{literal} {/literal}
GOOD PROFESSOR

大正大学
人間学部 人間環境学科

山内 明美 特命准教授

やまうち・あけみ

宮城県南三陸町出身。慶應義塾大学環境情報学部卒。東日本大震災をきっかけに学んでいた一橋大学大学院言語社会研究科を休学。宮城大学の特任調査研究員として北海道奥尻島の復興事例を調べるなど地元・南三陸の復興にかかわる調査を行う。
専攻は、近代日本の「東北」の位置づけを研究する歴史社会学、日本近代の心性史、東北学。単著『こども東北学』(イースト・プレス) 共著『「東北」再生』(赤坂憲雄氏・小熊英二氏との共著 イースト・プレス)『「辺境」からはじまる 東京/東北論』(明石書店)ほか。

  • mixiチェック
大正大学の学生と南三陸町立志津川中学校での
総合学習(山林で間伐した木材を馬で運ぶ「馬搬」)

「周回遅れの先導者」東北から見えてくる新しい社会構想

――山内明美先生は、近代日本における東北地方の位置づけについて研究する「東北学者」のひとりだ。3.11東日本大震災をきっかけに一橋大学大学院を休学して、被害の実情や復興政策の問題点を調べ、ふるさと南三陸町の復興に直結する「生存基盤研究」をライフワークにしている。その専攻は「歴史社会学」。

わたしは日本の近代化の歴史を「お米」でさかのぼることをテーマとしています。日本はしばしば「後発型近代社会」といわれますが、このような国の特徴としては、短い期間に急速に近代化してしまったため社会状況と人々のメンタルがかみ合わないことがあります。たとえば生まれたときは着物を着て田畑が広がった農村で暮らしてきたけれど、20代になると高速道路や新幹線が走りはじめて都市化が進み、急激な経済成長をとげる目まぐるしい場面転換の中で、人々の心のありようや価値観が急変しています。

また「お米のナショナリズム」も研究テーマです。東北地方がわたしの研究の舞台となります。田んぼが広がって穀倉地帯化していく東北の近代化は、実は第2次大戦後のことです。それまで同じ日本とみなされないくらい辺境として扱われた東北地方は、自ら「価値のある作物」であるお米をつくることで自分のポジションを獲得してきたのです。

産地と消費者を結ぶ食べ物つき定期刊行誌
『東北食べる通信』を発行する
「NPO東北開墾」の理事でもある
先生の著書。凶作の年にお父さんが大事な
田んぼに火を放つショッキングな場面がある
(表紙デザイン:100% ORANGE 及川賢治)

地方と都市ではこんなに違う

こうした東北の風景の変容と精神的なメンタリティーの変容、さらに日本の近代はどのように近代化してきたか、その中でどんなひずみが生まれてきたかについて研究してきました。それらすべての基本になっているのは、自分が体験してきたこと——自分で食べる米や野菜を自分でつくる農家の娘として宮城県南三陸町で育ち、その後東京に出て、大学と大学院に進む中で自分が感じたこと考えたことです。

地方の村落共同体では、いまでも家や村を存続させることが優先です。村の人間関係を支障なくまわし、作物をつくって収穫し、その年の収穫をみんなで祝う。これを滞りなく持続可能的に続けていく。そこには美しさもある一方で、つまらなさもある。もっと外に出て、都会の世界を見たい思いも出てくる。それで、わたしは東京へと出たわけです。

そこで自分がふるさとで過ごしたときの価値観と、東京の価値観があまりにも違うことを思い知りました。村落共同体は人の噂がいつも飛び交っているような人間のつながりが濃密な世界。そこに生きづらさも感じて出てきた東京、そこは自由であるけれども、今度は人との関係があまりに希薄。狭い部屋に何万円もお金を出して住み、隣に誰が住んでいるのかもわからない。空気も食べものもおいしくないし、全部お金で買わなければならない。「お金でしか生活を成立させることはできない」ということは衝撃でした。

