早稲田塾
GOOD PROFESSOR

明治大学
文学部 心理社会学科

内藤 朝雄 准教授

ないとう・あさお
1962年東京都生まれ。愛知県に育つ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程をへて、現職。初めての著作『いじめの社会理論』(柏書房)で、いじめのメカニズムを解明して注目を集める。『いじめの構造 なぜ人は怪物になるのか』(講談社)は、いじめに関する書籍の決定版となっている。このほか著作には『いじめと現代社会』(双風舎)『<いじめ学>の時代』(柏書房)『学校が自由になる日』(宮台真司・藤井誠二との共著 雲母書房)『「ニート」って言うな!』(本田由紀・後藤和智との共著 光文社)『いじめの直し方』(荻上チキとの共著 朝日新聞出版)『いじめ加害者を厳罰にせよ』(KKベストセラー図)など多数。

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明治大学駿河台キャンパス建物群

人を「怪物」化させる社会システムの秘密

明治大学文学部心理社会学科の内藤朝雄准教授は日本におけるいじめ問題の第一人者として知られる。あらゆる識者がこれまで解明できなかった「いじめの構造」を初めて解き明かしただけではなく、いじめ克服のための具体的な解決方法をも指し示したことでも話題を呼んだ時の人でもある。

この国における小中高の学校システムのなかで生徒たちが生きている世界は、一般的な社会秩序とは別の論理で支配されており、「『みんな』のノリに適っている」ことがルール」と先生は指摘する。だからこそ「いじめで人を死に追い込む者は、『自分たちなり』の秩序に従ったまでのことだ」とも訴えてきた。こうした内藤先生の独創的な分析は、ニッポン教育界に衝撃を与え、マスメディアでも当時大きく取り上げられた。

また、いじめに対する短期的な解決策として「学級制度の廃止」と「法に基づいた加害者の処罰」を先生は提唱する。学校が独自のルールで動いていることを生徒は理解しており、「誰かをいじめるほうがメリットが大きい、という『利害計算』が成立している。得だと思っているから、いじめは続けられる。だからこそ『法』が必要なのである」(『いじめ加害者を厳罰にせよ』 KKベストセラーズ)という内藤先生の明確な分析と指摘は、全てのいじめ被害者を勇気づけた一方で、いつの世も絶望的に危機意識が薄い学校・教師サイドを慌てさせていく。

ニッポン教育の現場でいじめがどうして起きるのか? どんな理屈に支えられ、どんな心理で起こり、どうすれば防ぐことが出来るのかについては、『いじめの構造 なぜ人は怪物になるのか』(講談社)でわかりやすい分析がなされている。ただし精密に組み上げられた理論だけに、その全体像を簡単にまとめて現役中・高生に伝えるのはなかなか難しい。興味のある諸君はぜひ著書にチャレンジしてほしい。その論理について内藤先生は次のように説明してくれた。

「学校は、なにか別のスイッチが入ってしまいがちな空間になっています。腐ったリンゴだらけの樽のなかに新鮮なリンゴを入れるとそのリンゴは腐っていきます。ただしリンゴとリンゴが密着しなければ、つまり腐ったリンゴから逃げる自由がありさえすれば、すべてのリンゴが腐るわけではありません」

内藤先生は、この国における現行の学校制度についても「狭い生活空間に人々を強制収容したうえで、さまざまな『かかわり』を強制」してきたと喝破する。たしかに、生徒たちがそれぞれ学校以外の活動拠点を別に持っていれば、卑怯ないじめに荷担する人など激減することだろう。腐った「場」から離れることが許されるなら「腐らない」という生き方も可能というわけだ。

明大駿河台のシンボル・リバティタワー

高校時代の壮絶な日々が研究のキッカケに

先生がこのような研究を始めた発端は、いわゆる「管理教育」の厳しさで全国的に有名だった地元高校において受けた自身の経験にあるという。当時高校生だった内藤先生を生徒会長に立候補させないために、複数の教師は力ずくで取り押さえるという暴挙に出る。まさにガラスが割れるほどの勢いで頭を窓に叩きつけられるなど、壮絶な高校生活を送ってきた。

