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GOOD PROFESSOR

東京外国語大学
外国語学部地域・国際講座南・西アジア課程ペルシア語専攻

八尾師 誠 教授

(はちおし・まこと)
1950年札幌市生まれ。77年北海道大学文学部大学院博士課程取得満期退学。78年から80年までイラン帝国文化・芸術アカデミー客員研究員としてイランに赴く。主な著書に『イラン近代の原像』(東大出版会)『イラン「地方史・旅」刊本総目録』(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所)などがある。
八尾師先生が主宰するWebサイトのアドレスはコチラ → http://www.tufs.ac.jp/common/fs/asw/per/staffs/hachioshi.html

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イランの「不思議」と「日常」を読み解く

東京外国語大学多磨キャンパスの全景

日本人から見たときイランという異国のイメージとは一体どのようなものか? 核兵器開発疑惑をめぐりブッシュ米大統領と対決し続ける強面の大統領(アフマディネジャド)のヒゲ面か? 古代ペルシャ文明の末裔としての誇り高き文化遺産か、あるいは中東最強とも称されるサッカーに熱狂する大群衆サポーターの姿だろうか。そしてイラン人観衆で埋め尽くされた観覧席の最上段にはイスラム革命の父・ホメイニ師(A-yatolla-h Ru-holla-h Khomeini)の巨大な肖像画が設けられているのを覚えているはずだ。

79年にイスラム革命評議会を組織したホメイニ師は、シーア派イスラム教の宗教的カリスマであると同時に、イラン・イスラム共和国における初代の国家最高権力者に君臨した人物。89年に没した彼が世紀を越えた現在でもイラン国民をいつも見守っている光景を目にするとき、同じアジアと言いながらも如何にも遠い「異国の風景」を見るような気がするのは筆者ばかりではなかろう。

そもそも彼我の国との間には、その長い地理的な距離で隔てられているように、あるいは人類史上の悠久の年月で隔てられるように、人々の文化や日常生活の面でも決定的な違いがあるのだろうか? 約60回にわたり彼の地に赴いてきたというイラン問題の第一人者・東京外国語大学ペルシア語専攻の八尾師誠先生は暖みのある口調でこう話す。

「宗教や文化・歴史の面については当然それぞれのバックグラウンドがありますから、世界中の各民族・国家は独自の発展を遂げています。でも、そこに住む人たちの日常は日本とそれほど大きく違っているとは思いません。30年余にわたって見てきましたが、イラン人とはどんな人々かと聞かれれば『普通の人々』と答えるしかないでしょうね」

冠婚葬祭の際など「ハレの儀式」を除くと世界に稀に見るほどに信仰から程遠い農耕民族由来の平穏な日常を送る大半の日本国民(一部カルト・新興宗教信者などを除く)からすると、まさに「政教一致」の典型ともいえるほどのイスラム教国(世界的には小数派シーア派が大半)の遊牧民族由来の苛烈な彼の人々の日々は想像を超える真逆にして異様そのものと考えられがちだ。しかし長いあいだ首都テヘランをはじめイランのさまざまな街を歩き地域研究を重ねてきた八尾師先生の実感としては、まさに「普通」に暮らす民衆の姿がそこにある。

八尾師先生が初めてイランの地を踏んだのは78年。まさにイラン・イスラム革命が起こる前年であり、半世紀つづいた中央集権的王朝パフラヴィー朝(Pahlavi dynasty)を打倒せんとする市民による街頭デモやストライキがイラン全土で頻発していたころだ。

「78年(革命前年)11月に研究員として初めて訪れました。たいへんな動乱期で、年をまたいでイラン入国の数ヵ月後に革命が勃発しました。空港から市内へ行くまでにも武装兵士たちに続けざまに検問されたことを思い出します。人々の顔がギラついていて、シュプレヒコールなども方々から聞こえてきて、何だかすごい国にすごい時に来てしまったな(笑)という感じでした」

