マイクロソフトで知った「世界規模」の価値
次は教育で、世界中にチャンスを届けたい

鵜飼 佑

マイクロソフトで知った「世界規模」の価値
次は教育で、世界中にチャンスを届けたい

鵜飼 佑

Profile/Yu Ukai

早稲田塾28期生。慶應義塾大学環境情報学部環境情報学科卒業後、東京大学大学院学際情報学府総合分析情報学コースへ進学。卒業後はマイクロソフトディベロップメント株式会社Office統括開発部でプログラム・マネージャーとして勤務。2017年に退社し、英国キングス・カレッジに留学中。

「スーパーITプログラム」との出会いが人生を変えた

小学校からずっと青山学院に通っていたので、いわゆる受験は一度もしたことがないし、塾にも通ったことがありませんでした。当然大学も、そのまま青山学院大学に進むつもりだったんです。そんな私が早稲田塾に入ったキッカケが、「スーパーITプログラム」でした。

父がエンジニアで子どもの頃から身近にコンピューターがあって、遊び道具代わりにいじっていました。中学生ごろにはプログラミングをしたり、ウェブサイトを作ったり、独学で色々やっていたんです。あるとき父が「こんなイベントがあるよ」と教えてくれたのが「第一回 スーパーITプログラム」。早稲田塾主催とか全然意識しないで参加したのが、高3の夏でした。
そうしたら、これがとても面白かった。慶應義塾大学SFCの教授で、「日本のインターネットの父」と呼ばれる村井純先生が、直々に講義をしてくださる。プログラムの一環としてSFCで行われた二泊三日のキャンプでは、最優秀賞をいただきました。それで村井教授に「お前はSFCに来いよ!」と声をかけていただいて、自分でもすぐその気になった(笑)。そのまま夏休みの終わりにはAOのエントリーシートを提出しちゃいましたね。夏休みが明けて、高校の担任に「受験することにしました」って言ったら、もうビックリですよ。青山学院はAO出願した時点で大学進学権利を失うので「お前、本当に大丈夫なのか?」って。でも無事合格して、受験終了(笑)。本当に、「スーパーITプログラム」が私の人生を大きく変えてくれました。勢いだけで決めちゃいましたけれど、もちろん後悔はありません。

英語ができれば、60億人に伝わる。
世界のトップになるなら、絶対に必要!

完全に独学ですが、私の英語勉強法は二つ。一つ目は、わからない単語があったら例文を作って、とにかくそれを暗記すること。二つ目は、スカイプを使ったオンライン英会話。その上で、英語を使わざるを得ない、使わないと生きていけない!という環境に身を置くことがポイントで。マイクロソフトは入社試験も英語だし、仕事相手もほとんどが外国人。英語を話せない人間は、ビジネス上での価値が“無”。そこまで追い込まれたからこそ、なんとかなってきた。やっぱり何をするにしても、世界のトップになろうと思ったら、英語は絶対に必要です。だって自分の成績や作品を自慢しようと思っても、日本語なら1億人にしか届かないけれど、英語なら60億人に伝わりますからね。

大学生トレーナー時代に知った
「指導することの面白さ」

早稲田塾のスーパープログラム(現:未来発見プログラム)や「AO・推薦入試特別講座」で出会った友人の中には、今でも交流が続いている人もいます。様々な分野に熱意を持ってチャレンジしている人たちがいて、自分はITしか知らなかったから「色々な人がいるんだな」と驚きました。「論文作法(ろんぶんさっぽう)」は好きな授業だったので、合格が出た後も友達を作りに出ていた記憶があります。議論をするのが好きなので、自分の意見を言ったり、友人の意見を聞いて考えたりするのが楽しかったです。

早稲田塾では、学部1年から2年のはじめ頃まで、「AO講座」と「論文作法」のトレーナーをやっていました。指導する側としては、答えが無いのが面白いですね。やっぱり教え子が合格してSFCに入ってくる姿を見ると、嬉しかったな。今の私はIT教育を専攻しているのですが、生徒の指導方法などはトレーナーのときに身についた知識や経験が役立っているように感じます。

