早稲田塾
GOOD PROFESSOR

中央大学
文学部

中村 昇 教授

なかむら・のぼる
1958年生まれ。1984年中央大学文学部仏文科卒。94年同大学院文学研究科哲学専攻博士課程満期退学。98年中央大学文学部専任講師。2000年同助教授をへて05年から現職。 

おもな著書には『ウィトゲンシュタイン『哲学探究』入門』(教育評論社)『ベルクソン=時間と空間の哲学』(講談社選書メチエ)などがある。

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哲学研究室の入る中央大学3号館
中央大学多摩キャンパス点描

多宇宙論に対応する新たな哲学を

――今週の一生モノプロフェッサーには、現代日本を代表する哲学者のひとり中央大学文学部の中村昇教授にご登壇ねがう。まずは専門分野である哲学のことから教えていただこう。

わたしの専門分野は「西洋現代哲学」です。哲学(philosophy)と聞くと何か抽象的な学問だと思われるかもしれませんが、人間の根源的な部分に触れる数少ない学問分野だと思います。何年か前に、改めてそう感じられるひと言をわたしは投げかけられました。

それは、東日本大震災の被災者への精神的なケアを現地でしていらっしゃる、本学心理学専攻の精神科医の先生の言葉でした。物心ついた子どもの頃からずっと漁師でやってきた方が、子どもも孫も生まれにぎやかに暮らしていたのに、あの3月11日の昼、一瞬にして住む家も田畑も持ち船も家族もすべて失ってし まった。もうずいぶん歳をとっているのに天涯孤独になって住む家もなく、これからどうして生きていけばいいのか。

被災地では、100年(あるいはそれ以上の)単位で対処しなければいけない原発処理をはじめとした様々な問題が山積し、老いも若きも皆どうしていいか困り切っている。そんな被災者たちと接してきた心の専門家であるその精神科医の先生は、哲学者であるわたしに対して次のように語ってきました。

「このような驚天動地のときこそ哲学の出番だと思います。哲学というのは、ふだんの人間社会ではさほど役にたたない学問だけれども、本当に追い込まれた時どうしても必要になる学問なのではないでしょうか」

哲学とは、社会全体を、その外側から見つめて「これっていったい何なのだろう?」と常に考えるような学問です。社会の内部では直接役に立つ学問とはとても言えません。会社組織や地域社会のなかで求められる役割に忠実に従って生きるという信条の人には最初から無縁です。しかし人間は、いわば生まれた瞬間に死刑を言い渡された憐れな囚人のような存在なのです。

もしかしたら、すぐ何秒か後に死んでしまうかもしれません。つまり、かろうじて今はただ死を免れているだけの存在なのかもしれないのです。いつそうした絶望的状況に追い込まれるか誰もわからない。しかし、人はそれぞれ生き抜いていこうと前に進むしかない存在なのです。そんな人間の不条理なあり方を研究するのが哲学なのです。

答えなど存在するのかすら実はわからない。でも我々は、それぞれこの問いに、つまり「なぜわれわれは生きているのか?」という問いに立ち向かっていくしかない。「どう考えてもおかしい」と思うことを突き詰めて考え抜くことで、よくわからない現状を、すこしでもマシな状態へと変えていく。そうした思考と実践について基礎的な訓練ができていれば、人々は極限状態でも何かしら心の支えを
見いだして、生き抜くことが出来るとわたしは考えます。

――哲学といってもその範囲は古今東西あまりにも広い。それら人類叡知の蓄積のうちで中村教授ご自身の研究分野については……

「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」という命題で有名な、オーストリア生まれの哲学者・ウィトゲンシュタイン(Ludwig Josef Johann Wittgenstein)、さらには彼とほぼ同年代に活躍したイギリス人哲学者のホワイトヘッド(Alfred North Whitehead)、この両者の考えを長年研究してきました。

この2人に興味を持つようになったキッカケは、編集工学者である松岡正剛氏が30年以上前に主宰していた「遊学する土曜日」という会に顔を出すようになってからなのです。実はこれはわたしが予備校生のときでした(笑い)。

その当時から松岡氏はまさに博覧強記。会の参加者からの手ごわい質問にも明快な答えを即座に返していました。その松岡氏とゲストとの対談のなかで、ウィトゲンシュタインとホワイトヘッドという哲学者の存在を知ったのです。以来ずっとこの哲学者2人を追いかけているのですから、10代の終わりごろに出合う人物や書物というのは本当に一生モノなんですね。