「普通の学校に勤めていた普通の教員が、ここに赴任するとすぐに怒鳴り散らすようになり、気にくわない生徒を平気で殴る。逆に優しい先生は他の先生から痛めつけられてしまう。見事なまでに人間性が変わってしまうのを目の当たりにしたんですね。人が群れていく中で『怪物』に変わっていくことを実感したのです」

そう内藤先生は当時を振り返る。しかし内藤先生がその他大勢と違っていたのは、その理不尽な問題を自ら解決しようともがき模索し続けたことにある。

「高校時代の体験は言葉にならない形でわたしの心に記憶されました。それは重荷でもありました。そこで高校を中退してありあまった時間を読書に費やし、少しずつ言語化していったのです。こうして、いじめ問題を体系化するのに20年ぐらいかけています。15歳ぐらいから30代まで。いじめ問題に関連するかもしれないと感じる論点の本があるとして、ひたすら読み解いて頭のなかで事象をつなげていきました。たとえば精神分析で使っている理論を社会学に応用できないかとか、そういう形で読み続けましたから」

自らのこだわりによって導かれたものを次々と手繰り寄せていったので、狭い分野に閉じこもることはなかったという。そうした途方もない努力の結果、内藤先生によるいじめの研究は世界でも類のないものへと結実していく。すでに院生時代から「いじめ研究」における第一人者として注目されていたという早熟ぶり。いわば未踏の地を独りで歩きつづけ、少しずつ実績を積み上げてきた。

「生来わたしは人づき合いが悪くて、一人でこもって生きるような性分の人間です。でも遠い星のかなたに仲間がいると思うようなことも時にはあります。アメリカの心理学者であるスティーブン・ピンカー(Steven Arthur Pinker)は、人間の暴力に関する素晴らしい本を書いています。比較的治安の良いカナダ・モントリオールに生まれた彼でしたが、消防士や警察官によるストライキが起きたときに市民の暴動があっという間に起こったことを目の当たりにしているのです」

「また、スタンフォード監獄実験をやったことで有名な心理学者のフィリップ・ジンバルドー(Philip Zimbardo)もアメリカ生まれですが、青少年が当たり前のようにギャング犯罪者になるような治安の悪い土地に育ち、仲の良かった友だちが次々と犯罪人になっていくの見ながら育ちます。彼はそこから善良な人間が悪人に変貌するメカニズムを研究し始めました」

これら内藤先生をふくめ3人の世界的研究者は、みんな10代における極北的ショックを経験したうえで、社会を変えたいと研究に取り組みはじめ、現在も具体的な社会変革を促しつつある。ニッポンのいじめ問題でも、国の教育体制が多くの問題を抱えているという共有認識の広がりは、内藤先生の活動によるところが大きい。被害者が泣き寝入りをするしかなかった過去の時代からは一歩も二歩も進んだといえるだろう。

明治大駿河台キャンパス前の明大通り

「怪物」化スイッチは簡単に押されてしまう

内藤先生が解明しようとしているのは単にいじめの問題だけではない。ふつうの人間が「怪物」に変身してしまう社会システムについての社会理論研究こそがその根本となる。

「学校のいじめ問題は、社会のなかで人間が残酷さを増して怪物的になるメカニズムを単純な形で示してくれるものでもあります。ここからDNAのメカニズムを解明するために、大腸菌や酵母菌などを使うのと同じような研究手法が成り立ち得ると思うのです」

問題を抱えた社会的環境によって容易に人格が変化していく仕組みを解明できれば、ヒトという生物の怪物化を止めること自体が可能になるかもしれない。たとえば内戦下で虐殺が起こるのを事前に防ぐことだって出来るかもしれないのだ。

