
明治学院大学
法学部 法律学科
高橋 文彦 教授
1956年埼玉県生まれ。’87年一橋大学大学院法学研究科博士後期課程単位取得退学。’87年立教大学法学部助手。’89年西南学院大学法学部助教授。’94年オーストリア・ザルツブルグ大学哲学研究所客員研究員。’96年西南学院大学法学部教授。’00年関東学院大学法学部教授。’05年より現職。主な著作に『現代法哲学講義』(信山社)『法と身体』(国際書院)『生命の倫理―その規範を動かすもの』(九州大学出版会・以上いずれも共著)『平等とは何か』(訳書・木鐸社)などがある。
高橋先生の主宰する研究室のURLアドレスはコチラ →
http://www.meijigakuin.ac.jp/~fumihiko/jframe.htm
現実の法体系を批判的に研究する「法哲学」


明治学院大学法学部法律学科の高橋文彦教授は、連日のように分単位でスケジュールを消化している超多忙なプロフェッサーだ。その多忙さの理由は、在籍する明治学院大学の法学部と法科大学院での講義のほかに、筑波大学と立教大学の法科大学院、そして中央大学大学院の教壇にも立っているからだ。
そんな高橋先生に、まずは在籍する明治学院大学法学部法律学科の特徴から話してもらった。
「私立大学の宣伝CMにありがちなキャッチフレーズに、『少人数制』というのがありますが、本学の法律学科は文字どおりの少人数制でして、1年次から小クラスに分けて指導しています。また『特別TA(Teaching Assistant)』という制度を設けていまして、大学院生が毎日交代で学部生の相談や指導に当たっています。これなども学生たちに評判がよく、この学科の大きな特徴になっています」
さらに3年次までに規定の単位を取得すると、飛び級で法科大学院に進学できるという制度も特筆ものだ。毎年、数人程度の飛び級進学者がいるという。学ぶ側に立った充実した制度のいろいろが嬉しい。
ところで高橋先生ご自身の専門は「法哲学」である。どんな学問分野なのか? このあたりから説明してもらった。
「現役高校生の皆さんにはとても難解な学問分野で、法についても哲学についてもよく分からない、ダブルパンチのネーミングかもしれませんね(笑)。法律学とは常識的に妥当な紛争解決方法について考える学問ですし、哲学のほうは常識を批判的に考える学問とも言えます。これでは最初から大いなる矛盾をはらんでいるわけで、ちょっと分かりにくいのも無理はありません」
常識的とされる法的思考の論理性を点検していく


そもそも法哲学には3つの分野があるとされる。法や権利・国家とは何かなどを考える「法の一般理論」が第1の分野、社会正義の実現をめざす法の理念について考える「法価値論」が第2の分野、そして法的論理や法的思考について考える「法学方法論」が第3の分野となる。
「つまり、法について原理的に考えること、あるいは今の法体系や国家体制について批判的に考えるのが法哲学になります。純粋な哲学は雲を掴むようなところがありますが、法哲学は現実に即していますから、より身近な問題を扱う学問として興味を持ってもらえるのではないでしょうか」
そう説明してくれる高橋先生が研究テーマにしているのは「法的思考の論理」だ。一体どんな研究なのか解説してもらおう。
「法律家が法を行使するときは、論理的でなければなりません。原告と被告を前にして『被告がかわいそうだから』といった感情的な理由では、法的な議論は成立しません。法的な根拠に則って論理的な判断をくだす必要があります。そのうえで、現実の法廷の場において、法的な根拠を論理的に積み上げての判決が、日々下されているわけです」
「しかし、はたして本当にそう言い切れるだろうか? そこに単なる論理を超えるものはないだろうか? 現実の法的思考は三段論法よりももっと複雑ではないのか? そうした数々の根源的な疑問について常に私は考えているわけです」
それでは、そんなに疑問だらけの法律を学ぶ意義とは何だろうか。こんな素朴な疑問に対して高橋先生はこう話してくれた。
「19世紀ドイツの法学者イェーリング(Rudolf von Jhering)のことばに『法の目標は平和であり、そのための手段は闘争である』というのがあります。要するに、法は手段であって、腕力の強弱や貧富の差に関係なく、誰でもが対等に使える手段なのです。どんなに弱い立場にある人でも、権利さえあれば法律を武器に裁判で勝つことができます。その法律が最終的にめざすのが『平和』ですから、そこにこそ学ぶ意義があるわけです」
法哲学研究のテーマは「何でもあり!」の自由さ

明治学院大学法律学科の専門ゼミ演習は3年次学部生からが対象となる。高橋ゼミについては、例年の受け入れゼミ生は20人あまり。
ゼミ指導に懸ける先生の思いについても伺った。
「ゼミ演習は、情報収集と情報発信の練習の場である――というのが私の基本的な考え方です。そして『法哲学における研究テーマは何でもあり』というのが原則にもなります。ですから格差社会や死刑制度・憲法改正・靖国問題など今日的なテーマから、法哲学の永遠のテーマである自由論や国家論・正義論を取り上げるゼミ生もいます。どのテーマで研究するのかは、それぞれの学生のまったくの自由です。個人研究でもよし、グループ研究でもよしとしています」
高橋先生がゼミ生たちによく言う言葉について聞くと
「常識とされることを疑う態度を保ちなさい」
ということに尽きるとも。そしてインタビューの最後に、現役高校生諸君に向けてこんなメッセージも送ってくれた。
「スポーツでも音楽でもそうですが、最初は基本的な練習を繰り返すばかりで決して楽しいものではありません。法律を学ぶのも同じで、最初のうちは六法全書を引きながらコツコツ学ぶくらいしか方法がありません。しかし飽きずにそれを続けているうちに、楽しさに変わってくる瞬間がやって来ます。法律の学習でも、いつか楽しさに変わってくるのはスポーツや音楽などとよく似ています」
じつはプロフィール欄にあえて記さなかったが、高橋先生の著作には『ウルトラマン研究序説』(共著・扶桑社文庫)というちょっと変わり種のベストセラー本がある。
「なにしろ法哲学の研究テーマは何でもありですから」
そう笑いながら語る高橋先生だが、こんなユニークな著作があることで先生への親近感がグッと増しはしないだろうか。
こんな生徒に来てほしい
まず法律学科の教員の立場から申しますと、コツコツ学ぶタイプの人が向いています。コンスタントにムラなく努力できる人ですね。一方、法哲学に向いているのは、そこから外れてしまうような人になります。いわゆるネクラと揶揄されるような人でも私のゼミでは大歓迎しています。
そうした人ほど社会の諸問題について深く考え、マイノリティーの人々が抱える課題にも視線を注いだり、苦しんでいる人の悩みに共感できる可能性が高まります。そういう意識を持てるからこそ、法律を武器にして社会をより良くするために闘うのに向いていると思うからです。
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