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マスコミで使う「容疑者」「被告」「死刑囚」「さん」…基準はあるの?

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2014年3月、いわゆる「袴田事件」の犯人とされ死刑が確定していた袴田巌さんが冤罪(ぬれぎぬ)だったと裁判所が認め裁判のやり直し(再審)を命じました。事件の経緯自体はこの記事(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140327-00000003-wordleaf-soci)をご覧下さい。

今回ここで分析したいのは袴田さんのように警察に逮捕されてからのマスコミの呼称です。

●容疑者
捜査機関(たいていは警察)が逮捕してから使います。ある嫌疑で逮捕(身柄拘束)したら警察は取り調べて、疑い濃厚と判断したら検察庁へ身柄を送ります。検察庁は検察官が取り調べに当たり、起訴(裁判にかける)して立証できる十分な証拠があると判断したらそうします。マスコミは基本的にこの間、つまり逮捕から起訴までを「容疑者」とします。

この言葉はマスコミ用語で法律用語ではありません。刑事訴訟法などで用いられるのは「被疑者」。ただ捜査機関は逮捕以前も「被疑者」(内々での隠語は「マルヒ」)を使うのに対して、マスコミは逮捕という事実があるまで実名と合わせての報道はしません。事件発生から逮捕までが大きな話題になると「容疑をかけられている男性」ぐらいの報じ方はします。

マスコミが「被疑者」を用いない理由は他にもあります。被疑者は「疑われている者」で疑っている主体は捜査機関。対して「容疑者」は「捜査機関が疑いをかけている者」で客観性が若干あるからです。捜査機関と同じ立ち位置にいるわけではないとの意味が込められているともいえましょう。

●被告
起訴されてから判決が確定するまで。法律用語で刑事裁判(罪と罰を、そのあるなしも含めて決める)における「起訴された人」は「被告人」です。裁判は大まかにいって刑事と民事裁判(もめごと解決)があります。例えば離婚がもめにもめて裁判に持ち込まれた場合、訴えた側が「原告」で訴えられた側が「被告」です。裁判所は原告と被告の言い分を精査してどちらかに軍配を上げるか、和解の案を示すなどします。要するに民事の「原告」「被告」に良い悪いはありません。

これが混同されると少々やっかいです。民事裁判で訴えられたら「被告」になるわけで、これが刑事裁判の「被告」という呼称から連想されて「何か悪さをしたと疑われて裁判沙汰になった」などと誤解を受けるからです。したがって報じる場合、法律用語に正確にしたがうならば刑事の場合は「被告人」民事には「被告」と名称の後につければいいのですが、かえって勘違いを助長しかねません。したがって多くのメディアは刑事「被告人」だけに「被告」の呼称を使い、民事で報じるに値するニュース(有名人の離婚裁判など)では「原告」「被告」という言葉自体をなるだけ使わないよう工夫します。

●死刑囚
袴田さんの場合は死刑が確定したので、つまり裁判は終わったので「被告」からこの言葉へと置き換えられました。死刑囚は拘置所に収監されて執行までの日々を過ごすので、有期刑または無期懲役が確定した者に使われる「受刑者」「服役囚」を用い得ません。懲役(有期または無期)とは罰の一種で、刑法で定められた範囲で裁判所が期間を決めます。長いほど重い罰です。したがって1年、2年と経るにつれて段々と罪を償っていく形となるので「受刑」であるのに対して、死刑囚は何年拘置所にいても罪を償っている形では法的にはないのです。

