まっすぐに挑戦して掴んだ脚本家へのチャンス
いつ、どの作品も「我が子」に恥じないものにしたい

脚本家 皐月 彩

まっすぐに挑戦して掴んだ脚本家へのチャンス
いつ、どの作品も「我が子」に恥じないものにしたい

脚本家 皐月 彩

Profile/AYA SATSUKI

1994年生まれ。エジプト出身。日本大学芸術学部映画学科卒業後、円谷プロダクション『ウルトラマンジード(2017)』の制作に携わり、翌年2018年に脚本家として独立。『ウルトラマンシリーズ』『忍者ハットリくん』など、子ども番組を中心に作品を手掛けている。

脚本家になるために、日芸に入れ!

幼い頃は小説家になりたいと思っていたのですが、中2のときに当時好きだった俳優主催の脚本コンペにミーハー心で応募したところ、採用されてラジオ放送されました。小説は自分一人の表現力だけど、脚本は演出家や俳優の力を借りることで想定している以上の表現が生まれていく。そのことに気づき、以来脚本家志望に。そして、現在の私の“心の師匠”で、私が「日本一の天才」だと思う脚本家の森下佳子氏に「弟子にしてください!」とアタックしたんです。もちろん、何も出来ない中学生を受け入れてくれるはずもなく(笑)。「まずは大学に行くこと。それも東大か日芸(日本大学芸術学部)の映画学科脚本コース(現在は映像表現・理論コース)。地頭が無いと相手は話を聞いてくれないし、大学で誰に師事するかも重要」と言われ…学力的に東大は厳しかったので、日芸専願で受験をしました。

チャンスを活かし脚本家デビュー。徐々に“食える”ように

大学在学中はとにかく早く実績を作りたくて、授業後は図書館に籠もっていかにコンペで勝てるのか、そればかりを考えていました。でも残念ながら在学中には入賞できず、4年生のときに就職活動をしました。作家の池井戸潤さんは銀行員をしていたから、その経験を生かした作品が書けた。私もなにかの業種で“一廉(ひとかど)の人物”になって、それを作品に繋げていこうと考えました。コンサル会社に内定をいただいて在学中からインターンとして働いていたのですが、卒業間際に教授から「特撮ヒーローの制作会社で映像スタッフを募集しているが、どうか」と声をかけられました。内定先の人たちからは「脚本家になりたいんだったら、絶対に行くべき」と背中を押していただいて。内定辞退になってしまうにも関わらず、快く送り出していただきました。

ただその仕事は…ほんとうにキツかったですね!同期は6人で、1週間後には私一人になっていました(笑)。夏頃には「このまま仕事をしていたら、脚本を書く時間が全くない、脚本家になれない」と、劇場版製作作業終了と共に辞めると宣言。すると上司から「だったら、来クールの脚本コンペに参加してみるか?」と言ってもらえました。そうして25本シリーズの1本だけですが、脚本を書けることになったんです。こうしてなんとか脚本家デビューをしたのですが、すぐに脚本だけで“食える”わけではなく…アルバイトや脚本協力などの下働きをしながらコンペに挑戦。徐々にプロデューサーから「また次も一緒に仕事をしましょう」と言っていただく機会も増え、現在の事務所に所属。それからはレギュラーや海外ドラマの脚本の仕事などをいただき、最近ようやく“食える”ようになりました。もちろん、来年どうなっているかは全くわかりませんが…。

日芸に行くなら早稲田塾だ!

脚本家へのスタート地点となった日芸受験。早稲田塾に入ったのは高2の終わり頃、ちょうど高3に向けたAO対策授業が始まる頃だったと思います。 インターネットで「日芸 AO 対策」と検索して、合格者数が多かった早稲田塾に足を運んだところ、講師やスタッフがいわゆる“受験指導”風ではなく、フラットな雰囲気で押し付けがましくない。そんなところが気に入って入学を決めました。

受講したのは、「英単語道場(現・英語特訓道場)」と「AO・推薦入試特別講座(現・総合型・学校推薦型選抜指導)」です。実は、「道場」を受けていたおかげで入試のときに奇跡が。英文を読んで日本語で感想を書くという課題だったのですが、その問題文が道場でやったことのある『TIME』のもの。もちろん、スラスラと回答することができました。

「AO講座」で取り上げるテーマは、芸術のことから社会の情勢まで、幅広い。知らなかったことを知り、そこから派生して気になることを調べたり、講師の意見への賛否を論じたり、毎週しっかりと考える時間をいただけた。このような学びは自分一人ではできないことだったので、早稲田塾に感謝しています。

合格した先輩方の書類を見たことも、参考になりました。と言ってもそれを真似するという意味ではなく、「自分はこうではない、ここが違う」と比較し、改めて自分のスタンスを見直すための方法として。講師やスタッフも「あなたのやるべきことは?」と確認してくれて、同じ学部・学科志望でも画一的ではなく、一人ひとりに対して丁寧に指導していただけた。そもそも日芸は、いわゆる“型に嵌まった”生徒は求めていませんよね。

大学はあくまで通過点。目標のために、“今”に取り組んで

日芸に入って、私は良かったと思っています。学んだことはもちろんですが、その一行の肩書があるだけで、周囲の人の反応が違う。日芸卒の業界人が多いので、自動的にそのチーム下に組み込んでもらえるのはラッキーですよね(笑)。

大学合格は、あくまで通過点です。卒業後にどうするのか定まっていないと、特に日芸のような大学ではあまり意味がない。大学に入ったからといって夢が叶うわけでもないし、そのような考えではそもそも合格するのは難しい。長い目で見て自分が社会にどのような影響を与えたいのか。それを意識しながら、まずは今ある目の前の課題に取り組んでほしいと思います。

夢は「我が子に恥じない作品を作り続けること」

私が小説家を目指したのは、母が私の書いたお話を「面白いね、続きはどうなるの?」と根気強く読んでくれたから。脚本家になってからも、母に楽しんでもらえることはモチベーションの一つです。いずれは、私も子どもを持って母になりたい。そのとき、すべての作品を子どもに恥じないものにしたい。母と我が子と一緒に自分の作品を楽しんで観ることが、今の私の目標であり夢です。

皐月 彩

オリガミクスパートナーズ
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