効率や有用性だけではなく、未知の対象をどんどん吸収でき、それらが心の底に強い影響を与えていく。まさに、この年代で出合うことが大いなる意味を持つとわたしは考えます。中高生のみなさんも、過剰な情報とは別に、自分の心に直接訴えてくるものに目をこらすべきだと思います。必ず「自分だけのもの」がどこかにあるはずです。

中央大学多摩キャンパス点描

新パラダイムの基礎となる問題提起をめざす

わたし自身、10歳代のころからあらゆる評論や哲学書、ロシア文学やフランス文学などをむさぼり読んできましたが、読んでも読んでもますます膨らんでくる切実な疑問の数々――「死んだらどうなるのか」「人はなぜ生きているのか」――そういった諸難問に対する回答としては、じつはウィトゲンシュタインをふくめ主な哲学者たちの著作はずいぶん遠いものにすぎません。

人間の生き死にや宗教的なことについてウィトゲンシュタイン自身深く考えていたことが、よくよく研究してみるとわかるのですが、表面的には何も語っていません。しかし裏側から丹念に見ていくと、感じ取ることができるようになります。それが魅力ですし、わたし自身がより深く考え抜いていくうえでの支えにもなっていきました。

わたしのこれまでの講義や研究の内容は、個々の大哲学者が主張していたことを人々にわかりやすく説明し、著書の内容を解説するというようなことが多かったとも言えます。しかし、これからは新しいパラダイムや新しい考え方の基礎になりそうな哲学的理論へ向けて問題提起を進めていきたいとも考えています。

たとえば最先端の物理学・宇宙論の世界では、相対性理論(theory of relativity)と量子力学(quantum mechanics)とに大きく分かれていたものから、いまやそれが統一理論へとシフトしつつあります。いわゆる超弦理論(superstring theory)と呼ばれるものです。

この理論によれば、我々が現在存在する宇宙以外に、もっと多くの宇宙があるのではないか――そういうことになっています。驚くべきこと! ですよね。天動説から地動説にシフトした以来の、とてつもない変化だと思います。そういった「多重宇宙」というまったく新たな世界観に対応できる新しい哲学を構築できればと意気込んでいるのです。

この「新しい哲学」というのは、もっと具体的にいえば、たとえば、「自己同一性=セルフアイデンティティ(self identity)」や「共時性=シンクロニシティ(Synchronicity)」についての問題があると思います。

人間はどうも自己同一的なあり方をしているわけではないのではないか。自らの意志で何もかも決めて生きているわけではない。たとえば「夢」「ひらめき」というものは人間の能動的な思考とは言いにくい。「夢」や「ひらめき」を自分でコントロールすることはできませんからね。わたし自身というものが中心として理性的に心と身体をコントロールしているという従来の考え方はもしかすると間違っていて、わたしという存在は他者との複合体ではないか――そういう考え方もあり得るというわけです。

たとえば芥川賞作家の平野啓一郎さんは『私とは何か――「個人」から「分人」へ』という著作のなかで、「分人」という概念を使って様々な人間が一人のなかの関係性においてカメレオンのように変わっていくという思考パターンを提示します。そういった考え方を含めて、「わたしは他者である」という観点から人間のあり方を考え直してみたいと思っています。

一方でシンクロニシティとは、そこには何も因果関係などないはずなのに、まるで何かしら意味をもつかのように結び合わされている2つの現象のことです。そうした同時に起こる意味のある偶然のことを指します。たとえば小説『タイタン号の遭難』が1898年に書かれ、その後タイタニック号の悲惨な遭難事故が、その小説をあたかも模倣するように実際に起きたように、偶然では片付けられない「偶然」がしばしば起こることがあります。

それらはどうも意味のある偶然なのではないか。そこには何か隠された法則のようなものがあるのではないか。そしてそれこそが、次のパラダイムのカギにもなるのではないか――そのように考えることも出来るのではないかと思っているのです。

『シンクロニシティ』という研究書の著者であるデイヴィッド・ピート(F. David Peat)によると「4次元よりも一つ上の次元では、シンクロニシティを説明できる因果が存在しているのではないか」などと説明しようとしています。ただ、いまのところまったく五里霧中です。しかし、これからは多宇宙的な世界観が新しいパラダイムになるのはほぼ間違いなく、それに対応するような新たな哲学がまだないのなら自分で創り出してみたいという野望は捨てられません。これまでの哲学者たちの考えを勉強してきた者としては、この蓄積を駆使して、この問題に前向きに取り組みたいと考えています。

