志望理由書に必要な要素5 将来像・未来像~教員
今の制度では、教員養成大学または所定の単位が取得できる大学であれば、卒業と同時に1種または2種の免許が得られ、資格取得のための国家試験はない。
公立小・中・高の場合は、自治体単位の教員採用試験を受けた上で各校の面接などを経て、教壇への道が開かれる。私立は独自で採用する学校が多い。
教師になりたい人の志望理由書はたいてい、身近な「素晴らしい先生」「嫌だった先生」の体験談から入る。それは悪くはないものの、ありきたり過ぎる展開ともいえよう。とくに
素晴らしい○○先生に出会ったから→私も○○先生みたいになりたい
反対に
嫌な△△先生に当たったから→私は△△先生のようには決してならない
との展開が目立つ。ここには「自分」を語っていないという致命的弱点がある。何しろ志望理由書の主人公は私=自分。それを語らずに、○○先生や△△先生、すなわち他人を語っているにすぎないのだ。
こうした傾向はどの志望理由書にもある。ただし教員志望の場合は際立って多い。それは、「出会った○○先生や△△先生から強い影響を受けている」という事実は事実であること。また、現時点で17歳ぐらいの生徒にとって、親族や近隣以外で出会う、密接な関係を持つ大人の代表が教師であるから、といった理由によろう。
しかし、この条件はおおむね誰にでも当てはまる。よって教師志望の理由書は、結果として同じような内容がそろうことになりかねない。「自分」がいない志望理由書では話にならない。
最近では幼稚園教諭を志望する高校生が、女性を中心に増えている。次いで小学校教諭だ。これらの志望理由書の特徴は、「子どもが大好き」である。ここにも大人である読み手=採点者から違和感を抱かれる穴がある。
そもそも高校生は社会的に子どもである。その高校生が「子ども」と呼ぶ対象は、だいたい幼稚園児か小学校低学年ぐらいだ。だから「子どもが大好き」イコール幼稚園児および小学校低学年という図式となってしまう。現時点での志望者の年齢から、必然的にそこを指してしまうのだ。人生80年の観点から考えれば「子どもが大好きだから高校教師になりたい」でも一向におかしくはない。
「自分」を語っていないとか、自身が子どもだから「子ども」を指す範囲が低年齢化するという問題を解決するには、「○○先生や△△先生」という自分しかわからない個性や「かわいい幼稚園児」といった先入観はいったん脇に置いて、素直に「教師」という職業の特性をみつめてみたい。
すると次の2点が浮かび上がる。
①教師は指導者である
したがって、自分がリーダーシップを持っていると証明できる実績や、人に噛み砕いて説明する能力があるなどをアピールする、との方法が浮かび上がってくる。とくに小学校教諭まではこちらへ力点があっていい。しかも今の教育現場では、「指導力不足」が深刻な問題となりつつあるとの背景もある。
②教師は教科教育の専門家である
中学・高等学校教諭の場合に主として求められる。専門性の深さや高さゆえに尊敬されている教諭は少なくない。この場合は、なりたい科目に対する自分の真剣な取り組みを紹介したり、資格や成績をアピールするとの方法が有用だ。
なお幼稚園と小学校教諭は、取得できる大学・学部・学科が中高より限られてくるので、リサーチを十分にしよう。逆に中高の免許は、何が何でも教員養成大学とか教育学科と限定しなくても、科目によっては取得可能である。
最後に養護教諭、つまり保健室の先生について述べておく。これも資格が取れる大学が限られているので早めに探しておきたい。また基本的には理系の分野なので、看護師などを考えている人が視野に入れてもいい。逆に文系3教科の勉強しかしていない人で、養護教諭になりたい場合はAO・推薦も視野に入れてみよう。数は多くないものの、理系科目を課されることなく入学可能な大学があり、増えてもいる。









