刺激的な仲間たちと支え合い、 念願の上智大学新聞学科に合格!

第40期生

菅野 吏紗(かんの りさ)

通塾情報

出身校 自由が丘校
出身高校 法政大学国際高校
部活 なし
タイプ AO・推薦入試対策が目的
夢・目標 ジャーナリストになって人権問題と向き合う

進学情報

受験方式 公募制推薦
大学 上智大学
学部 文学部

――【早稲田塾入学の〈きっかけ〉】憧れの上智大学に行きたい!

大学附属の高校に通っていて、高校入学時はそのまま上に進学するのだと考えていました。でも、親しい先輩が上智大学に合格したのを見て、外部受験が現実的に感じられるように。私も漠然と上智大学に憧れていたものの、無理だろうと諦めていました。でも先輩の合格で「やっぱり上智大学に行きたい!」と決意。その先輩と同じ早稲田塾に通うことにしたのが、高2の1月でした。

――【大学・学部を選んだ〈理由〉】悔し涙で新聞学科受験を決意

子どものときからメディアに興味がありましたが、それが将来の夢として具体化したキッカケは、上智大学のオープンキャンパスでした。文学部新聞学科の模擬授業を受け、実際のテレビ制作実習を体験したら、とても面白かったんです。そこで、担当の教授に私のメディアについての考えや思いを話していたところ、「いや、君はまだまだでしょ」と鋭い指摘を受けて、悔し泣き……。「もっと頑張ろう、ちゃんと勉強して将来はジャーナリズムに携わろう」と強い思いが生まれました。

――【私の〈ハイスクールライフ〉】フィールドワークで人権問題に触れた

新聞学科の公募制推薦に出願するならばフィールドワークが必要と考え、高校生新聞の記者に応募し、取材や記事の執筆をするようになりました。また、横浜にある外国籍の子どもたちが通う塾で、ボランティア活動にも参加。そこに通う子どもたちの中に、オーバーステイなどの理由から親が収監されてしまい、別々に生活せざるを得ずに苦しんでいる子もいると知りました。その状況に問題を感じて、東日本入国管理センターへ取材に。そこで出会ったイラン人と話をしたことが、私の大きな転機になりました。確かにオーバーステイをしているので、収監の事実自体は正当です。しかし、窓のない部屋で、いつまでと期限もわからずにただ拘束されている。「日本人にこの事実を伝えてほしい」と涙ながらに訴えられ、「無力な高校生に頼むくらい切実なんだ」と感じ、人権問題の重要さを痛感しました。その後、高校生新聞で在日外国人についてのコラムを執筆。今後はジャーナリストとして人権問題に取り組みたいと真剣に考えるようになりました。

――【タメになった〈授業・カリキュラム〉】周りの生徒に刺激されモチベーションが上がった

これらの活動経験を活かして大学受験がしたいと考えたこと、また付属校への進学もある程度視野に入れていたことから、AO・推薦受験を選択。早稲田塾では「国公立早稲田小論文」「英語特訓道場」「AO・推薦入試特別指導」を受講しました。

最初のうちは、周りの生徒のレベルの高さに圧倒されっぱなしでした。私には手を挙げて意見を述べる習慣がほとんどなかったけれど、ここではみんなバンバン意見を言うし、それが一々的確だったり、独創的だったりする。私もこの人達のようになれるんだろうか、と不安でいっぱいでした。でも、みんなのレベルの高さに刺激され「私も頑張らないと!」とモチベーションにもなりました。

高校受験のとき、周囲の生徒はライバルでした。でも早稲田塾は違います。志望理由書の作成では、生徒同士のメンタリング(塾生同士意見を交わし合う)で「ここが甘い」「ここは良いから、もっと掘り下げて」といろいろな指摘をもらうんです。ディスカッション形式の授業が多く、自分とは違う専門分野の生徒の意見を聞くことで、ジャーナリズムについて新たな目線で考えられたし、未知の分野への興味も湧いてきました。そうしていくうちに、当初は「ジャーナリズムの影響力を学びたい」という漠然とした志望理由が、「ドキュメンタリーや記事で人権問題を広く世間に知らしめたい」と具体的なものになりました。面接練習では、お互いに面接官役と生徒役を務めることで、「私が面接官だったら、何を聞きたいんだろう」と自分自身のシミュレーションもすることができました。お互いに刺激し、高め合える早稲田塾の環境があったからこそ、合格できたのだと思います。

――【私を支えてくれた〈スタッフ〉】スタッフの一言で受験と真剣に向き合うように

まだ本格的に受験モードに入っていなかった高3の春頃、受付でスタッフから「考え方が甘い」「やればできる、という精神が見え隠れしている」と厳しい指摘を受けました。実際その通りで、付属校特有のゆるさがあり、「私もちょっとくらい大丈夫だろう」と考えていて、受験に真剣に向き合っていませんでした。言われたときは反発を覚えましたが、正しい。でも悔しい。だったら、どうすべきか?を考え、それまで漠然としていた抽象的なものたちを具体的にしよう、とスケジュールや講座への取り組み方をノートにまとめました。スタッフの厳しい一言で、積極的に受験と向き合えるようになったと思います。

――【刺激的だった〈未来発見プログラム〉】「国際ジャーナリスト育成塾」でジャーナリズムのあるべき姿を学んだ

高3で、未来発見プログラムの「国際ジャーナリスト育成塾」に参加。ここでは、ジャーナリズムについての専門知識が付いただけではなく、私自身のジャーナリズムに対する考え方も変わりました。たとえば、「障害を持った人が犯罪者になったとき、障害名を報道するのは人権問題だ」という意見があるとして、それまでの私は「だったら障害名を報道しなければよいのでは?」という短絡的な考え方でした。しかしこの講座で、「報道しないと意義がない。報道した上で、どうすべきか考えることがジャーナリズムだ」と学びました。ジャーナリズムとはどうあるべきか、私はどう向き合っていくのか、この講座を受けて改めて考えるようになりました。

――【将来の〈夢〉】ジャーナリストになって世界の人権問題と向き合う

私は現在、大学1年生です。大学生になると遊ぶ機会も増えますが、推薦入試を経て入学すると、自分の軸はブレない。授業やレポートに対するモチベーションも高く、推薦入試を経験して良かったと感じています。

将来の夢は、ジャーナリストになって人権問題と関わること。具体的にどのメディアとは決まっていないので、残りの大学生活でしっかり考えていきたいと思います。

私の「法政大学国際高校自慢」

かつては女子校だったのですが、共学化し、私の代が第一期卒業生です。国際高校という名の通り留学カリキュラムが充実していて、私も3回短期留学をしました。制服も校則もなくて、髪型やアクセサリーも自由。体育祭はチームカラーに髪を染める生徒も多く、とても賑やかです。他校との交流が密にあって、人との出会いが多い。自分の選択肢を増やすことができる学校だと思います。

私の「上智大学 文学部 現役合格アイテム」

天声人語書き写し、スクラップブック、ノート

天声人語の書き写しは塾で勧められて、5ヶ月ほどやりました。気になった記事はスクラップして、ノートには記事のまとめやわからない単語について調べたことを書く。これも塾のスタッフからの「時事問題はニュースを流し見しただけではわからないから、自分で書き起こしたほうが良い」というアドバイスに従って取り組んだものです。

フォトギャラリー