同じ国でも地方と都市では社会が違う。価値観が違う。たとえば東京・沖縄と北海道では気候条件もことばの用途も違います。大学に入って2年間、わたしは標準語で議論を構築するのに苦労しました。いままで使ってきた方言は、毎日の喜び悲しみを互いに共有するのが一番大事な使い道です。

ところが都市の生活では自分の感情をあからさまに表現することはむしろタブーです。すると怒ったり泣いたりすることは抑制されてしまいます。

都市と地方は、価値観が180度違うといってもいいのです。これが研究の始まりで、わたしがメンタリティーを見る「心性史」にこだわってしまうのもこのためです。

大正大学は東京・西巣鴨駅近くの仏教系大学
大正大学は東京・西巣鴨駅近くの仏教系大学

地方の価値観、そして地方の文化

――山内先生が『こども東北学』を書いた当時、「30年ぐらい著者は遅れているのじゃないか。一体どういう生活をしてきたんだ」という感想も寄せられた。なかには農村での互助生活を「途上国並み」などという意見もあった。

そもそも食べ物を自らつくる村落共同体というのは互助社会なのです。「進んでいる」「遅れている」などとどう評価されようが、これが今のわたしを作ってきたホームグラウンドの暮らし。海や山という自然と対峙して「きょうは雨だから仕事はできないね」と言い合う。そういう暮らしが21世紀のいまも日本国内には確かに存在しています。そして、それは「貧しい」とは限りません。

それなのに「貧しい」と一方的に切り捨てられがちなのは、戦後この国にまとわり付いた「経済成長」に重きをおく価値観のためでしょう。歴史は進歩していく。経済・社会は良くなり続ける。人々は進歩し続ける——そういういわば「誤解」がまだ残っているように思います。

農漁業は、サラリーマンや工場労働といった賃金をもらう暮らしとは異質な考え方・文化感覚を内在しています。いまは農漁業も企業化する時代になっていますが、農漁業には海の神様や山の神様を継承するという世界観すら息づいています。それぞれ風景も自らつくり守りながら生業をする、そういうひとつの世界であり価値観なのです。ところが土と山と海に日常的にかかわって生きている人たちの生き方は、いまや本当に当事者にしかわかりようがなくなってしまいました。

大震災後、東北の自然が汚染されるとはどういう意味なのかということが、日本社会ではほとんど理解されていない。わたしにとってこれは本当に大きな衝撃でもありました。

大震災による東北における農漁業の生活基盤の喪失は、商品としての作物や魚介がとれなくなるだけではなく、ひとつの文化、ひとつの価値観が喪失されるのと同じなのです。

戊辰戦争の影響で薩長明治政府から長いこと朝敵と見なされた東北地方には、明治以降、工業地帯のような「経済的な豊かさ」を生むものが基本的につくられず、そのため東北地方は1次産業で自分たちを支えていくことになりました。ただ明治以降、ナショナリズムの特徴のひとつである「単一化」の波にさらされなかった部分も有しており、先ほど言ったような農漁業の世界観も残存するということになりました。それは、世界観の多様性という意味では豊かな社会を営んでいたと言えると思います。

江戸時代は、薩摩の人は薩摩方言を、会津の人は会津方言を話し、非常にたくさんの方言と多様な言語が話され、多様な価値観がありました。近代国家は、基本的にシンプルなカルチャーを紐帯としてまとまりを構築していきます。東京方言を標準語として「国語」の教科書をつくる。国語はナショナリズムの強力なツールでもありました。「米をつくること」もツールだったのです。

わたしが高校2年生のとき(1993年)に大冷害がありました。「平成の大冷害」といわれるほどの大凶作で、江戸時代だったら餓死者が出たことでしょう。わたしにとって大きな衝撃で、高校を卒業した後も引きずりました。1993年といえば21世紀です。技術革新も進んでインターネットで世界中とつながるこの時代に、東北の農山村ではこういう自然災害と向き合っているのかと思ったのです。

そもそもお米は熱帯や亜熱帯地域が原産です。寒冷地の東北地方で本来の気候風土に合わない作物をつくる以上、「冷害」との隣り合わせは宿命でした。じつは東北地方が米産地となったのは意外と歴史が浅く、戦後ここ30年のことにすぎません。そして生産は過剰になって米価は暴落していったのですね。

2015年度から地域の課題を解決する専門職を
育てる「地域創生学部」が創設予定

東北は「周回遅れのトップランナー」

――では、東北は「被害者」ということなのでしょうか?

