早稲田塾
GOOD PROFESSOR

明治学院大学
文学部 フランス文学科

慎改 康之 准教授

しんかい・やすゆき
1966年長崎県生まれ。’90年東京大学教養学部教養学科卒。’98年同大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程中途退学。’98年東京大学大学院総合文化研究科助手。’99年フランス社会科学高等研究院(EHESS)博士課程修了。’99年筑波大学専任講師。’05年より現職。主な著作に『法の他者』(共著・御茶ノ水書房)『ミシェル・フーコー講義集成8 生政治の誕生』『フーコーその人その思想』(前著ともに訳書・筑摩書房)などがある。
慎改先生が主宰するWebページのURLアドレスはコチラ →
http://www.meijigakuin.ac.jp/~french/shinkai/

  • mixiチェック

「現代思想」を手がかりに「自身からの脱出」をめざす

慎改研究室が入る「ヘボン館」とヘボン博士像
明治学院大学白金キャンパスの本館

今回ご登場願う一生モノのプロフェッサーは、明治学院大学文学部フランス文学科准教授の慎改康之先生である。
まずは所属するフランス文学科の特徴から伺った。

「学科名にフランス文学とうたっていますが、なにも文学分野だけを扱っている学科ではありません。フランスに関するものであれば、思想や哲学・絵画・映画までかなり幅広く自由に研究することができます。この学科では卒業論文が必修ですが、これもフランスに関わるものであれば、テーマの選択は学生の自由に任されています。月並みですが、この『自由さ』こそ、明学仏文の一番の特徴ではないでしょうか」

なお明治学院大学フランス文学科は、「文学・言語論」と「モデルニテ(modernite現代性)」の科目構成による2系列制を現在採用しているが、それを見直そうとしている最中でもあるそうだ。

「現在の2系列をベースにして系列を増やし、より分かりやすいカリキュラム構成にしようと検討しています。この学科はもともと、系列による縛りはあまり強くありませんので、系列を横断した科目選択の自由は残す予定です。各系列でどんなことが学べるのかという方向性を明確にし、どの授業を履修すれば何が身に付くのかをはっきりと示すことが目的であると考えてください」

ここでも「自由」な選択が明治学院大学文学部全体の大きな特徴となっているようだ。

慎改先生自身のご専門は、大きなカテゴリーとしては「現代思想」となる。
具体的には、フランスの哲学者ミシェル・フーコー研究と、映画や絵画などの芸術作品に対する哲学的アプローチである。

「先の見えない時代」だからこそフーコーの全体像を見通したい

パレットゾーンと2号館建物
ヴォーリーズ広場とパレットゾーン

まずは「フーコー研究」のほうから、その内容についてお話しいただいた。

「フーコー(Michel Foucault)は20世紀後半に活動した、思想史上のひとつの分岐点に位置づけられる哲学者であると言えます。彼以前の思想的潮流を思い切って一言でいってしまうなら、サルトル(Jean-Paul Charles Aymard Sartre)に代表される『人間主義』によって特徴づけられます。つまり『人間の本質とは何か』『人間とはどうあるべきか?』等々が特権的な問題として扱われていたということです」
「この人間主義に対して異議を申し立てたのがフーコーで、『そもそも人間とはそれほど重要なものなのだろうか?』という根本的な問いを発します。彼によれば、そもそも人間の重要性が語られるようになったのは、18世紀末ドイツの哲学者カント(Immanuel Kant)の時代からであったといいます。つまり『人間』は、歴史のなかのある特定の時点において特権的な対象となったのであり、したがって今後歴史が重ねられることで立ち消える可能性もあるのだと、主張したのです」

フーコーはスケールの大きい多面的な哲学者・思想家でもある。
彼は、通常の哲学の枠にとどまることなく、性や狂気、監獄・刑罰など様々な領域にわたる研究を数多く残している。

「その研究領域の幅広さゆえに、フーコーの全体像を把握するのは容易なことではありません。わたしとしては、彼が『知』の歴史を研究した60年代と、『権力』『主体・倫理』を扱った70年代・80年代とを、どのように結び付けることが出来るのかという問いを掲げながら、フーコーの仕事全体を通じた一貫性のようなものを見い出せないかと研究を続けてきました」