「文明化以前の部族的な生活においては、その10〜60%ぐらいの人間が殺人を犯すという文化人類学的な報告もあります。つまり文明がストップをかけているだけで、人間が怪物化する生来のスイッチは簡単に押されてしまうのかも知れないのです。わたしの高校時代の体験も例外ではなく、ここ2百年ぐらいの人権やヒューマニズムに守られた近代社会のほうがむしろ例外で、それは簡単に崩れるのかもしれない。だからこそ、この穏やかな環境を守っていかなければならないと思うのです」

こうして研究だけしている方が楽だとこぼす内藤先生だが、メディアなどでも積極的な社会的な発言をする理由のひとつには、そうした危機感があるらしい。そしてもうひとつ、研究を続けるうえでの「良心の問題」があるとして次のようにも語る。

「人が怪物になる理論をわたしは学校で実際に起こるいじめのデータから構築させてもらっています。それは人道的に実施してはならない実験データと同様のものです。そんなデータが簡単にとれてしまうような学校制度は即刻変えないといけないから、ただデータを集め活用しているだけでは良心の呵責にさいなまれる気分になってしまうのです」

学問の成り立ちイメージを体感できる講義

内藤先生自身は明治大学文学部心理社会学科現代社会学専攻に所属している。「多様化し複雑化する新しい時代に多発する心と社会の諸問題に対応する人材の養成」を目的とする学科カリキュラムが大学URLに詳しく紹介されており、やや珍しい学科構成ともいえよう。

あらためて明治大学心理社会学科について先生は、「心理と社会がつながっているものだという新たな理念でつくられた学科です。人が生きていてグッと押し返してくるもの、そういった抵抗感みたいなものと関係がある学科でもあります」と説明してくれた。そうした人間社会の現実との接点を大切にする心理社会学科において、内藤先生は「人間が怪物となる社会現象」について研究・講義をし続けている。

「担当する授業のなかでは軍隊や家族・民族紛争・レイプの問題などを取り上げています。講義は理論としては論文ほどの完成度を持ち得ません。それは仕方ないでしょう。だからこそ、学問の成り立ちを体感できる講義内容にしているつもりです。ここまでは理論化できているけれど、これから先はちょっと分からない。ここはこう考えることもできるし、こうも考えられる。頭の中からわき出す理論やイメージを実演してみせるわけです」

そうした他に類を見ないユニークな講義に対する学生側の反応について尋ねてみると、「いろいろな学生がいますからね」と内藤先生はほほ笑み、そして次のように言葉を継ぐ。

「じつは学生は講義に出なくても良いとさえ思っているのです。じっさい単位がほしいだけの学生もいますし。一方で『長年、自分のこだわってきた問題が言語化されて嬉しい』と話すような学生も時にはいます。でも、わたしの本なんか読んでも全く感動しないぐらいに幸せな人生を送ったほうが良いに決まっているんですよ」

そう語って先生は楽しげに笑顔をみせる。「自由さが失われた時にいきなり姿を現す怪物」についての社会理論研究を続けつつ教える内藤先生とって、学ぶ側の自由を尊重することはとても大切なことなのだろう。それは、ますます先が見えにくい21世紀を生きねばならない世代に対する暖かい眼差しにも思えた。

こんな学生に来てほしい

自ら勉強会やゼミを組織するくらいの意気込みがほしいですね。こちらから与えられるものを食べるというよりは、自分の欲望を中心に食べ散らかしていってほしいんです。いろいろな野生動物がエサを探すように、アイデアや知識をがっついて食べてほしい。自ら動き回っているうちに筋肉も付いてくるはずですから。若い世代の「栄養」になるような「食べられ役」でありたいとも思っています。逆に無理やり口をこじ開けて「これを食え!」みたいなことは絶対したくないのです。

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※掲載されている教授の所属・役職などは取材当時のものであり、現時点の情報とは異なっている場合があります。