早稲田塾
GOOD PROFESSOR

東京理科大学
工学部第一部 建築学科

宇野 求 教授

1954年東京生まれ。’ 84年東京大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課程修了、工学博士。’85年フェイズ・アソシエイツ設立、代表。’94年千葉大学工学部助教授。’01年同教授。’07年より現職。建築家として多数の実作および受賞がある。主な著作に『ストリートスマートな建築へ』(鹿島出版会)『東京計画2011』(共著、鹿島出版会)『技術知の本質』(共著、東京大学出版会)がある。
宇野研究室のURLアドレスはコチラ →
http://www.rs.kagu.tus.ac.jp/~unolab/

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先端と伝統の技術を駆使したデザインで「軽い建築」「軽い都市」を

宇野研究室のある「九段校舎」(神楽坂キャンパス)
校舎のすぐ目の前が北の丸(田安門)という立地

東京理科大学工学部第一部建築学科の宇野求先生は、プロフェッサー・アーキテクト、つまり大学教授かつ建築家である。建築家としての代表作を挙げてみると、別荘建築の「VILLA FUJII」(日本建築学会作品選奨・グッドデザイン賞など受賞)、東京湾岸開発の先駆けのプロジェクトである「幕張新都心住宅地パティオス2番街」(千葉県建築文化賞ほか)、鉄筋トラスという特殊な構造技術によるガラスのオフィスビル「四谷テンポラリーオフィス」、あるいは建築と土木のデザインの融合をはかった都市施設「豊橋駅東口駅前広場」(日本建築美術工芸協会特別賞)など多岐にわたる。いずれも建築都市設計分野での新しい試みや挑戦が評価された設計の建築や施設だ。

これらの建築や都市プロジェクトについて宇野先生は次のように語る。

「建築を構想設計する際、僕は、新しい考え方を導入して、先端的あるいは適正な技術をうまく使うことで、これまでに実現していないタイプの建築は造れないかと考えます。したがって、既存の技術や考え方のみによって『しっかり、きれいに、技巧的に』つくることには、それほど熱心ではないと言えるかもしれません。巨大なモニュメントや永遠の建築を造りたいという考えもありません。時代の変化に柔軟に適用できる、しなやかで軽い建築――たとえていえば、『軽い建築(ライト・アーキテクチャ)』『軽い都市(ライト・シティ)』『軽い生活(ライト・ライフ)』をめざすのがスマート(賢明)だと考えています。省エネと環境に優しくかっこいい建築と暮らし方のことです。その鍵となるのは『技術』です」

そんな先生は、東京理科大学に着任して今年度で3年目になる。同大学の建築学科の印象についても語ってもらった。

「理科大の前身は東京物理学校ですから、物理学の考え方がその基本思想に流れているように感じます。建築学科における教育・研究も、自然科学と工学技術の知見を基盤にした、合理的かつ性能の高い建築をめざそうとする教育・研究が実践されている印象があります」

実社会や建築界でもその評価は高いともいう。宇野先生は続ける。

「近年、建築学科では世代交代が進んでいます。若く優秀な研究者や、建築界で活躍している同窓の若手教員を招聘するなど、積極的な若返りが図られています。ですから学科は比較的若く活発で、それも特色といえるでしょう」

東京理科大学の評判のひとつとして学生の進級が難しく厳しいことが知れ渡っているが……。このあたりを宇野先生に質問してみると――

「そこは噂どおりでしたね」

とニコニコ笑っている。あらためて東京理科大学志望者は覚悟して臨む必要がありそうだ。

江戸―-東京からグローバルなTOKYOへ

牛込橋から理科大「神楽坂キャンパス」を遠望

宇野先生ご自身の大学教授としての研究テーマは、建築と都市の形態学的研究、東京の日本橋や臨海部における建築都市の変容についての研究である。

「およそ150年前まで、僕たちは『木の街』で暮らしていました。つまり木で造った家に住み、橋も船もすべて木で造られていました。また東京の前身である江戸には、無数の運河が張り巡らされていましたが、それは交通と物流が水運によっていたからでした。いわば、『木の街』『水の都』だったのです。そうした江戸の湊、そして東京湾岸の歴史をたどっていくと、その中心には日本橋があります」

