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GOOD PROFESSOR

国際基督教大学
教養学部 人文科学科

森本 あんり 教授

もりもと・あんり
1956年神奈川県生まれ。79年国際基督教大学人文科学科卒。82年東京神学大学大学院修士課程修了(組織神学)。82年日本基督教団松山城東教会牧師。91年米プリンストン神学大学院博士課程修了(組織神学)。91年国際基督教大学牧師。97年同大学人文科学科準教授。01年より現職。02年プリンストン神学大学院客員教授。主な著作に『ジョナサン・エドワーズ研究』『アジア神学講義』(ともに創文社)『現代に語りかけるキリスト教』(日本基督教団出版局)などがある。

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テロ紛争解決の糸口ともなり得る「アジア神学」

森本研究室がある「教育研究棟」
桜並木が色づく正面からの「マクリーン通り」

国際基督教大学(ICU)における全学部必修科目はただの1科目「キリスト教概論」だけだ。しかもその履修期間は1学期間と短い。日本屈指のキリスト教(プロテスタント)系大学であるICUなら神学・宗教学などの必修科目がずらりと並んでいそうな気もするが、意外に少なくて驚く高校生諸君も多かろう。

この唯一の必修科目「キリスト教概論」を講義するのが今回紹介する森本あんり先生。この講義は非常に人気があって毎回抽選となり、なかには4年次になってようやく受講できたという学生もいるほどだ。そこでは人間存在の本質を説き、ときに旧来のキリスト教教義を批判することもある。その鮮烈かつ崇高なまでの名講義に人生の方途を開くICU学生も多いと聞く。

「そもそも大学教育というのは中世のキリスト教教会から始まりました。大学アカデミズムの母体はキリスト教神学だったのです。しかし当初から神学は教会から距離を置いてきました。教会の権威に縛られない学問的自由はそこで生まれたのです。疑い得ない既成の概念や常識を問い返すこと、それこそが神学の本質です」

伝統的かつラジカルともいえるこの批判精神は森本先生の「キリスト教概論」の講義でも貫かれ、さらに「宗教とテロリズム」のようなアクチュアルな時事問題にまで言及していく。ちなみに、ICUといえども学生の大半を占めるのは非クリスチャンなのは言うまでもない。そうした現代ニッポン学生たちの心もとらえて放さない。もちろん、だからといって徒に反キリスト教的な講義を先生がしているわけではない。人間存在の基底をなすのは宗教心――という深い信念に基づく知的刺激あふれる講義なのだ。

「若い人に限らず日本人の多くが『自分は無宗教』なんて簡単に言いがちですよね。でも、宗教というのは人生の意味を問うものなのです。『人生の価値』や『学ぶことの意味』について考えない人などいませんよね(笑)。だとすると、人生について考えること自体がすでに宗教的な行為をしているとも言えるのです」

「いまや普遍的とされる自由・や平等の理念や民主主義といった諸テーマも、元来はいずれも宗教的次元に端を発しています。たとえば平等について考えても、現実の世界における人間はけっして平等とはいえない状態にありますよね。にもかかわらず『人間は根源的に平等だ』と言い切れるのは、それが宗教的概念に根差しているからなのです」

よく通る低い声で説くように森本先生は語る。その品格あふれる話しぶりに聞くこちら側もつい粛然としてしまうような感じだ。だからといって厳格で厳しいだけではなく、非常に温かい人柄も垣間見える。

アジア神学こそ現代キリスト教の本質

晩秋のある日のICU三鷹キャンパスの一風景

いま森本先生が力を入れている研究テーマは「アジア神学」だ。旧来のキリスト教神学は西洋神学がスタンダードとされ、アジア神学はそのバリエーションのひとつとする考え方が一般的だった。アジア神学にこそキリスト教の本質があるのではないか――先生はこの着想を元に未知の分野に光をあてようとしている。

「日本もふくむアジアは、キリスト教の歴史的最先端の地にあります。そのためか、この地からキリスト教に向けて今さまざまな問いが発せられています。西洋神学では当然とされていた教義に対し、アジア神学からいろいろな疑義が呈されているのです。たとえば『罪と許し』の問題――西洋神学ではあくまで加害者側の問題として扱います。しかし、それでは不十分ではないか、被害者側まで含めて捉えるべきではないか――などとアジア神学においては考えていくわけです」 加害者の「許し」だけでなく、被害者の心に残る「うらみ・つらみ」の感情が解消されてこそ解決する――というのがアジア神学の基本的考え方となる。「罪と許し」問題の解決への方法として、朝鮮半島に伝わる「恨(ハン)」の思想などアジア流の概念に着目する。そして森本先生はこうも語る。

「この研究を通して、世界中で起こっている紛争解決の糸口になれば……」

森本先生にはもうひとつ、ライフワークのようにしている研究として「ジョナサン・エドワーズ」についての研究がある。エドワーズ研究では日本における第一人者と目される。

「エドワーズは、独立前の米国にあって、B・フランクリンとともにその後のアメリカの思想的潮流をつくった人物とされます。フランクリンは雷雨のなかで行なった凧あげの実験でよく知られ、実利的で陽気なヤンキー思想として伝えられていますよね。それに比べると、エドワーズのほうはあまりにも知られていません(笑)。しかしアメリカ・ピューリタニズムを代表する思想家である彼が分からないと、イラク戦争の背景にもなっているアメリカ人の使命意識も分からないのです」

エドワーズのような大きな思想家に若い人たちがもっと関心を寄せてほしいと語る森本先生。そして、研究者の少ないこうした分野に後進が参入してくることも……。

「何を学ぶか」ではなく「何で学ぶか」

ICU学生の集いの場である通称「バカ山」

ゼミ制を採っていないICUの学生たちだが、4年次になると各教員の研究室に配属になって卒業論文の指導を受けることとなる。森本先生の研究室でも毎年8人ほどの学生を受け入れて指導している。その卒論指導、あるいは学部学生の指導も含めて、森本先生がつねに学生に語っているのは、次のような話だという。

「じつは大学で何を学んだのか問うてもあまり意味がないんですね。神学にかぎらず大学4年間で得た知識など社会に出てからほとんど使えないからです。これは私自身の経験からもいえることです(笑)。では大学で学ぶ意味は何かというと、『何を学ぶか』ではなく『何で学ぶか』ということなのです。学ぶことの喜びを知ることであり、学ぶ手段と表現の方法を身に付けることです。これさえ身に付けば、どんな社会に出ても応用が利きます」

ICUはその建学から「リベラル・アーツ教育」を理念に掲げ実践することでつとに知られる。まさにリベラル・アーツを体現しているともいえる森本先生――。人生の方途を開くのにこれほど打って付けな師もあまりいないことだろう。

こんな生徒に来てほしい

大学というのは、生まれてからこれまでの自分の見方や考え方を変える場所ともいえます。大学で4年間学んで何も変わらないようでしたら、学ぶ意味などありません。だから、大学には自分が変わることを期待して来てほしいですね。ICUとしても、あるいは私個人としても、そうした期待に報いるだけのものを用意して待っているつもりです。

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※掲載されている教授の所属・役職などは取材当時のものであり、現時点の情報とは異なっている場合があります。