このフーコー研究に関連して、G・ドゥルーズ(Gilles Deleuze)やJ・デリダ(Jacques Derrida)など、フーコーと同時代の哲学者たちの思想も慎改先生の研究範疇に含まれる。
先生のもうひとつの研究テーマ「芸術作品への哲学的アプローチ」については――

「ドゥルーズの著作のなかに、哲学的観点から映画を扱ったものがあります。非常に興味深い書物で、それに倣って映画について講義したり、学生といっしょに作品鑑賞をしたりしています。M・デュラス(Marguerite Duras)やA・レネ(Alain Resnais)などのフランス映画も鑑賞しますが、わたしの個人的趣味としてはハリウッド製西部劇のほうが大好きなんですね(笑)」
「とくにJ・フォード(John Ford)やH・ホークス(Howard Hawks)などオーソドックスな作品が好みです。あの空と大地、それに馬と牛。それらが登場するだけで何だかうれしくなります。あの空間の広がりと動物たちの躍動感は西部劇特有のものでしょう。ストーリーよりも何よりも、スクリーン上に展開されるあの光景に目を奪われてしまいます」

また慎改先生は絵画への哲学的アプローチも試みている。
こちらもやはり、作品のテーマや画家の意図などよりも、まずはキャンバス上の直接目に見えるものに注目することから始めているという。

先人の哲学・思想から学ぶ「自身からの脱出」のための思考方法

歴史を感じさせるインブリー館
明治学院大学内にはチャペルもある

明治学院大学フランス文学科の専門ゼミ演習は3~4年次の学生が対象である。
慎改ゼミでは、例年3年次ゼミが30人ほど、4年次ゼミが20~25人ほどの陣容となる。

「3年次ゼミでは原書テクストの講読が中心となります。昨年度はF・トリュフォー(Francois Roland Truffaut)の映画作品論を扱いました。そして今年度は、A・バザン(Andre Bazin 映画批評家)の著作にもとづいて、前期はアメリカの西部劇とイタリアのネオレアリズモ(Neorealismo イタリア・ネオリアリズム)を取り上げ、後期は少し哲学的に『映画とは何か』について考えてみたいと思っています。ゼミの進め方は、3~4人のグループごとにテクストの一定量を翻訳・発表してもらい、そこにわたしの方からさまざまなツッコミを入れていくというスタイルです」

原書テクストで扱われている作品を中心にした映画(DVD)鑑賞は講義時間外に行なわれ、その参加は自由。
ただ慎改先生の解説付きで映画の醍醐味を知る絶好の機会でもあり、ぜひ参加したいところだ。

「4年次ゼミも前・後期に分かれます。前期は、フーコーのエッセーを題材に彼のいう『ユートピア的身体』とは何か、『ヘテロピア(普通とは違う異質な場所)』とは何か等について、テクストを講読しながら考察します。後期は卒論指導中心の授業。一人ひとりに自分が特に関心のあることを挙げてもらい、それをフランスとどう結び付ければよいか考えながら、個別面談なども採り入れつつ進めていきます」

あらためて学生たちへの指導方針については――

「わたしが講義やゼミの指導で目指しているのは、何よりもまず、慣れ親しんできた通常のものとは違う思考方法の用い方を学んでもらうことです。たとえば、普段どおりの考え方では解決できない問題が生じた時にどうするのか?一人で考えていても限界があります。そのような場合には先人に学ぶことです。先人の思想や先人の哲学に学ぶ。ただし、ここから学べるのは『思考の方法』であって『解』そのものではあり得ません。問い方を学ぶのであり、正答を与えてもらうのではないのです」

そのような思考方法を体験することで、フーコーが提唱・表現していた「自分自身からの脱出」という哲学・思想領域に近づくことにもなるという。

こんな生徒に来てほしい

こちらから特にこういう人に来てほしいというこだわり・条件などはありません。
ですからゼミには実に多様なメンバーが集まっています。
わたしもそういうゼミ生みんなのことが好きです。
元々わたしの研究内容に興味のない人であっても、興味を持ってもらえるように手を尽くすのも教員としての楽しみでもあります。
あえて困る人を挙げるとすれば、講義やゼミに出てこない人ですね。
それだと、こちらの想いも伝えようがありませんから。

公開日:

※掲載されている教授の所属・役職などは取材当時のものであり、現時点の情報とは異なっている場合があります。