早稲田塾
GOOD PROFESSOR

武蔵野美術大学
大学院 造形文化・美学美術史研究室

玉蟲 敏子 教授

たまむし・さとこ
東京都生まれ。’78年東北大学文学部卒。’80年同大学院文学研究科博士課程前期修了 博士(文学)。同年より’01年まで静嘉堂文庫美術館学芸員(同主任学芸員)。’01年より現職。

おもな著書・受賞として、『絵は語る13 夏秋草図屏風』(平凡社 第16回サントリー学芸賞)『都市のなかの絵』(ブリュッケ 第16回國華賞)『生きつづける光琳』(吉川弘文館)『俵屋宗達』(東京大学出版会 第63回芸術選奨文部科学大臣賞)などがある。

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玉蟲教授の研究室が入る12号館建物
武蔵野美術大学鷹の台キャンパスの正門

サブカルふくむ日本美術の系譜をめざす

今週は、武蔵野美術大学大学院 造形文化・美学美術史研究室の玉蟲敏子教授に登場ねがうことにした。教授が所属する美学美術史研究室では、同大学造形学部生向けの講義と大学院修士課程・博士課程の論文指導を担い、教授自身も学部生向けの講義や大学院生の指導をおこなっているという。

「大学院では、それぞれの学生の専攻や専門分野とうまくマッチングできたら、ずっとマンツーマンで指導していくという形態になります。先年、指導してきた女子学生が博士号を取ったのですが、彼女の研究テーマはなんと『縄文土器』でした。美術史としての縄文土器研究なんて珍しいかもしれませんが、欧米の大学では美術史と考古学がいっしょの学部の場合は結構あるのですよ」

考古学分野における研究テーマのひとつとして確立している「縄文土器」について、あえて美術史研究の切り口から挑んだあたり、女性研究者ならではの感性が感じられる。

「女子学生って偉くなろうといったことはあまり考えていないので、自らの感性で好きなものを追求していったら問題が解決してしまい、大当たりということが多々あります。女性に限らず、そういう無心で自由な研究スタイルが個人的に好きなこともあり、その学生の感覚に合ったことを教えられればそれでよいと思って指導しています」

「この研究をしたい」という学生たちの素直な気持ちや視点をできるだけ尊重し、その後押しをして未知なる研究成果をめざす――そんな後押しができるのも、玉蟲教授が各学生・研究生たちの可能性を信じているからであろう。

池上本門寺での「見学会」にて

「琳派」・酒井抱一を通して見る江戸美術

玉蟲教授の研究テーマはずばり「日本美術史」、なかでも「琳派」についてだ。琳派とは、江戸時代美術の代表的傑作を数々描いた尾形光琳から名付けられた、日本絵画の流派のひとつだ。

そもそも琳派は、その先駆けとなった俵屋宗達・本阿弥光悦らの技法を尾形光琳・乾山兄弟が発展させ、そして酒井抱一がその流れを継承し完成させた。この「琳派」の流れを確立した酒井抱一こそが玉蟲教授の主要な研究対象なのである。はたして、どういう人物だったのだろうか。

「抱一は大名家の次男の生まれなのですが、37歳で出家し僧侶となりながらも、江戸の文化人として生きていました。そのなかで光琳の作品と出合い、いわば光琳復興のプロデュースをしました。抱一自身は『尾形流』という言い方をしていますが、いわゆる「琳派」という美の系譜を発見したのです」

俵屋宗達・尾形光琳は京都で活躍した町の絵師だったが、酒井抱一は江戸で生まれ育ち、江戸で琳派を再興し大流行させた非職業的な絵師であり、プロデューサーでもあった。

「抱一が活躍していた時代は、江戸の都市文化が華やかに繁栄する時期だったので、そこでタイムリーに光琳を復興させたら大人気になってしまったようです」

その当時に酒井抱一が大成功を収めた要因は、彼の才能だけでは語れない。各藩大名による国元の産業の育成政策によって、数多の蒔絵職人や漆職人などの工芸職人が輩出される時代背景もあった。そこに絵画や屏風絵だけでなく蒔き絵や焼き物・扇子・うちわなどのデザインをも手がけ、生活を美化する制作活動がうまくマッチしたのである。

新緑の武蔵野美術大学鷹の台キャンパス

「ドラえもん」背景にある日本文化千年の厚み

ところで、2013年6月に富士山が世界文化遺産として登録されたことは記憶に新しい。遺産登録名は「富士山―信仰の対象と芸術の源泉」。その選出の一翼を担ったのが、江戸時代に活躍した葛飾北斎や歌川広重らの浮世絵の名作群であることは言うまでもない。

こうした浮世絵をはじめ私たちが目にできる江戸時代の芸術作品と、私たちがいま慣れ親しんでいるマンガやアニメなどのポップカルチャーとの間には、関連など一見なさそうに思われがちだ。しかし、その影響は脈々と受け継がれていると玉蟲教授は強調する。

「たとえば皆さんもよく知っている『ドラえもん』という藤子・F・不二雄がつくったネコ型ロボットのキャラクター。これなど日本のアートの歴史を探ってきた私には、平安時代の鳥獣戯画から室町の御伽草子を経由し、さらに江戸の宗達・光琳やポップ・アートが繁栄していく18世紀以降の浮世絵や黄表紙なども経て登場してきたように感じられて仕方ありません。まさに日本文化千年の豊かな厚みがその背景に見えてくるのです」

ところが美術文化を享受し鑑賞研究する人々の多くは、ドラえもんはサブカルチャー、北斎などは江戸の浮世絵というジャンル、黄表紙は絵本の一ジャンルで文学に集約されるなど、分野ごとに区別するに止まりがちなのが実情であろう。ましてや現代サブカルチャーと日本美術の伝統との関係について意識することなどほとんどない。

「浮世絵特有のデフォルメ技法や黄表紙の場面展開の鮮やかさやスピード感、これらは現代マンガに脈々と受け継がれているといえるでしょう。学問的には、そうした分野の横断的な研究をさらに深化させる余地はあると思います。一方で、『日本美』とは、繊細な技術を極めた粋なものという思い込みもあるでしょう。しかし、日本発のサブカルチャーが世界に受け入れられた背景として、受け継がれてきた力強くて親しみやすい美術表現の伝統との関連についても認識し直すべきと思っています」

じつは玉蟲教授の恩師にあたる日本美術史研究の大家・辻惟雄先生(多摩美術大学名誉教授)も、研究分野のひとつとして縄文時代からアニメまでを扱っている。その恩師からの流れをさらに発展させようという思いを持っているらしい。

「世界中で大ヒットしているドラえもんなどサブカルチャー文化を、いつか美術史上にその存在をきちんと位置付けたいとも考えております」

こんな学生に来てほしい

みんなで楽しく美術を勉強したいですね。とくに日本の美術を学びながら国際人をめざそうとする方はぜひいっしょに勉強しましょう。世界中の子どもや大人を幸せにするキャラクターたちがこの自然的・文化的風土でどのように生まれ育ってきたのか、これなど実に面白い研究テーマだと思いませんか。

公開日:

※掲載されている教授の所属・役職などは取材当時のものであり、現時点の情報とは異なっている場合があります。