早稲田塾
GOOD PROFESSOR

慶應義塾大学
文学部 人間関係学系

渡辺 茂 教授

わたなべ・しげる1948年東京生まれ。慶応義塾大学文学部心理学専攻卒。同大学院社会学研究科心理学専攻修了。著書に『ハトがわかればヒトがみえる』(共立出版)『ヒト型脳とハト型脳』(文藝春秋)『心の比較認知科学』(ミネルヴァ書房)など多数。

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動物たちの心を解明する「生物心理学」とは

ある夏の日の慶應大学三田キャンパス

いったい動物には心があるのだろうか? 動物と人間(あるいは生物としてのヒト)とでは脳の機能がどれだけ違うのだろうか?擬人化された動物がアニメ映画やマンガに登場するのは日常茶飯事だが、目の前のペットは本当は何を考えているのだろう。この人類永遠のなぞに「生物心理学」という立場から取り組んでいるのが、今回ご紹介する慶應義塾大学人間関係学系の渡辺茂先生だ。

「ヒトは他の生き物にくらべて優れた脳をもち、心もヒト特有のもの――そんな考え方が長くされてきましたが、私はそうではないと思っています。生物の進化のなかで私たち人間だけが突然に優れた脳と心をもって誕生したのではなく、ほかの動物にもヒトとは違った形で脳や心の機能を備えているのではないか――そういう観点で研究しています」

ヒトと動物との脳の違いについて渡辺先生は、心理学のなかでも認知科学とくに視覚の領域から研究してきた。いろいろな動物が研究対象となるが主に扱うのはハト。ヒトとハトはともに昼間に活動する動物であり、視覚主体で認知を行なうという共通点も実は多い。もちろん脳の構造は違うが、似たような知覚認知機能を持っていることも分かってきた。

「いまから10年ほど前にはまだハトの脳は単純な構造だと思われていました。具体的にいえば、ヒトの脳は6層に分かれて大脳皮質が備わっています。一方ハトは脳の構造として層などなく、また大脳皮質もなく、基底核と呼ばれる部分のみの細胞の塊――当時はそう考えられていたのです」

その後の脳の分析研究の結果、ハトの脳には層などなくてもそれに相当する働きをもつ機能があることが分かってくる。そして旧来の考え方は覆される。

「考えられていた基底核の働きだけではハトの複雑な動きを説明できないという疑問が以前からありました。ヒトの脳よりシンプルなのは間違いありません。しかし脳細胞同士のネットワークの様子を分析していくうちに、ヒトとは違うタイプの作用の仕方でヒトと似たような知覚能力を実現していることが分かってきたのです」。

好みの音楽嗜好をもつ文鳥、もたないハト

伝統ある校舎は活気に満ちている

では、具体的にどのようにしてハトの視覚についての研究を進めてきたのだろうか?聞いてみたところ、シャガールやピカソの名画などを見比べてハトが識別できるかという何とも楽しい実験だったので驚いた。ピカソとモネの絵からピカソを選べばエサが出るという訓練を行なうと、訓練の後では初めて見るピカソの絵でもハトは見事に絵を識別してみせた。

「ハトが絵を識別するとき色で判断しているのか、それとも絵に描かれている物の輪郭で判断しているのか――細かい部分についてはまだ研究の余地があります。しかし何かを手がかりにしてハトが絵を見分けることができることは分かっています。ヒト以外の動物にもさまざまな脳の機能があるという一例が証明されたことになります」

ハトに限らず生物の脳の進化についてはまだまだ未知な分野も多い。これまでは
①魚類の脳はある水準までしか発達していない
②爬虫類の脳はその魚の脳に新しいものがつけ加わったもの
③さらに哺乳類の脳はそういった古い脳に新しいものが加わったもの
――等と考えられていた。しかし今では、爬虫類も哺乳類と同じような脳の基本的な構造をもっていること。それをさらに鳥類や哺乳類はどこをより発達させたかが違っている――そういったことが次第にわかってきた。

そして、複雑な知覚や心といったものがヒト特有ではないということも明らかになりつつある。たとえば文鳥を実験対象とした聴覚に関する研究では面白いことが分かっている。

「文鳥に聞かせる音楽を止まり木ごとに変えてみるという実験をしたところ、音楽的な好みが文鳥にもあることに気づきました。ある止まり木にとまればエサが出るわけではなく、音楽の好みの実験です。どうもシェーンベルクのような現代音楽よりもバッハやビバルディといった古典音楽を選ぶ傾向にあるようです。おそらく協和音で響きがきれいだから選ぶのでしょうが、まだはっきりとは言い切れません。音に対する好みでいえば、ハトには好みの音楽などありません。しかし文鳥に好みがあり、ウグイスやカナリアといった鳴禽類にも好みの音楽があります。これは、複雑な聴覚コミュニケーションをもっている鳴禽類は聴覚が発達しているためだと考えられます」

社会にとって直接的に有益になる研究ではない――自らの研究について渡辺先生はそう言い切る。ただしヒト以外の動物の思考の仕組みや心がわかり、そこから動物としてのヒトのあり方が分かることよって、私たち人間という存在に関してより深い洞察が可能になる。

インタビューを終えたあと渡辺先生は再び研究室に急いだ。たったいま取り込み真っ最中の研究があるらしい。こうした地味な研究のうちに、動物たちと心をわかり合うようになる日が遠からず来るのかもしれない。

こんな生徒に来てほしい

文系・理系という分類にとらわれず幅広い興味をもつ学生に来てもらえるとうれしいですね。学際化が進んでいると言われますが、わたしの専門である生物心理学など文・理が判然としない領域の代表的なものでしょう。何にしても知識はいつか役に立つものですから、分野を限定せずにじっくり勉強してみてください。

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※掲載されている教授の所属・役職などは取材当時のものであり、現時点の情報とは異なっている場合があります。