教育には、ずっと興味を持っていました。身内に教員をやっている人が多いんですよ。弟も小学校教師だし。それに青山学院は卒業後もOBが関わる機会が多くて、自分もよく参加していましたね。コンピューターは自分が正しく指示すれば正しく動きますが、人間はそうじゃない。だから、面白い。学生のときには、「Life is Tech!」という中高生のためのプログラミングスクールの立ち上げにも関わることができました。

マイクロソフトで知った、
世界のどこにいても人を幸せにできる仕事の意味

将来を考えたときに、自分はプログラムを書けるけれど、その分野で自分よりもスゴイ人はたくさんいる。それよりも自分の能力は、人を巻き込んでデザインすることなんじゃないのか、と考えたんです。インターネットとは違う新たな分野を学ぶために、大学院はSFCを離れ東京大学を選びました。大学院在学中には「未踏スーパークリエータ」*1に認定され、卒業後はMS(マイクロソフト)にPM(プログラム・マネージャー)として入社しました。

実はMSは、新卒のPMを採用していなかったんです。だから最初は「ダメ」と言われて入社試験を受けさせてもらえなかった。でもそこは、持ち前の熱意で押して(笑)。そうしたら「中途の人が辞めたから、受けてみる?」と声がかかったんです。熱意を伝えた先に、ラッキーがあった。誰もがその運を掴めるわけじゃないけれど、少なくとも自分がやれることは全部やっておくべきだな、と感じましたね。
PMは、自分のチームを持って製品を作り、その責任を負う仕事です。入社1年目に作ったアプリは、世界で2500万人が使うヒットとなりました。あるときJICA(国際協力機構)で働く友人がコスタリカの老人ホームの人に、「このアプリを知ってる?」と見せられたのが、まさにそのアプリで。「知ってるも何も、友人が作ったアプリだよ!」と驚いたって言ってました。自分が作ったアプリが、地球の裏側にいる人の生活を豊かにすることができる。仕事のスケール感と、そんな仕事ができる環境に自分がいるということが、その後の考え方を大きく変えました。
昨年は、アメリカのNPOと共同で「マインクラフト」というゲームアプリを使用したプログラミング教育の教材づくりを経験しました。今ではその教材を、3000万人以上が使っています。

教育学のディグリーを取得するため、イギリスに留学

1年間アメリカで仕事をして感じたことは、「教育学のディグリー(学位)を持っていないと、特に公教育に関係する分野において、教育の仕事をするのは難しい」ということ。特にアメリカは学歴社会ですから。それでマイクロソフトを退社して、今年の夏からイギリスのキングス・カレッジに留学し、コンピューティングエデュケーションについて研究することにしたんです。もちろん、今関わっている「未踏ジュニア」*2などのプロジェクトには引き続き関わっていく予定です。

人生において、チャンスを掴めるかどうかでその後の生き方は大きく違います。私はたまたま、SFCに入学するチャンスを掴んだ。でも、そもそも早稲田塾やSFCが何かを知らない高校生だって、たくさん存在する。住んでいる国や場所、親や身内の職業や通う学校などが違うだけで、自分の前にあるチャンスの数や質は違います。
私は、チャンスを与えられ、それを掴むことができた。だから次は、若者がチャンスと出会う場を作る側の人間になりたい。それが、「未踏ジュニア」*2などのプロジェクトをやっている一つの大きな理由です。

人間は誰でも、自分のいる環境がスタンダードになります。楽に過ごせるレベルの環境に居続けると、その上のステップには進めない。できるだけ、良い環境にいけるように努力をしよう。受験勉強も、そのための手段だと思います。無理だな、嫌だなと思ってもやってみる。小さな成功体験が自分を成長させるし、失敗からだって学ぶことがある。いざチャンスに出会ったとき、それを掴むことができる人間になるために、今自分がやりたいことに向かって進んでいってください。

―― *1 IPA(独立行政法人 情報処理推進機構)が優れた能力を持つ若い人材を発掘・育成するプロジェクト「未踏」事業が、特に優秀であると認定したクリエータ
*2 「未踏」の17歳以下の小中高生及び高専生を対象としたプロジェクト