
論文力を鍛えて早稲田大学合格!AO受験で大きく成長できた
小室 笑凜(こむろ えみり)
通塾情報
出身校 | 新宿校 |
---|---|
出身高校 | 開智日本橋学園高校 |
部活 | スケート |
タイプ | 部活動、生徒会など学校行事と両立 |
夢・目標 | スポーツビジネスに携わる |
進学情報
受験方式 | 自己推薦 |
---|---|
大学 | 早稲田大学 |
学部 | スポーツ科学部 |

――【早稲田塾入学の〈きっかけ〉】母のすすめと先輩の紹介で入学
私自身は、特に塾に行こうと思っていなかったのですが、 高校生になり、 母は塾が必要だと考えてくれていました。ちょうど早稲田塾に通っている先輩がいて、紹介していただいて高1の4月に入学。まずは「英語特訓道場」と「論文作法(さっぽう)」、グループミーティングの授業からスタートしました。
――【早稲田塾での〈生活〉】ズバズバ意見を言い合う環境にカルチャーショック!
私は5歳からフィギュアスケートを続けてきました。毎朝6時から7時30分まで朝練があって、その後1時間かけて登校し、放課後ももちろん練習。ハードな毎日に加えて塾の勉強が加わったので、当時は大変でした!
学校での私は勉強に対して受け身で、他人に何かを発信する機会があまりありませんでした。でも早稲田塾では、自分の意見を言う場がたくさんあります。授業では、上級生・下級生関係なく、お互いズバズバと意見を言い合う。カルチャーショックでした。それに刺激を受けて、自分から積極的に取り組む姿勢が生まれたように思います。
――【タメになった〈授業・カリキュラム〉】知識不足を痛感し、トレーニングを開始
最初のうちは本当に論文が書けなくて、「論文作法」では5人グループのうち3人の生徒から「何を言いたいのかわからない」と言われてしまいました。講師にも「題意から外れている」と指摘され、大ショック。ディスカッションの場でも、そもそもの知識が足りないから的確なことが言えない。自分の出来なさ、知識の無さを痛感しました。そこからは、新聞を読んだり、社説を書き写すなどのトレーニングをスタート。また「東進講座」で世界史と現代文を受講し、知識を増やして読解力を鍛えました。
ようやく論文が書けるかな、と思えるようになったのは、高2の1月から始めた「慶應義塾小論文」のころ。それまでの私は、パラグラフの組み立て方などがあやふやで、自分の「形」「スタイル」を持っていなかった。それをこの授業で固められたことが、大きな成果だったと思います。
――【後輩に〈ひと言〉】AO入試は自分を成長させてくれる
競技と受験の両立は、毎日が睡魔との戦い(笑)。時間がないときは、ランニング中にイヤホンで英単語を聞いたりしていましたね。試合があるときは練習に比重を置いて、それ以外のときは勉強時間を増やすなど、その時々に優先すべきことを選んで、気持ちを切り替えていました。「頑張って両立しなくちゃ!」と思うと、苦しくなります。「こういうことができたらいいな」と楽しんでやることが、大切なのではないでしょうか。
忙しい毎日でしたが、私は受験生活を楽しみました。AO入試は、学力だけではなく人間性も向上する、自分が成長できる入試です。挑戦して良かったと思っています。
【私を支えてくれた〈スタッフ〉】担任助手には何でも相談できた
併願校が不合格で落ち込んでいるとき、スタッフや担任助手と話をすると気持ちが楽になりました。担任助手には、勉強だけでなくスケートのことなど何でも相談できました。スタッフはみな、上級生も下級生も関係なく、いつも平等に接してくれる。約3年間の早稲田塾生活で、自分自身が大きく成長できたと思っています。
――【将来の〈夢〉】スポーツ選手のキャリア形成につながるビジネスをしたい
私を始め、スポーツ選手がよく飲んでいるアミノ酸飲料があるのですが、あるときふと「これほどのヒット商品はどうやって生まれたのだろう?」と疑問が生まれました。そこから、スポーツとビジネスの関わりに興味を持ち、ブームの起こし方、観客の増やし方などについて考えるように。
将来は、スポーツビジネスに携わりたい。フィギュアスケートはオリンピック効果もあり、競技人口が増え、競技会会場が満席になることも珍しくありません。その一方で、プロスケーターが出演するアイスショーはあまり動員できていないのが現状です。また、ジャンプなどの技術ばかりが評価され、本来の芸術性が注目されていない点も、残念に思っています。アイスショーがビジネスとして成功することはスケート選手の安定的な収入を保証するし、その後のキャリア形成にもつながります。私自身は、大学4年間は選手として競技を続けますが、合わせてスポーツビジネスについて学び、スポーツイベントのマネジメントについて考え、実行する力をつけていきたいと思います。