継続的な支援で気仙沼を元気に。
ポジティブな思考と行動で、日本を底上げ!
NPO法人底上げ 理事 成宮崇史
継続的な支援で気仙沼を元気に。
ポジティブな思考と行動で、日本を底上げ!
NPO法人底上げ 理事 成宮崇史
Profile/Takafumi Narumiya
早稲田塾第23期生。都立青山高校卒。中学生の頃、人を笑顔にさせて病気を治す実在の医師、パッチ・アダムスに感銘を受け、福祉や心理系の仕事を志す。立教大学コミュニティ福祉学部では児童福祉を専攻。在学中より埼玉の児童養護施設で児童指導員として勤務し、卒業後正社員に。退職後、飲食店で勤務していた2011年3月に東日本大震災が発災。同年8月、被災地に入りボランティア活動を開始。10月に仲間と共にNPO「底上げ」を設立する。その後宮城県気仙沼市に住み、継続的に復興支援活動を行っている。
※NPO(Non-Profit Organization)とは、営利を関係者に分配せずに、公益的な活動を行う団体のこと。
気仙沼に腰を据えた理由
気仙沼には、もともと縁もゆかりもありませんでした。ボランティアの経験もほぼゼロ。でも、震災があって、実際に見てもいないのに被災地の話をすることに違和感があって。「最低でも3か月はいよう」と決めて、向かいました。
印象的だったのが、気仙沼に入って間もない2011年8月11日。その日は本来大きな夏祭りのある日なんですが、その年は自粛して、代わりに鎮魂の意を込めた花火を打ち上げ、亡くなった人の数の灯籠を流したんです。それをボランティア仲間と一緒に見に行ったときに、皆泣いて。1000以上の灯籠が海に浮かんでいて、「これだけの方が亡くなったんだ」と肌で感じた。「ここで、真剣に頑張らなきゃいけない」という、思いを強くしました。
最初はテント生活をしていて、途中からは地元のバーで居候。店を手伝いながら、毎晩のように地元の方と、泣きながら飲んで語った。そこでも「気仙沼のために」という思いはドンドン強くなっていきました。
その後、仲間と出会って、地域に根づいた活動をすべく団体を結成。NPO法人にしたのは、ひとつは自分達の活動を仕事にするため。ボランティアだと収入が得られず、継続的な活動ができないので。もうひとつには、全国のサポートしてくださる方からの寄付や援助を受けやすい体制を作る、という目的もありました。NPOを実際にやってみて、難しいのはお金の部分。主な経済基盤は寄付金と助成金ですが、お金はいつも集まるとは限らない。なので、やりたいプロジェクトはできないし、団体の継続費用すらないというのが、今の日本のNPOのほとんどが陥っているジレンマです。だから、変えたい。今後は、日本のNPOの現状を変えられる団体になっていけたら、というビジョンがあります。
皆が意識をちょっと変えれば
日本はもっと豊かになる!
「皆が意識を少しずつ、一歩二歩変えるだけで、日本はもっと豊かになる」という思いから、仲間と共にNPO法人「底上げ」を立ち上げました。現在は、小中高生が放課後に集まれる場所づくり「学習コミュニティ支援」と、そこから派生した地元の高校生団体「底上げYouth(ユース)」の活動サポートがメイン。「底上げYouth」では、観光を切り口に気仙沼の町を盛り上げようと頑張っていて、予想以上の成果が出ています。
その他の活動としては、地元の伝統的な塩作りや農家のお手伝い、ボランティアの受け入れなど。僕自身は、気仙沼の語り部として町案内をしたり、地元ケーブルテレビで市民アナウンサーもやっている。加えて、NPOの書類仕事がたくさん。
モットーは「自分が楽しくなかったら、人を楽しませることは絶対できない」。団体を作るときに「ネガティブなことを言わない」って、メンバーと決めたんです。気持ちは言葉に引っ張られると思うから。そう心がけていたらいつの間にか、明るく笑顔で行動している自分と仲間がいました。
主体的に考える早稲田塾生を被災地に案内。
スタッフと感動の再会!
早稲田塾を卒塾して12年、縁あって「オーデュボンアントレプレナープログラム」で、気仙沼の現状を話す機会をいただきました。参加している塾生は、熱い子ばかり。質問なども積極的で、とにかく自分の頭で考えている。何かアドバイスができるとしたら、その思いをぜひ継続して欲しいということ。あとは、焦らないで欲しい。被災地が抱えている問題は、本当に様々で根深くて、一面だけ見ていても、一朝一夕には解決できないものが多い。いろいろな視点を持って見て欲しい。関わり続けて、やっと見えてくるものがあるんです。
ちなみに、このプログラムでは嬉しい偶然がありました。参加者達が気仙沼に来たときに、見覚えのあるスタッフが同行していて、「あれ、前から塾にいませんでしたか?」と聞いたら、「成宮くん?!」って(笑)。塾生時代は部活も学校行事もガッツリ頑張る派だったので、ケア・スタッフには両立をかなりサポートしてもらっていた。そのスタッフと気仙沼で奇跡的に再会して、今はお互い、高校生の自主性を育てる仕事をしている。感慨深かったです。
塾生活を振り返ると……
まっすぐに取り組めば、必ず結果が出る
早稲田塾のイメージは、やっぱり「授業がスゴイ」。普通の形式ではない授業をやっていて、新鮮味があって。一番印象に残っているのは日本史。常に緊張感がある授業で、おかげで不得意だった日本史の成績が上がり、「まっすぐに何かに取り組むことで、必ず結果が出る」ということを学びました。
あと覚えているのは、英語の講師。「この文章には地雷がある。なのに質問にも来ない君達は、どういう気持ちでこの文章を見ているのか?」と投げかけてくる。そう言われると気になって、文章をじっくり読むようになったり、質問にいくように。「与えられたものをこなすだけではなく、自主的に考える姿勢」が塾で身につきました。塾で学んだこれらのことが、今の活動にもつながっています。
将来の<夢>高校生の自主的な活動をサポート、
気仙沼のために活動
震災から3年。気仙沼は今、建物の解体などは進んでいますが、仮設住宅に入っている方がいつ家を持てるのかといったら、まだ見えない状況が。その不安が家庭に入り込んで、子どもに影響が出て……という悪循環も起きている。そんな中で僕達は、高校生達の活動、自分達の町の良さを再発見して観光で町を盛り上げていこうという活動のサポートに、今後も力を入れていきたい。この取り組みは来年、南三陸町でも展開しようと計画中です。
プライベートの方は……よく地元の人に「永住するんですか?」と聞かれるんです。そこで、「まあ、お嫁さん次第ですかね~」と言うと、皆必死にお嫁さんを探してくれて、実際にお見合いをしたことも(笑)。
とにかく、シンプルに気仙沼が好き。ここでの活動を続けていきたい。
――気仙沼名物「日の出凧」柄のTシャツに、地元漁師が使う「ビン玉」がモチーフのネックレスを身につけ、気仙沼を思う気持ち全開で語ってくれた成宮先輩。継続すること、いろいろな視点を持つこと、まっすぐに何かに取り組むこと。すべて「早稲田塾が最初の一歩だった」と語ってくれました。また塾育プログラムで近況を聞くのが楽しみです。
- 継続的な支援で気仙沼を元気に。
ポジティブな思考と行動で、日本を底上げ!