早稲田塾
GOOD PROFESSOR

明治大学
商学部

森永 由紀 教授

もりなが・ゆき
1982年日本女子大学家政学部卒。89年筑波大学地球科学研究科博士課程中退。博士(理学)。専攻分野(研究分野)は気候学・環境科学。

おもな著書には『多元的環境問題論』(共著、ぎょうせい)『社会に飛び出す学生たち地域・産学連携の文系モデル』(明大商学部編、同文舘)『モンゴル遊牧社会と馬文化』(長沢孝司・尾崎孝宏(編)、 日本経済評論社)などがある。

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和泉キャンパス正門付近にある第一校舎
新装なった明大和泉図書館内にはカフェも

「ゾド」「ミナマタ」被害地から学ぶ環境科学

――今週は明治大学商学部において環境科学などを講じる森永由紀教授に登場願う。まずは、所属する明治大学商学部のことから教えていただこう。

ここは賑やかで、とにかくバイタリティーあふれる学部です。さまざまな分野の先生もそろっています。この国を支えるビジネスパーソン養成のために、視野を広く、物事を多角的にとらえられるようカリキュラムが組まれています。ゼミ演習を2年生から2つまで取れるのも特色でしょう。そうした多様な学びのひとつとして、わたしが担当する環境問題についても考えてもらえればと思っております。

――森永教授が今とくに力を入れている研究テーマはモンゴル国における自然災害「ゾド」について。そもそもゾドとはどんな現象なのだろう。

家畜が大量死する現象そのものをゾドと呼ぶことが多いのですが、気象学では家畜が地面の草を食べられなくなるような寒雪害を指します。たとえば雪が深く降り積もった状態や、少し融けた残雪が冷え固まってアイスバーンになった状況のことをいいます。

さらにモンゴルでは冬場は雪を家畜に食べさせて水分を取ることが多いので、雪が降らずにマイナス40度にもなる気温で地上の水が凍りついてしまうと、やはり家畜が大量に死んでしまいます。これらもゾドに含まれます。

じつは小さなゾドは毎年のように各地で起きています。ただモンゴルにおける牧畜業の多くが遊牧民によるもののため、局地的なゾドが起きても遊牧の設営地を移動することにより避けることが出来るのです。ただ全国規模にまで広がったゾドでは避けることができず、全家畜の2〜3割が大量死するに至ることもあるわけです。

――森永教授がゾドに興味をもった経緯については……

もともと専門としていた雪の気候学的研究と重なる部分があり、現地に行けばゾド防止に何か貢献できるかもと思ったのがキッカケです。しかし遊牧民の暮らしを経験してみると、気候学の知識だけで自然災害は防げないことを実感しました。すべての人々が防災を望むのは当たり前と思われがちですが、じつは人や国によって望まれる防災の形は違ってきます。自然災害に対して何をどれだけ備えたいのかは各民族によってあるいは地域によってそれぞれ違いますから。

またモンゴルの人々の家畜に対する意識は日本や欧米などとはかなり違います。こうしたモンゴル人のゾド対策を愚かであるかのように指摘する欧米の報告書もあるほど。欧米の支援グループがゾド対策としてヘリコプターで飼料物資を運んでも、弱っている家畜ばかりに優先的に与えてしまって、結果として群れ全体に飼料が行き渡らずに家畜が全滅してしまうといったケースが出てしまうといった報告ですね。

家畜というのはモンゴルの遊牧民にとって食糧でもあり現金収入の源でもありますから、救える命と救えない命を選別してでき得る限り被害を最小限に抑える——それが当然の判断と思えるでしょう。ところが、モンゴルの遊牧民は必ずしもそうした選別をするとは限らない。文字どおりに家畜を命ある生き物として対等に扱うことが多くあります。弱っている子どもを親が無条件で助けるみたいな感じですかね。

春になって家畜の子どもが生まれても自然の摂理で弱い個体から死んでいきます。ある無骨な遊牧民のおじさんは、瀕死の子羊が少しでも温かくいられるように、子羊を日なたに少しずつ移動させていました。ゲルのまわりを日時計のように日陰がまわり動くのにつれてです。薬を与えるわけでも獣医さんを呼ぶわけでも全然ない。でも、死にゆく羊が寒くないようにと気を配り続けるのです。

――こうした森永教授のゾド研究はモンゴルの現地でどのように生かされているのだろうか。

モンゴルの気象水文環境研究所が実施してきた家畜の数や牧草の生育状況、そのマッピング調査への活用がひとつあります。モンゴルでも全国1500地点で草や家畜などの状況は報告されてきました。ただ計測地点の位置情報が不十分でした。地域の人だけにわかるような(たとえば「小川のほとり」といった)「地名」で記載されていたからです。

こうした調査地点をGPS測定により特定し、衛星画像解析における日本の専門家とともに詳細な牧養図(草の量と家畜の数から見積もる放牧可能頭数の指標)を作製しました。毎年8月に最新の地図が更新発表され、行政や遊牧民の方々にも有効利用されていると聞いております。現在この地図に雪の情報を加えて、さらにゾド対策に役立てられないかについても検討中です。