「東京でもっとも古く歴史をもつ日本橋地域が、21世紀のTOKYOにあってどんな姿となるべきか? また、『木の街』『水の都』であった江戸のコンセプトを、現代の東京の建築や都市が何らかとも継承するとすれば、現代建築や現代の街づくりはどうあるべきか? 20世紀前期に震災と戦災に見舞われて、東京都心の建築は木造から鉄筋コンクリート造や鋼構造に替わりましたが、更新や代替が可能な建築に対する人々の意識はそれほど変わっていないようにも思えます。劇的に変容し混乱する現代の建築と都市のありようを、大学人かつ建築家として、論理的体系的にクリアにしたいと思います」

「たとえば『昭和時代の建築』は、平成生まれの今の学生から見ると新鮮に映るようです。昭和の住宅は、その邸宅も屋敷も庶民の家も、意匠のスタイルや生活の陰影が多様で魅力的です。戸建てにしてもマンションにしても、漂白された現代の住宅ではお化けなど出そうもありませんし、隠れんぼもできない。便利できれいかもしれませんが、想像力を刺激することがありません。レトロとしてではなく、新しい感覚で昭和時代の建築をとらえ直すこともテーマのひとつです。」

興味深くとてもワクワクするアイデアの数々である。ぜひ、そうした土地の履歴にのっとりつつも新しく現代的な都市空間が実現してほしいものだ。

神田明神の神輿を担ぐと学生の目つきが一変

神田祭でお神輿を担ぐ学生たち

東京理科大学建築学科の学部生は、4年次になると各教員の研究室に配属されて、卒業研究と卒業制作に取り組む。宇野研究室では、毎年10~12人程度の卒研生を受け入れている。

「僕の研究室では、入ってきた学生諸君を①建築の実践②建築の理論③建築の設計手法をテーマとする3つのグループに分けています。各グループに大学院生のチーフが付いて指導にあたり、卒研生各人は定期的に行なわれるゼミで発表とディスカッションを繰り返していきます」

各メンバーの研究テーマ決めについては、宇野先生をはじめ、大学院生・学部生までの研究室全メンバーが出席するディスカッションのなかで決められていく。宇野先生の研究フィールドである「東京臨海部」「日本橋」について分析するテーマ群から選ばれることが多いようだ。
あらためて学生・院生たちへの指導方針については以下のように話してくれた。

「この地球上にはいろいろな形態で人間が暮らしていて、現代日本のように利便性の高い近代建築の恩恵を享受できる人は、必ずしも多くはありません。グローバルに見れば『いろいろな生き方』『いろいろな建築』『いろいろな住み方』があるわけで、それらを建築的にきちんと整理して学生に伝えたいと思っています」

「そもそも大学は、人がまだ解明していないフロント、あるいは最先端の事柄を研究する機関です。その研究方法についてのガイドはしますが、高校までのように何かを教わるところでも教えてくれるところでもないので、自ら調べ考えるようにと学生に繰り返し言っています。建築学は多様な解の成立する分野で、その傾向が強いとも思います」

オリジナルのデザイン意匠が問われる建築家をめざすのであれば、なおのこと自ら進んで取り組む積極性が求められる。

ところで、ここで宇野研究室独特の決まり事をひとつ紹介しておこう。なんと、研究室のメンバー入りの条件として――神田明神の祭礼で神輿を担ぐ――そのことが全員に課せられている。

「伝統行事に対する体感理解や町会役員などとの異世代間交流などを通して、人間的に大きく成長するからです。お神輿を担いだあと、彼らの目つきや姿勢がそれ以前とはまったく変わりしっかりします。効果絶大で一種の通過儀礼なのだと思います(笑)」

幾多ある建築プロジェクトから建築コンセプト、そして学生指導まで、宇野先生独特のユニークさ奥深さの一端を紹介した。まさに一生モノのプロフェッサーの真骨頂を見させていただいた。そんな印象深い取材であったことを報告しておこう。

こんな生徒に来てほしい

建築に知的興味と関心のある人なら誰でも歓迎です。試験の勉強もある程度は必要でしょうけれど、大学生になると、試験成績の結果と専門的評価には直接の相関はないと考えています。絵が「上手」「下手」とか、デザインセンスが「ある」か「ない」かも、あまり適性と関係ありません。建築に関する自らの関心事を粘り強く探求する人であれば、だれにでも建築家や技術者になれる可能性があります。いろいろなタイプの人の違う考え方や、価値観をぶつけて鍛え合うことが大切なので、さまざまな個性の意欲的な若者に来てほしいですね。

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※掲載されている教授の所属・役職などは取材当時のものであり、現時点の情報とは異なっている場合があります。