――自ら担当する講義の様子については……

中央大学文学部の全専攻で受講できる「哲学」の授業では、哲学の一般的なことを話しています。といっても哲学史の概観などではなく、特定の哲学者やテーマをピックアップして講義するようにしています。それも学生の希望もなるべくフィードバックできるよう、興味を呼びそうなトピックを選んで知的好奇心を呼び起こすようにしています。

たとえばフランスの構造主義者であるミッシェル・フーコー(Michel Foucault)について話してくれと言われればそうしますし、「どうして人を殺してはいけないのか」といった直接的なテーマのリクエストなどにも応じます。100人近いマンモス教室での講義なのでなかなか実現できませんが、ときにはディベート形式の授業にも取り組んでいます。

また哲学専攻の選択科目では「現代論理学」を担当しています。20世紀以降に盛んとなった記号論理学(symbolic logic)が中心となります。これは、数学でいう「集合論」の論理学バージョンのようなものですね。なお、語学においてはフランス語担当なので、20世紀最大の哲学者のひとりベルクソン(Henri-Louis Bergson)の短い論文や講演をフランス語で1年かけて読み進めるといったことをしています。

多摩モノレール駅から登校する学生たち

いっしょに「哲学の病」で悩み生き抜こう

――卒業論文のゼミ演習については……

わたしのゼミでは、4年生になるとひと月に一度のペースで中間発表をしてもらいます。12月の半ばが本来の卒論の提出期限ですが、11月にはいったん提出させ、わたしが添削しています。おかげで11月下旬から12月中旬まではわたしも眠れぬ日々が続きます。ゼミ生たちの卒論テーマは人それぞれで、一人の哲学者について扱うものもあれば、一つの哲学的問題にこだわった研究もあります。

具体的には3年生のときに希望のテーマを出させて専門の教員に割り振られるわけですが、深く追究していくにつれて各学生の興味はどんどん変わっていくことが多く、最終的にはわたしの専門とはとても言えないことを研究するようにもなります。

たとえば「お笑い」や「格闘技」のことを突き詰める者も出てきたりします。実は、わたし自身が若いころから演劇や舞踏に興味がありましたし、お笑いも大好きなので、落語も漫才もコントもいくらでも指導できます。また剣道の経験もあり、格闘技も小学生の時からずっと熱心に見てきていますので「裏専門」のようにして卒論指導もできるというわけです。

ちなみに大学院では、ひたすら欧米の哲学書を中心に原典テキストをどんどん読み進めていきます。今年度はホワイトヘッドやベルクソン・レヴィナス(仏 Emmanuel Le'vinas)・ジェイムズ(米William James)について講読しています。

――ところで、文学部それも哲学専攻となると、その卒業後の進路・就職へのイメージが必ずしも明確ではない気もするが……

法学部や経済学部などと比べれば、非常に多様な分野へ就職していますね。マスコミや出版社、高校の先生やいろいろな公務員、刑務官や警察、あるいは大手の銀行など本当に様々です。女性だったら、語学力を生かしてキャビンアテンダントになる人もいます。

これらには原典による講義や講読・演習もさることながら、学部全体の語学プログラムのおかげかもしれません。オーストラリアやニュージーランド・イギリス・中国などへの短期や長期の留学の道も開かれています。また2つの海外留学を体験できるものとして「SENDプログラム」というユニークな制度も好評です。これはまずイギリスに留学し、日本語教育について英語で勉強します。次に東南アジアの国へ行き、日本語を英語で教えるというものです。

もちろん大学院へ進学する人もいます。「失われた○十年」ともいわれる長期不況が続いて大学院へと進む学生が減ったともいわれますが、哲学専攻にかぎっては院生の数にあまり変動はありません。まぁ世の動きなどと関係なく、一定数の学生が「哲学の病」にかかるということなのでしょうか(笑い)。

こんな学生に来てほしい

「人はなぜ生きるのか」「なぜ世界は存在しているのか」――これら人類の永遠のテーマについては、実はどこまで考えても十分にはわかりません。でも、なかなかわからないということを大切にしつつ、とことん考え続けていくのが哲学という学問のやり方なのです。実際の社会における企業組織や地域社会などでは、実際には役立つことのない哲学ですが、ある意味では、人が生きていくうえで一番大切なものだとも言えます。自分の心のなかに湧いてくる疑問が哲学的なものかどうかも含めて、ぜひ一度哲学へのドアを開けてみてはいかがですか。わたしでよければ、その他もろもろ世の中の諸問題もふくめ、ともに考え続けることはできます。実はわたし自身もよくはわかってはいないので、いっしょに悩みながら頑張りましょう。

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※掲載されている教授の所属・役職などは取材当時のものであり、現時点の情報とは異なっている場合があります。