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GOOD PROFESSOR

上智大学
文学部 哲学科 大学院

荻野 弘之 教授

おぎの・ひろゆき
哲学研究科委員長・中世思想研究所長
1957年東京生まれ。東京大学文学部哲学科卒。東京大学大学院博士課程中退。
東京大学教養学部助手・東京女子大学助教授をへて、99年から上智大学文学部哲学科教授。
著書に『哲学の原風景』『哲学の饗宴』(ともにNHKライブラリー)ほか多数。

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哲学の基本はギリシア古代哲学にある

学生の真剣な眼差しが印象的だった荻野先生ゼミ風景

上智大学文学部哲学科ではまず概論や西洋哲学史などを学んでいくが、哲学史はさらに古代・中世・近代・現代に分かれる。なかでも上智大学では中世哲学の研究を重視しているところが特徴。これは上智大学の開学の精神にも由来する。

そのなかで今回ご登場の荻野弘之教授は主として古代哲学を担当する。そこで講じられるのは、古代ギリシアの哲学やギリシア語、さらにはヨーロッパの哲学についてだ。21世紀のいま古代哲学を学ぶことの意味について荻野先生はこう語る。

「人が哲学的に考えるときの基本的な形態を学ぶということですね。ポスト・モダンな問題を哲学する場合でも備えておくべき考え方のパターンや方法・概念がある。それがギリシア哲学なんです」

それにしても古今東西ひとはなぜ哲学するのか、あえて哲学を学ぼうとするのか――こんな疑問を感じる人も多いだろう。哲学といえば浮き世離れしたものとか難解なことばを駆使するものと考えられがちだ。こうした素朴な疑問に対して荻野先生はこう答える。

「我々がふだん体験していることの意味を自分のことばで問い直してみる。それが哲学です。自分自身をよりよく知っていく作業でもあります。誰もがそういうことに関心を持つわけではありませんが、関心をもって考えることで生活がもっと豊かになる。トータルな意味で〝文化〟とつながっていきます」

哲学は、われわれが日々の生活に追われて何の疑問も感じないでいる常識を根底からひっくり返すことにもなり得る。その歴史を学ぶことは、たとえて言うなら、ふだんは見えないし意識しない人間自身の顔を鏡に映すことにもつながる。

21世紀の混沌のいま哲学を学ぶ人々へ

屈指の立地条件に恵まれた上智大学四ツ谷キャンパス

かつて科学と哲学が分離されていない時代が長く続いた。ヨーロッパにおいてそれらが明確に分かれていくのは19世紀以降というから、そんなに古い話ではない。

「だから詩人ゲーテにも色彩論など科学についての考察があるんですよ」

と荻野先生。そう、哲学とは俗世間から遊離したものでは決してなかった。先生の「トータルな意味で文化とつながっている」とは、そういう文脈上の意味なのだ。

21世紀の混沌のいま哲学を学ぼうとする人の基本的態度として、いま荻野先生が重視しているのは次の3つだという。

【①ことばを大切にする】
「哲学は徹頭徹尾“ことば”ですから」。具体的には語学をしっかり勉強すること。これは哲学書を読む際に翻訳ものではなく原著・原典にふれる必要があるからだ。

【②ディスカッション・討論を重視する】
自分と異なる意見と議論をたたかわせ、相手を説得する。ただし相手を論破する技術を磨くディベートとは違う。あくまでも「説得」を重視する。自分ひとりだけで安易にわかった気にならないこと。

【③柔軟に考える】
口当たりの良いことば(たとえば「地球にやさしい」「みんなで考える」など)の本当の意味を考える。トータルな意味での言語能力と哲学的思考は必要不可欠・不可分なものなのだ。

哲学への入り口は限りなく多様で構わない

上智大学哲学科の定員は50人。一体どのような学生たちが学びに来ているのか。荻野先生はこう話す。

「哲学といっても、最初は漠然としていてほとんどわけが分からないようです(笑)。ただ、これは哲学科に限らず文学部の学生に共通していることですが、『真理を知りたい』という気持ちが強い。そういう学生が多いようですね」

ただ、古代・中世にかぎらず西洋哲学を学ぶためには前述したとおり語学も重要になってくる。外国語をコツコツと学び直すような地道な努力なしに一足飛びに物事の真理を知りたい――ところが人生の真実はそう簡単にはつかめないのだ。

「たしかに多くの学生が語学の壁にギャップを感じるらしいですね(笑)。ただ、これは何としても乗り切ってほしい。学生たちにもよく言っていることですが、哲学への入り口はいろいろあっても構わないのです」

実際のところ荻野教授の下には、じつに様々な学生たちがそれぞれの動機を胸に抱いて哲学を学びに来る。たとえば「つきつめて考えたら人間は〝精密なロボット〟と言えるのか言えないのか」という疑問を抱いて哲学科の門をたたく工学系の学生。あるいは「〝普遍的な美〟とは存在するのか、それとも美的観念は相対的なものにすぎないのか」という命題を追究すべく哲学を学びに来る学生もいるという。

かく言う荻野先生自身の場合は――

「高校生のころからいわゆる哲学的なことに関心がありましたが、ほかにも歴史などにも興味があり、広くは文学部を指向していました」

それが哲学に絞られたのは大学進学後の2年生の後半ごろだったという。そのうえで古代哲学に専門を絞り込む。哲学を志すことになるキッカケとして荻野先生は東大教養部時代の3人の恩師の名をあげた。それから幾星霜――。今度は荻野教授が恩師と呼ばれる立場になった。

哲学を通じての師弟関係が時代を超えて受け継がれていく。この次に荻野先生と師弟関係を結ぶ学生は、現役高校生たる君たちかもしれない。

こんな生徒に来てほしい

自分自身で自主的に考え行動できる人、掘り下げて考えることが好きな人、また有り余る好奇心の持ち主――そんな学生を歓迎します。実利的な考え方の人はあまり向かないかもしれませんね。そして、高校時代に外国文学の大作を読んでみるなど「骨のある読書」を少しはして来てほしいと思います。

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※掲載されている教授の所属・役職などは取材当時のものであり、現時点の情報とは異なっている場合があります。