「イスラム革命」を目の当たりにして

キャンパス内の学食は温かみのある建物

八尾師先生にとってこのイラン滞在こそがイラン研究を本格的に進める動機ともなった。親米路線をとって中東随一の近代化を当時成し遂げつつあったパーレビ国王(Mohammad Reza- Pahlavi)政権がなぜ突如として崩壊の日を迎えようとしているのか? 目の前で起こっている「イラン・イスラム革命」について的確に説明できるだけの学問的な体系と蓄積が当時の日本におけるイラン研究にはあまりにも乏しかった。

このあたり八尾師先生は、そのころの日本社会にとってイランとは単なる石油の供給国であるか、ペルシャ風の異国情緒に対する関心くらいしか持ち合わせていなかったのだろうと分析する。

「わたしが実際に現地を見知っていたということもあるでしょうが、当時の日本マスメディアの報道ぶりにはとても納得できませんでした。とにかくこの地域にかかわる出来うる限りの資料を集めながら、20世紀初頭のパフラヴィー朝王政の時代から現在起こっていることまでのイランの全てをどのような方法・手法によって読み解き説明し得るか?――そういうようなことを今に至るまで模索してきたわけです」

学生自らの「ディシプリン」の獲得を

東京外大名物の正門のモニュメント

八尾師先生が担当するゼミ演習はペルシャ語のテキスト文献を読み進めることが中心となる。恣意的な解釈に阿らないよう、国立大学ならではの少人数制の講義スタイルを生かした厳しい指導がなされる。

もちろんイランの地域研究に関する講義も行なわれる。そのテーマのひとつは「イラン人のアイデンティティー(帰属意識)」。脱イスラム型の急速な西欧化・近代化をめざした世俗的な軍事独裁的王政の時代を起点とし、それを打ち倒す形で「イスラム教神聖政治」「イスラム原理主義」の指標ともなったイラン・イスラーム革命とその後を見渡し、彼の国の人々の意識がどのように変遷・変化していったのかを追求してきた。

自らの講義内容の説明をするとき「ディシプリン」(discipline)という言葉がしきりに出てくる。「学問的な方法・作法」というような日本語訳が付くこの用語が八尾師先生の口から発せられるとき、さまざまな研究アプローチがある中でどのような「方法」を選ぶことによってイランの状況を適切に描写し伝えることができるのか?――そのことに腐心してきた先生の長年にわたる模索・苦闘の姿を物語るようでもある。学生たちには、八尾師ゼミに来たからには独自のディシプリンを獲得してもらうことを願って日々指導しているとも。

「非英語言語の習得のみならず、留学を通して実際に外国に赴く機会に恵まれている点、原語文献を通して世界各地域の研究のノウハウを培うことができる点、学生の6人に1人が外国からの留学生で実際に日本の外部に属する人に触れる機会に恵まれている点――。これらの点において、海外に関する研究をしたい学生であれば日本最高の環境を本学は備えていると思いますよ」

当日のインタビューの間めずらしいイランのお茶とお菓子をご用意いただいた。お菓子は日本風とは程遠い「異郷の甘さ」を感じたが、お茶のほうは普段わたし達が口にするものとそれほど変わらない。

その嗜好品の味が世界的に共通し得るものであることからも、彼の国の人々が我々とそれほど隔たった存在ではないはず。あまりに素人くさい卑近な見方とは承知しているが、率直にそう思ってしまう貴重な体験ともなった。

こんな生徒に来てほしい

まず思い当たるのは、いろいろな意味においてタフな人間であれ! ということです。なにか面白い視点を見つけたとき、それを実際に追求していって具体的な論文などの形に持ち込めるだけの気力と体力をもった若者に来てほしいですね。あとは自ら学び研究していくテーマを自力で設定できる能力・資質でしょうか? なに事も出発点は好奇心! ゼミの卒業生のなかには外務省の専門職に就いて国際的に活躍している人も多くいます。ついでに中東地域のスペシャリストに将来なることを目指す学生にも来てもらえると、教える側としても気合いが入りますね(笑)

公開日:

※掲載されている教授の所属・役職などは取材当時のものであり、現時点の情報とは異なっている場合があります。