。そんなわけで、「思索する人文研究者」室井先生には、哲学者さらにはアーティストとしての顔もほの見える。
トコトンまで追い込んでいく熱血の学生指導とは

- この中央広場は横国大生の憩いの場
横浜国立大学の教育人間科学部は、旧教育学部を発展的に改組して’98年4月に開講、現在に至る。学校教育・地球環境・マルチメディア文化・国際共生社会の4課程からなり、室井先生はマルチメディア文化課程メディア研究講座の所属になる。
「私たちが担当しているマルチメディア文化課程は『メディア研究講座』と『情報認知システム講座』の2講座から成っています。いずれも人間の表現文化とコンピューター知識が結びつくこと、情報発信の大きな力になるというのが基本コンセプトとなります」
こうした新課程開設時の、基本方針やカリキュラム作成の中心になったのも室井先生であった。特筆すべきは、学外で活躍する表現分野の実作者を教員として幾人も招聘したことにある。
たとえば、その代表格が劇作家の唐十郎氏で、同氏はかつて紅テント劇団「状況劇場」を率いていたことでも知られる。室井先生は大学での授業に不慣れな唐氏らを小まめにサポートし、唐氏の方もそれに応えて定年まで教授職を全うした。
唐氏が残した教育成果のひとつに、ゼミ生たちによる劇団「唐ゼミ」の結成旗揚げがある。当初は学生によるアマチュア劇団であったが、現在はプロ劇団として全国を公演して回わっている。唐氏の退職後は、室井先生が同劇団の活動を全面的に支援してきた。
「じつは私は学生をトコトンまで追い込みますからね(笑)」
そうご自身が語るように、室井先生は学生にとって非常に怖い存在でもあるらしい。それは言葉を荒らげて叱責するような指導の厳しさというよりは、本質を衝いてどこまでも追い込んでくる怖さである。
予定調和でない「学生発文化」の新たな復活めざす

- 研究室内にディスプレーされた「バッタ模型」
ただ、そこから逃げ出さずに先生と真っ向から向き合うことで、本来の自己のあり方に気づき、一生モノのアイデンティティーを築き上げる学生もいる。劇団「唐ゼミ」のある女性メンバーが、真の劇団員として目覚めて女優開眼していった例もあるという。
あらためて学部の講義やゼミ演習における指導方針については……
「いまの大学教育は、授業もゼミもすべてシラバス(講義計画)を提示して、最終の目標まできちんと設定されるようになりました。ただ、これだけでは予定した通りのことしか出来ないので、教える側も教えられる側も面白くありませんよね(笑)。せっかく大学という一生に一度きりの場にみんなで集まったからには、予定調和でない(予測もつかない)方向に導かれて向かっていく……。そのほうが面白いに決まっているじゃないですか」
「私たちが学生だったころには、演劇でも音楽でも(それこそロックなりフォークソングなり)、大学という場でしか生まれ得ない文化や表現が確実にあって、外国かぶれにして未熟とそしられつつも恐れずに発信していました。そうした若々しい風潮をもう一度復活できないものか。そのようにも考えています」
こうした予定調和にない冒険は学生時代にしかできない。しかも極限まで追求し切ることでプロをも超える表現者・研究者にまで高まる可能性もある。インタビューの最後に室井先生はこう結んだ。
「原則として、ゼミの授業で私から課題は出しません。これにはゼミ生たちは不満らしく、『課題を出してください』などと言ってきますが、『自分の研究なのだから自分で見つけてきなさい』と突き放すようにしています。それで留年することになっても、逆に生き物としてのたくましさを身に付けてくれたらいいとさえ思っているのです」
こんな生徒に来てほしい
個人的には、勝ち組になることだけを目指しているような強い人より、引きこもりやニートなど、心の内に弱みや病を抱えている人のほうに興味があります。そういう人たちのほうがちゃんと自分自身と向き合っていますからね。だからこそ心を病んだりもするわけです。何の迷いもなく親や他人に言われるまま、という生き方は一見効率的ですが、この混迷の21世紀を生き抜くにはあまりに脆弱な気がします。さらにいえば、他人に言えない自ら押さえきれない衝動を抱えていて、それをも力として発揮したいというような人にも非常に興味があります。