そんな単純な話ではありません。わたしの生まれ故郷・南三陸町などは所得で見ると非常に脆弱です。けれども南三陸の人たちと同じような暮らし——海のものと田畑のものと海のものを交換して、甘いアワビやウニ・米・空気・水を味わう――そういう生活を、都会暮らしの人がするには相当お金を出さないといけません。近代社会は市場主義社会でお金がないと暮らせないような社会をつくりつつ、その一方で個人の自由を担保してきたことも確かにありますが、どこに豊かさの指標を置くかによって価値は全く変わってしまうのです。

近代社会はますます発展し、グローバル化していきますが、そのためにいろいろなものも犠牲にし、多くのものを切り捨てています。たとえば経済的な豊かさを得るためにより多くのエネルギーを使おうとすることにも表れています。すでに、地球が破綻するのではないかと言われているほどです。食糧生産にしても、世界人口は増加する一方なのに、食べられなくて死んでいく人が出ることも前提とするようなシステムになってしまいました。農村社会は、一部とはいえ、まだ互助社会システムを維持しています。

わたしの東北研究をひと言でいえば、こうした市場経済ではとらえ切れないもうひとつの価値観をいかに可視化するか、「いったい豊かさとは何なのか」をきちんと考えましょうということ。もう少し東北地方から、お金だけではない「もうひとつの世界」の価値観を発信したい。それはたぶん、自らが必要なものを自らの足元から作っていく新しい社会構想の試金石になるのではないかと考えています。

――東北地方が被災前の過去に持っていたものを考え直すような限定的なものではなく、未来に応用できるようなものを考えていくということですか。

そう、いわば東北地方は「周回遅れのトップランナー」なんですよ。研究のもうひとつのテーマは、「非常に便利になったけれども、あちこちで無理がきている日本社会をどう工夫していくか」でもあるのです。

「お金はないけれども何か別の方法で工夫して生きる方法」が東北にはあります。自ら海・山に分け入ってものを採ってくるとか、人的なつながりであったりとか。しかし、それらを未来に生かすためには「海を汚さない」「山を荒らさない」ことが絶対条件となります。

自然環境が血肉や栄養となって人の身体をつくるのです。海や土と作物と魚と水が自らの身体とつながっていることまで想像できないと、たとえば福島第一原発事故の重大さが実感としては分からない。そういう身体感覚をもう少し取り戻しておきたい。それなしに新しい社会構想は出てこない――そうわたしは考えています。

こんな学生に来てほしい

現代はいろんな情報が無数にあふれ、そのなかから自分に必要なものを選ぶことが大変になってきました。この「選ぶ」能力を身につけることの必要性が現代学生における苦しさの要因のひとつだと思います。これからの日本社会は今までと違う局面になるはず。ますます国内労働市場も小さくなるでしょうし、日本からアジアへ出稼ぎするケースも多くなることでしょう。

新しく到来するのは親の世代とは違う世界であり、若い人々は未経験の課題を解決して進むことになります。いろんな能力が試されることにもなるとも思います。それを楽しいと思える人もいれば苦しく思う人もいるでしょう。いずれにしても「自分で問題解決する」ことなしには、道が切り拓けない。わたしが求めたい学生は、自ら問題を発見して、それを自分で解決したいと思う人。小さなことでいいのです。まず足元のこと。その積み重ねなのです。


公開日:

※掲載されている教授の所属・役職などは取材当時のものであり、現時点の情報とは異なっている場合があります。