明大和泉キャンパスの中庭を点描

先進国と遊牧民における家畜に対する意識の違い

――森永教授はモンゴルの遊牧民の生き方そのものにも魅力を感じているそうだ。

すごいな、どうしてこんなふうに他者とつき合うのかなぁなどと思うことは多いですね。それは人間だけではなく、家畜や草木・水との関係でもハッとさせられることがあります。環境について考えることは自らと他者との関わりをどうするのかを考えることに尽きる——わたしはそう考えています。そういう意味でもモンゴル遊牧民から学ぶことは多々あります。

また遊牧民の自然観にも心ひかれるものがあります。すべてを委ねる自然観といいますか、そうした直感のような考え方・生き方があるようなのです。欧米など先進諸国のコントロールする対象としての自然観とは、その向いている方向が違う。だからこそモンゴルの遊牧民はゾドによる家畜の大量死を頭数の自然調整として受け入れてしまう節もあるのですが……

――遊牧民とは逆の意味で、カナダ西部アルバータ州における研究視察も強く印象に残っているとも語る。

アルバータでは牛肉が有名ですが、もともとカナダの牛はヨーロッパ移民により19世紀ごろにヨーロッパやアメリカから連れてきたものです。しかしその当時は寒さから牛はバタバタと死んでいったそうです。やがて牛があまり死ななくなったのは、周辺の人口が増えたことや、野生バイソンが乱獲で減少したことで牛の需要が高まり、牧畜が採算が合うものになったからです。現在のアルバータでは畜産の先進的な研究が進んでいます。なるべく短期間で牛が育つよう畜産試験場は実験を重ね、牧場では専門の栄養士が飼料をブレンドしたりしていますし。

また畜産試験場では、加えて地球温暖化に大きな影響を与えるとされる牛のゲップのなかのメタンガス発生抑制実験などもなされています。そのため牛の胃袋に人が手を入れて調査できるような牛まで飼われているのです。牛の脇腹にスパゲッティー皿ぐらいの丸い蓋が付いていたのには驚きました。精密な実験のために身体中が管だらけの牛もいましたが、相当痛々しくみえます。

欧米では家畜も命あるものとして扱おうとする「動物(家畜)福祉」(Animal welfare)の思想に基づく動きが強まりつつあります。もちろんアルバータの畜産の現場でもそういう配慮が重視されていました。ただ経済性を高めるための実験においては、そういう先進的な思想は後回しになってしまうのです。これは仕方ないこととはいえ、どうしても違和感も付きまといます。モンゴルの遊牧を見慣れているせいかもしれませんが。

それでも夜になればビーフステーキが食卓に出てきたりもするわけです。しかも北米料理は量が多いので食べ切れなくて残したりして……。もう何だか気分が落ち込んで、恩師に子どもじみたメールを出したこともあります。そうしたら「人間は矛盾を抱えながら生きていくしかない……」といった慰めの返信をいただきました(笑い)

和泉キャンパス最寄りの京王線明大前駅

「ミナマタ」で環境問題の原点を考える

――さらには、公害病として有名な熊本県水俣の現地を訪ねる取り組みもしているという。

公害や環境の問題においては、フィールドに足を運んで現実を見てから考えることが非常に重要になります。この授業においては、加害企業である旧チッソ株式会社側からも被害住民・漁師側からも話を聞き、かつては水銀の排水で汚染されていた不知火海において潜ったり、魚釣りをして食べてみたりするというプログラムも組まれています。

これまで水俣病は、社会科学分野において多く研究されてきたテーマでした。しかしこの国の大学商学部に所属し環境科学を理系の立場から研究している者として、水俣病は避けて通れないテーマと考えました。途上国では現在でも水銀汚染がたびたび起きているので、悲劇を繰り返さないためにどうしたら良いのかを考えるためにもこの授業をしています。

この水俣には予想外の学びというものが存在します。言ってみれば「場所の力」でしょうね。いろいろ現地の方々に話を聞くなかで、水俣病を引き起こした原因として「人間の性」がほの見えてくるのです。だからこそなかなか問題が解決しないのだともわかってくるのです。

無力感に襲われた学生が現地で長く患者さんの支援をする方に「再発を防ぐなんて無理かもしれない。いったいどうすれば良いのですか?」などと質問すると、「ずっとやり続ければ良いんですよ。100年でも200年でも」という答えが返ってきたりします。あるいは「問題を忘れるためなら水俣病は解決しない方がいいんだ」なんて返答を聞くことにもなるわけです。

こうしたやりとりの中で、答えがない大きな問題にも時には向き合わなければならないんだ——そういうことをジワジワと実感するようになるようです。今年度からは、こうした水俣をはじめとする日本の公害における学びの結果を英語でまとめてモンゴルの大学生に送り、スカイプ(Skype)を使ってインターネット通話で討論するような発展的な取り組みも始めております。

こんな学生に来てほしい

わたしのゼミは「環境問題」を広く扱っています。「環境ビジネス」は対象外ですが、あとはそれぞれが好きに勉強するようにと学生には話しています。毎年真摯な姿勢の学生が来てくれているので、あれこれ言う必要もないのですが、コストパフォーマンスなどにとらわれ過ぎず、泥くさくものごとに向き合おうとする人が個人的には好ましいですね。

公開日:

※掲載されている教授の所属・役職などは取材当時のものであり、現時点の情報とは異なっている場合があります。