吾輩は虎である 九
「吾輩は虎である」 九 藤沢校
吾輩は虎である。名前はまだ無い。
どこで生れたかとんと見当がつかぬ。
例によって早稲田塾なる場所に忍び込む。
例によってとは今さら解釈する必要もない、しばしばを二乗したほどの度合を示す言葉である。
一度やったことは二度やりたいもので、二度試みたことは
三度試みたいのは人間にのみ限らるる好奇心ではない、
虎といえどもこの心理的特権を有してこの世界に生まれいでた
ものと認定していただかねばならぬ。
吾輩もこのごろでは普通一般の虎ではない。
亜米利加生まれのティガーくらいの資格は十分あると思う。
タイガーマスクとやら名乗る格闘家の虎や、
羊羹屋の虎、大阪のベースボール軍団の虎などはもとより眼中にない。
高校生たちがやってくるたびに、
「あけましておめでとうございます」
と吾輩の横で、主人たちが、
正月とあっていつにも増して張り切って挨拶をしている。
吾輩の耳の中では、びりびり鼓膜がふるえている。
正月早々、これには参った。
塾生が「稲葉先生あけましておめでとうございます」と言うと・・・
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吾輩が仲間と認める稲葉という英語の虎は
「あけましてだけでいいっ。おめでとうはないっ。」
と正月から檄を飛ばしている。あっぱれだ。
正月から奮闘する高校生たちの熱心さには感服せざるをえない。
これはとうてい虎の企て及ぶべからざる芸当と自白せざるをえない。
したがって、吾輩から「お年玉」やら「荏柄天神の鉛筆」なるものを
高校生たちに持たせてやることにした。
吾輩に代わって、主人が高校生たちに渡すこととなったのだが、
主人が吾輩の姿形を真似てみるものの、その妙な姿を見るや
吾輩は背中の毛が靴刷毛で逆にこすられたような心持ちがした。
しかし、正月でもあるので辛抱しておった。
吾輩がしばし休憩をとっていると、
授業が終わった高校生たちが吾輩に会いにきたので
話を聞いてやった。
ある男子学生は、吾輩の顔をまるで恋人の頬をなでるように
丁寧になで、最後は吾輩の手をにぎりしめてきた。
センター試験なる天下分け目の決戦を前に、少々緊張の面持ちであろうか。
さすがの吾輩も握り返してやった。
新しい年を迎えて吾輩は、元朝早々から高校生を観察しながら
思うことがある。
よそ目には一列一体、平等無差別、どの虎も自家固有特色など
ないようであるが、虎の社会にはいってみるとなかなか複雑なもので
十人十色という人間界の言葉はそのままここにも応用ができるのである。
目つきでも、鼻つきでも、毛並みでも、足並みでも、みんな違う。
髯の張り具合から耳の立ちあんばい、しっぽのたれかげんに至るまで
同じものは一つもない、器量、不器用、好ききらい、粋無粋の数をつくして
千差万別と言ってもさしつかえないくらいである。
吾輩は虎である。
ごちそうも食わないからべつだん肥りもしないが、
まずまず健康でその日その日を暮らしている。
名前はまだつけてくれないが、欲をいっても際限がないから
生涯ここで、無名の虎で終わるつもりだ。
<続く>
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