2021年、開業50周年を迎える京王プラザホテル。
新宿の中心地にあるこの老舗ホテルは、優れたユニバーサル対応で業界の先駆けになっていることでも知られる。
そのユニバーサル対応の改修プロジェクトでマネージメントを行ったのが、早稲田塾卒業生で 一級建築士の和田修和氏だ。
「神は細部に宿る」と語る和田氏に、仕事への熱き思い、今後のビジョンを語ってもらった。

一級建築士 和田修和

2021年、開業50周年を迎える京王プラザホテル。
新宿の中心地にあるこの老舗ホテルは、優れたユニバーサル対応で業界の先駆けになっていることでも知られる。
そのユニバーサル対応の改修プロジェクトでマネージメントを行ったのが、早稲田塾卒業生で 一級建築士の和田修和氏だ。
「神は細部に宿る」と語る和田氏に、仕事への熱き思い、今後のビジョンを語ってもらった。

一級建築士 和田修和

Profile/Nobukazu Wada

早稲田塾24期生。
2007年、芝浦工業大学卒業。
2009年、芝浦工業大学大学院修了。
ホテル運営会社でチェーンホテルの運営支援に従事し、その後京王電鉄株式会社へ転職。
以後、所有物件のファシリティマネージメント業務や、
新規ホテルの開発に施主側担当者としてプロジェクトの管理・推進業務に従事。

阪神淡路大震災をキッカケに“まちづくり”に興味を持った

高校生の時の私の夢は、“まちづくり”に関わること。小学生の時、テレビで阪神大震災の映像を見て衝撃を受け、災害から街を守るにはどうしたらよいか考えたことがそもそものきっかけです。高校で志望校を考えたとき、災害に対して何とかしたいという思いから色々調べて都市防災という世界を知り、都市計画に興味を持つように。

大学は工学部土木工学科に進み大学院修了後、ホテルを通じた“まちづくり”に携わりたいと思い、新卒でホテル運営会社へ入社。その後、現職である京王電鉄株式会社に転職。ちょうど立ち上がったばかりの京王プラザホテルの客室改修とクラブラウンジ新設プロジェクトに参加しました。そして現在は、飛騨高山にあるホテルの工事に携わっています。私がこの仕事に就いてから最も大切にしている事は、「人に親切な建物を作る」こと。そのために、建物を使う人の目線を意識しながら細部までこだわり抜くことを心がけています。

改修に携わった京王プラザホテルのクラブラウンジにて撮影

マネジメントは、関係性づくりからはじまる

ホテルの新築や改修のプロジェクトでは設計者だけでなく、デザイナー、施工者といった立場の異なる20〜30名ほどの個性の強いメンバーたちの意見をまとめつつ、予算やスケジュール管理をして、一つのものを作り上げます。一つのプロジェクトを成し遂げるには多くの人の協力が必要だからです。

過去に海外デザイナーと一緒に仕事をした時は、建築に対する文化や考え方が全く違うので認識のすり合わせに苦労しました。カーペットやタイルといった素材選びにしてもコストやスケジュールの認識が違うため、設計者や施工者だけでなく、メーカーの担当者にも打ち合わせに同席してもらい、日本における建材の使われ方の実情をリアルに伝えるなど、時間をかけて理解してもらうことに努めました。立場や考え方がまるで違う業種の人々と様々な議論を通して、信頼関係を築くことも自分の大切な役目で、プロジェクトに関わった全ての人に誇りを感じてもらえるようなマネジメントをするように心がけています。

他にも働き方改革といわれている昨今、特定の会社や個人に負荷がかからないようにハンドリングしたりする時も。メンバーが最高のパフォーマンスを発揮できるように、環境を整えることもマネジメントの1つだと思っています。

繰り返し行われるミーティング風景

時代のニーズに対応する快適・安心なホテルライクを体現

京王プラザホテルでは、都内で増え続けていた高級ホテルに対する競争力強化を目指して、2013年から大規模な改修プロジェクトが動き出しました。その中では、ユニバーサルルーム13室の改修も行われました。大規模なホテルでもバリアフリールームは1、2部屋が一般的で、13室あるというのは業界内でもかなり珍しいと思います。

実は、バリアフリールームの改修はコスト面をはじめ、とても難易度が高く、社内でも慎重な声もありました。しかし、2020年にオリンピックやパラリンピックが控えていたこともあり、改修プロジェクトを進めることに。そして、「人に親切な客室」を目指して細部までこだわりました。

例えば、家具の配置や手すりの高さを決める際には、図面による机上の検討だけでなく、実際に車椅子に乗って、原寸のモックアップで確認しながら設計を進め、車椅子をご利用されているお客様の使い勝手に配慮するようにしました。この他にも、健常者では何気なく使える扉も、車椅子をご利用されているお客様では使い勝手が悪いこともあるので、扉がゆっくり閉まるようにスピードを調整したこともありました。

さらに、ホテルに宿泊するなら、「便利さ」だけでなくホテルならではのグレード感を楽しみ、快適に過ごしていただきたい――そんな思いから、ホテルライクな素材やデザインになるように意識しました。どうしてもバリアフリーを意識すると病院や医療施設のような均一的で個性的でない空間になりやすいのですが、京王プラザホテルでは、ホテルとしてのグレードを表現できたと思います。

