高校時代こそ自分を磨き、
「世界で通用する力」を身につけよう

アクチュアリー 田中瑛士

高校時代こそ自分を磨き、
「世界で通用する力」を身につけよう

アクチュアリー 田中瑛士

Profile/Eiji Tanaka

早稲田塾 第21期生。 桐蔭学園高校、東京工業大学工学部経営システム工学科。 東京工業大学社会理工学研究科経営工学専攻入学後、米国に留学。 2007年スタンフォード大学 統計学修士課程 修了、2008年コロンビア大学 IEOR学(生産管理工学およびオペレーションズ・リサーチ)修士課程修了。同年7月リーマン・ブラザーズ証券会社入社、9月同社経営破綻。 證券会社を経て、現在は保険会社にてアクチュアリーを務める。

スタンフォード大学へ。
気持ちは「日本代表」

国際舞台で仕事をするために、「学生時代に留学したい」と考えていました。文部科学省の長期海外留学支援という制度を知り、東工大から推薦を頂き応募。文科省関係の面接ご担当が、なんと20名程いる最終選考も無事にクリアしました。その後、スタンフォード大学からOKのオファーが来たときは、心底嬉しかったです。
勇んで新天地に飛び出したものの、学科に日本人は僕一人だけ。でも、「やる!」と決めたからには、やるしかない、と腹をくくりました。気持ちはもう、「日本代表」という感じでした。
スタンフォードでの1年目が終わる頃、次の進路を考えました。もう少し勉強を続けたい……。場所が良くて、適切なプログラムがあり、短期間で学べるところといったら、ニューヨーク、コロンビア大学しかありませんでした。入学条件がハードだったので、かなり悩みました。でも、「コロンビア大学に行けたら、絶対に将来がある」と信じ、自分なりにベストを尽くしてみよう、と。一縷の望みというか、一筋の光があれば、人間なんとかなるものだな、と思いました。コロンビア大学に入学が決まり、プログラムがスタートする前のわずかの期間に、日本に一時帰国して、リーマン・ブラザーズ証券会社のインターンシップに参加。このときにリーマンからオファー(内定)を頂いたので、コロンビア時代は、「さあ、いよいよこれからだ!」と、テンション高く過ごしました。N.Y.ではミッドタウンに出たら、必ずリーマンの本社前まで行き、「絶対、この会社で頑張る」と、心の中で誓っていました。

自分の中での“リーマン・ショック”

コロンビア大学のプログラムを修了して、日本に帰国。7月14日に入社しました。そして、9月14日に経営破綻。全世界で報道されましたが、入社して、ちょうど2か月後のことです。今まで構築してきた夢も一瞬にして崩れ、「これから自分はどうなるのだろう? どうしよう……」。
次の就職先を決めるにしても、入社2か月では、相手にされるわけもありません。そのときに気づいたのは、何につけこの先、プロとして生きるなら、スポーツ選手と一緒だろう、と。1プレーヤーとして、練習して、スキルを上げて、自分を磨いていかないと食べていけない。
これこそが、自分の中での“リーマン・ショック”です。

コロンビア大学時代、ミッドタウンにいってはリーマン本社にも詣で、やる気を高めていたのに…

将来の<夢>実社会で学び、
自分を高めたい

証券会社を経て、現在は保険会社でアクチュアリーとして働いています。ずっと目標だった仕事に就くことができ、本当に嬉しい!
留学時代も、社会人となった現在でも、「カッコいい人」は、皆、過去に真剣にやってきた人たち。仕事はもちろん、人への配慮ができて、リーダーシップを有する等、上には上がいます。僕は自分の経験から、そういう人たちに出会えたから、仲間として一緒にやっていきたいという思いが強い。自分がその位置にいられるように、実社会で学び、自身を高めていきたいと思います。

今僕が早稲田塾生だったら

高校時代は、夢とか将来のこととか、よくわかりませんでした。僕がスタンフォードで見つけられたのは、各国のエリートたちと接する機会があったから。
今、自分が早稲田塾生だったら、「スーパープログラム」や、「公開授業」にどんどん出席しますね。僕がアメリカまで行って得た一番大切なことが、なぜか早稲田塾で経験できる(笑)。早稲田塾に来塾される教授陣は、その大学の学生になっても、簡単には話を聞けないような人たちばかり。高校生のうちに出会えるのは、スゴイことです。ぜひ積極的に大人と出会い、視野を広げてほしいと思います。

田中瑛士

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