国公立大学医学部医学科ないし医科大学のAO・推薦入試2
前回示した通り、AO・推薦で医師免許取得をほぼ目的とした医学部・医学科へ進むには
評定平均4.3で大学入試センター試験で5教科7科目
がスタンダードである。評定平均4.3も、正確にいえば「学習成績概評がA段階」を求める場合が多い。つまり4.3以上で人物としても高校側から評価される必要がある。
評定平均は高3になって慌てても間に合わない。医師をAO・推薦で目指す者は、高1からあらゆる科目で全力を尽くす必要がある。幸いなことに、現在は絶対評価が取り入れられている高校が大半なので、努力や日常の姿も成績に加味される。そこを評価されるのは取りも直さず「A段階」への近道に他ならない。課外活動でリーダーシップを発揮するなど、「ガリ勉」でない学校生活を送るのもいいだろう。
5教科7科目は高校で学ぶ科目と重なり、評定平均アップはその勉強に励む営みに他ならないので矛盾しない。受験にない科目だからといって力を抜いたり、やむを得ない理由もないのに欠席したりは厳禁である。まとめていうと、国公立医学部のAO・推薦へチャレンジできる条件は高1からの日常力なのだ。
前回の表をみて面白い傾向がわかる。東京圏にある東京、東京医科歯科、千葉、横浜市立ではいずれも行っていない点だ。関西圏でも京都、大阪、大阪市立がない。逆に大都市圏以外では盛んに行っていて、要項を読むと濃淡こそあれ「地域医療への関心」を求めるケースが目立つ。前回は割愛したが、「地域枠」として大学の立地する地域に限定している募集もある。これらを総合的に考えるとAO・推薦で求める学生像に、その地域の医療を担う意思や責務を感じている受験生にぜひ来てほしいという意図がうかがわれる。
背景に近年の医療崩壊や意思偏在化にともなう医師不足があるのはほぼ明白だろう。「医師になれば高額の収入が見込めるし少なくとも食いっぱぐれはない」程度の認識では合格はおぼつかない……というか、原則としてそうした軽薄な動機の者を排除するために、学力と合わせて面接や小論文、志望理由書を課しているといった方が正しい。
医師をめぐる環境はここ数年で様変わりした。かつて地域医療の中核だった医院・診療所の多くは、大病院に患者を奪われたり後継者が不足したりして閉鎖が相次ぐ。厚生労働省は、長らく医院・診療所や規模に合わせた病院の機能分化を訴えてきたものの、十分に果たせず「子どもがくしゃみをしても大病院」という傾向が収まらない。
大病院への集中は結局、中小病院の経営も直撃する。では大病院ならば安泰かというとそうでもない。
医療機関の収入は診療報酬で決まる。国民が応分に負担した公的医療保険を点数化された医療行為に合わせて支払われる。窓口負担が原則3割あるとはいえ、多くは診療報酬でまかなう。日本の病院数は世界一多い。そこに近年の改定(2年に1度)が報酬下げ基調だったために医療機関全体の経営が苦しくなっている。
なかでも地域医療は深刻で、比較的安定していたはずの自治体(公立)病院も苦しんでいる。地域医療の担い手を育てる最大の役割は、まさに前回の表で示したような地域の大学と大学病院である。かつてはそこで育った医師になりたての研修医が大学病院で研修し、その分だけ医師数に余裕のできた大学病院が、地域の自治体病院や民間病院へ医師を週何日とかで派遣したり常駐させてきた。しかし2004年の「新たな医師臨床研修制度」で、研修医が必ずしも出身校の病院で研修しなくても済むようになり、大学病院の人員が切迫し、派遣先の地域医療機関から医師を呼び戻すといった傾向が露わとなった。ここでまず自治体病院や民間病院の医師不足が発生する。
しかも引き上げた側になる大学病院でさえ、出て行ってしまう研修医の数を結局埋めきれず医師不足に陥るケースも続出した。厚生労働省は結果を重視して、制度の見直しをいくらか打ち出したものの、そもそも出身大学の経営する大学病院に研修医を縛りつけるのはどうかという問題点から発した新制度だけに、元に戻せばいいという話でもない。意欲ある経営を行っている民間病院や、高度の施設を備え無駄をはぶいた健全経営を行っている病院に研修医が行きたがるのは、ある意味当然だからだ。
そこで「地域医療」という概念が登場する。医師として最高レベルの設備の整った病院に勤務したいとか、知名度の高い首都圏の国立大学付属病院が希望とか、できれば高報酬が望ましいとか、選択する理由はさまざまあっていい。ということは、そのなかに「地域に貢献する医師でありたいと」の希望が真っ先にある者がいてもおかしくないはずだ。一概にはいえないものの、AO・推薦に期待する医師像はそれに近いといえよう。