●さん
袴田さんは裁判所が死刑判決を誤りと認めて裁判のやり直しを決めたので、その瞬間から「死刑囚」ではなくなりました。なので「さん」付けとなります。

もっともこの辺の呼称は微妙な部分もあります。再審決定からしばらくの間、有罪を唱えた検察側が「抗告」(不服申立て)できます。それが認められると再審決定取消もあり得ます。実際そうしたケースも存在しました。1961年に発生した名張毒ぶどう酒事件で犯人とされた死刑囚に対してです。名張毒ぶどう酒事件の際には再審決定後もマスコミの多くが「死刑囚」の言葉を維持しました。その時は検察の抗告でひっくり返る可能性がかなりあると取材側も感じていたのでそうしたのです。袴田事件再審決定後もメディアのなかには慎重に「元被告」を使っているところもあります。

それでも袴田事件再審決定後、大多数のマスコミが「さん」付け表記したのは決定の内容が明確で、検察側に非常に厳しい内容であったのと、「たった今『袴田事件』が起きたら間違いなく無罪だよ」という心証を取材者の多くが抱いているからです。

なお、事件と関係ない部分で「さん」付けには他の理由もいくつかあります。一般的にメディアが人を紹介する場合には「さん」「氏」です。芸能人やスポーツ選手は本業を紹介する時の多くは呼び捨てています。「熱投! 田中将大」のように。ただ本業を離れて善いことをしたら(例えばひったくり犯を捕まえるなど)「さん」付け。ここは一般人と変わらないけれども、逆に不始末をしでかしても「さん」づけになるかもしれません。例えば、芸能人やスポーツ選手がバイクを運転していて木にぶつかって軽いケガをしたというケースなど(警察も問題としなかったとする)。一般人がバイクで木にぶつかっても記事になりません。でも有名人にはニュースバリューが発生してしまうからです。

反対に「さん」付けが妥当でもためらわれるという事例もあるのです。例えば暴力団の組員が射殺されたという事件。被害者なので「さん」付けが本則ながら、もともと反社会勢力にいる者だとどうかとなります。たいていは実名を報じるにしても呼称は「組員」でしょう。

●元被告
再審が始まったら「さん」付けから「元被告」に変えるメディアもあるかもしれません。前出の通り、「被告」だった裁判をやり直すので袴田さんを疑っているかどうかという次元でなく「元被告」と表現した方がわかりやすいという判断が働く可能性があるからです。再審とて裁判なので「被告」でも理屈の上ではいいのですが、ここまでの経緯を推量したり、抗告を退けた後の再審で有罪判決が出るとは到底思えなかったりするというケースでは使いにくいでしょう。

●そもそも何で呼称をつけるのか
袴田事件では逮捕された66年から死刑確定の80年までずっと呼び捨てていました。長い間マスコミは「容疑者段階から刑期満了まで」呼び捨てだったのです。それだと捜査機関の価値観に寄り添っているとか、人権上の配慮がなされるべきとの声が80年代頃から強くなりました。刑事裁判の鉄則は「推定無罪」なので、刑が確定してもいない人物を呼び捨てて「真犯人はこの者で間違いない」との印象を視聴者や読者に与えるのはいかがなものかと。そこで80年代後半から徐々に実名の後ろへ「容疑者」「被告」を付け始めました。この論理だと確定後の受刑者は呼び捨てていいはずですが、配慮を広げて今では「受刑者」などを付します。

でもこれって本当に人権へ配慮しているのでしょうか。呼び捨てを止めて「容疑者」を付けるようになった時に強く違和感を覚えた記憶があります。犯罪者だとの印象を与える点では変わらないのではないかと。

本来ならばマスコミ各社が独自の判断で呼称をつければいいし、例え捜査機関が逮捕し、裁判で罪を問われている最中でも「我々はこの人を犯人とは思っていない」とか「推定無罪だから」という理由で「さん」付けで伝えてもいいはずです。この辺もまた悪しき「マスコミの横並び」体質と批判される部分でしょう。

ちなみに筆者もまたこの原則で呼称を付けています。理由は「そうすれば非難されにくいから」「安心だから」。その意味で筆者にマスコミの批判をする権利はありません。

※記事の内容は執筆者個人の見解であり、早稲田塾の公式見解ではありません。