正直に言うと、そこまでやらなくてもそれなりの“モノ”は出来る。でも、本当にそれでゲストが快適に過ごせるのか?という事を考えると、細かな部分への配慮が絶対に必要で、手を抜くことはできません。予算やスケジュールの許す中で、プロジェクトメンバー皆がベストだと思えるものを作る。「神は細部に宿る」と言いますが、まさにその言葉の通りだと思います。

おかげさまでこのユニバーサルルームは車椅子をご利用されているお客様をはじめ、多くの方にご利用いただいており、自分の「親切な建物を作る」というこだわりを、少しでも伝えることができたと感じています。建築の仕事は、建物を通して自分たちの考えを形にでき、さらに自分のメッセージやこだわりを伝えることができる。それが1番の喜びです。

また、今回の取り組みは国土交通省で先進事例として紹介されていることもあり、微力ながら自分の仕事で社会に貢献できているのかな、と感じます。

改修に携わった京王プラザホテルのクラブラウンジ

日本初の“ブラックアウト” その時ホテルは…

京王電鉄は、ホテルだけでなく、商業施設や住宅・オフィスビルなどの生活に密着した様々な用途の建物を開発していて、それぞれのコンセプトを担当する人が考えて、建物にこだわりや味を出すことができます。その中で私自身は世に出して恥ずかしくない「人に親切な建物」を作りたい、そして社会から求められることに応えられるような仕事をしたいと考えています。

たとえば、京王プラザホテル札幌のリニューアルを担当した際に、電気設備のリニューアルも同時に行いました。その時には、ただ単に古い設備をリニューアルするのではなく、時代の要望に基づいてBCP※や都市防災を意識して、設備の増強も併せて進めました。

その後、北海道で日本初となるエリア全域に及ぶ大規模停電(ブラックアウト)が起きた時、京王プラザホテル札幌は自家発電機が稼働したため全館停電を逃れたと聞いています。結果的にではありますが、自分が関わった仕事を通して防災に貢献できたことは、今まで都市計画を研究・勉強してきた経験が活きたのではないかと思う瞬間でした。

※BCP…事業継続計画(Business Continuity Plan)。テロや災害、システム障害など危機的状況下に置かれた場合でも、重要な業務が継続できる方策を用意し、生き延びられるようにしておくための計画。

開発に携わった、京王プレリアホテル札幌(北海道)と
高山グリーンホテル(岐阜県高山市)

早稲田塾での担任助手の経験が今につながる

今の仕事にもつながる「都市計画」を知るきっかけとなったのは、早稲田塾の「論文作法(ろんぶんさっぽう)」です。この授業は、一言で言うと、“強烈”そのもの。理系ではなかなか触れない、政治経済や人文科学について議論を重ねることが刺激的で、興味・関心の幅が広がりました。その中で「都市計画」というワードが出てきた時の議論を通して、自分のやりたい事を深めることができたと思います。

また、大学生の担任助手が何かと面倒をみてくれて、色々相談できました。「自分もいずれはこうなりたい」という存在でしたね。だから担任助手に誘われた時は自分でいいのか?と思いつつも嬉しかったです。実際担任助手として運営する側に回ってみて、これは自分に向いているなと。もともと私は相手の表情が気になる方で、わからなそう、つまらなそうな生徒の顔にすぐ気づく。満足してないと気づけばケアしに行っていました。今になって思い返すとこの経験が今のマネジメントの仕事に活きていて、設計会議や全体会議の中で言いたいことが言えていないメンバーが感覚的にわかる。その時に話を振るとちゃんと意見を言ってくれるので、その関係者の思いを共有できて、チームビルディングにつながっていると思います。

早稲田塾にて。塾生時代から担任助手時代まで
たくさんの仲間と思い出ができました。

若い世代のサポートを通じて、自分も成長しながら建築の仕事を楽しみたい

担任助手として後輩の指導をしていた経験から、若い世代をサポートしたいという思いがあり、休日は児童養護施設の子どもたちの進路支援ボランティアを行うこともあります。ここでは色々な業種や価値観の違う人との出会いもあるため、自分が培ってきた能力がどう活きるのか確認する場にもなっています。新しい気付きや刺激があると、成長を実感できますよね。これからも色々な価値観を吸収して、自分の伸び代を確かめてまた建築の仕事に還元したい。未来を作る子どもたちのためにも、よりよい建築、よりよい街を作りたいと思っています。

そんな仕事では、街の表情を変えるようなプロジェクトに携わりたいと考えています。建築の仕事は、これまで見慣れていた風景を自分たちの手で大きく変え、周辺に居住されている方や利用者の方の生活の質を向上させることができる。その風景を想像すると、これからの未来に対してワクワクしますね。

焦りと葛藤の20代を乗り越えた今、高校生へ伝えたいこと

20代の私は思うような仕事ができず、焦ったり迷ったりしていました。30代になり、今ようやく自分の仕事に納得感や肯定感が持てるようになった気がします。高校生は、大学でやりたいことや将来の夢・希望をたくさん持っていると思います。ただ、卒業後すぐには自分が思い描くような活躍はできないかもしれない。でもそこで折れないでほしい。葛藤を乗り越えた先に、新たな場所があります。自分の可能性を自分で決めず、焦らず長い目で見て欲しいです。

和田修和

京王電鉄株式会社
開発事業本部  開発推進部
https://www.keio.co.jp/