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GOOD PROFESSOR

国士舘大学
政経学部

生方 淳子 教授

うぶかた・あつこ
青山学院大学文学部を経て東京大学人文科学研究科フランス文学修士課程修了。パリ第1大学(パンテオン・ソルボンヌ)大学院にて哲学博士号取得。1998年国士舘大学政経学部経済学科助教授、2008年より同大学教授、同大学院教授を兼任。単著「サルトル『弁証法的理性批判』の生成的および構造的読解の試み」(フランス国立論文出版センター、フランス語)、共著「サルトル読本」(法政大学出版局)、「サルトル、21世紀の思想家」(思潮社)、「死の人間学」(金子書房)、など。

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世田谷キャンパスの新校舎は360度パノラマの
学食もある、光あふれ開放的な設計

高校時代にサルトルに魅せられ、以来、自分の中心に

生方淳子教授の専門分野はフランス哲学。中でも20世紀屈指の哲学者であるサルトルの研究を一貫して続けている。もともと何にでも興味があるほうだが、高校時代にサルトルと出会って、サルトルが自分の中心に居座ってしまったという。「サルトルと出会わなかったら今何をしているだろう、と考えることもありますが、当時は迷いはありませんでした」。きっかけは、何と男子校の文化祭だったという。

「高2の時、隣の男子校の文化祭に行って、『実存主義研究会』という部活の展示室に呼びこまれ、そこでサルトルという哲学者について説明を聞いて妙にピンと来てしまったのです。その後、すぐ本屋に行ってサルトルの本を探しました。見つかったのは『嘔吐』という題の小説でした。その中で、ロカンタンという主人公は公園のマロニエの木の根の前で、存在というものの偶然性と不条理を発見し、吐き気をもよおします。そして、その存在の不条理がまさに自分の存在そのものに当てはまることを知ってあがきます。サルトルは、人間は社会的な仮面をはずせば、理由もなく偶然に存在しているマロニエの根っこと何ら変わらない。外から与えられた価値に満足するな、と訴えていたのです。その頃の私は、自分が自分であるという単純な事実に恐怖を抱いていました。自分という者と別れられず一生付き合っていかなければならないことが恐ろしかった。そんな時ロカンタンの“吐き気”に出あって、これは私の恐怖そのものだ! と感じたのです。そして、その先に何があるのかを知るため『サルトルをどうしても原文で読みたい!』と思って、仏文への進学を決意したのです」

だがその受験勉強中、サルトルの本格的な哲学書である『存在と無』にはまってしまい、問題集よりついそちらを開いてしまう毎日だったそうだ。以来、「ときどき寄り道をしながら」、約40年間にわたりサルトルの研究を続けてきた。それでもまだ、読めば読むほど新しい発見があるという。

「サルトルの著作だけでも小説、戯曲、哲学書、政治的著作、伝記的著作等々と膨大な量なのに加え、それを読み解くためには当時の政治・社会情勢や影響を受けたドイツ哲学や同時代の文学、人文・社会科学など多方面の知識が必要になるんです。博士論文で取り上げ、最近再び読み直しているのが、『弁証法的理性批判』という後期哲学の大著。この本はマルクス主義の終焉とともに無効になったと見なされがちで、資本主義の根本的矛盾を指摘して最近注目されている、経済学者ピケティでさえ否定的なコメントをつけているのですが、私はこの本には21世紀の難局に立ち向かうための深い示唆が散りばめられていると考え、それをどう生かすか、模索を続けています」

創立者柴田德次郎の銅像と老梅が学生たちを
見守っている

誤解されている、国士舘大学のイメージ

国士舘大学はスポーツの強豪校であり、学生はバンカラなメージが強い。哲学やフランス語とは結びつきにくい気がするのだが…。

「皆さんが抱いているイメージは、町田キャンパスや多摩キャンパスにある体育学部のイメージだと思います。オリンピックメダリストなどを多く輩出しているつわものの集まりですが、私がいる世田谷キャンパスには政経学部、法学部、文学部、理工学部、経営学部があり、だいぶカラーが違います。確かにスポーツ好きな学生が多いですが、バンカラというより、今ふうのお洒落で好感度の高い青年が多いですよ。心根が優しくちょっと気の弱いタイプとか、質実剛健でタフなタイプとか、天真爛漫でにぎやかなタイプとかさまざまです。女子学生の比率も年々増えて、キャンパスがはなやかになっています」

国士舘大学学生による国士舘大学学生のための
フリーマガジン「ウゴパン」(年5回発行)

「あの地平線の彼方にいる未来の私と会う約束がある」

「ポリバラント(多価・多目的人間)」と自称し、専門である哲学のほかにも、時事問題、放送通訳、発達心理学など複数の分野で活躍する生方淳子教授は、担当講座も「欧米文化論」や「EU経済論」など多岐にわたる。その中で最も専門に即したものがふたつある。ひとつは大学院で担当している「西洋思想史」。古代ギリシャに遡り、人間の自己に対する反省的まなざしからどのようにして社会科学が誕生したかを問う内容だという。もうひとつは、多学部共通科目の「フランス語中級」。

「フランス語初級の所定の単位を取得して基礎を学び終わった3~4年生に、ちょっとむずかしめのフランス語の本を選んでもらい、少人数で読み解いていく授業です。サルトルを読む年もあれば、美術史を読むときもあり、フランス社会や時事問題を扱って議論になることもあります。大学ならではの贅沢な授業で、最高に楽しいですよ」

生方淳子教授が心がけているのが、「教えない授業」だという。それはどういうことか。

「学生が受け身で聞くのではなく対話しながら自分で学ぶ、インタラクティブ(双方向的)な授業です。例えば経済学科2年生のゼミでは、アカデミック・スキルを身につけることを目標にしていますが、私がするのは、学生達の問題意識を引き出し、リサーチや考察の方法についてヒントを与えること。あとはゼミ生自身が互いに情報交換したり試行錯誤したりしながら資料を作成し、プレゼンをし、議論へと進めていきます。最初は自信なげにうつむいていた学生が、1年間で目に見えて成長し、堂々と発表できるようになります。

今は、新聞も読まずテレビの報道番組も見ず専門書も探さず、情報はもっぱらネットで、という学生がとても多い。ITを使いこなすのはお手の物ですが、紙媒体やテレビはもう古いと思っているようです。でも、古いメディアには、必ずしも電子的に得られない情報の蓄積があり、時間をおいてこそ可能な伝え方があります。また、ソーシャルメディアでの情報発信も気軽に行っている学生達ですが、学問の世界では、研究成果の発信には必ず守るべき厳密なルールがあります。社会に出る前にそうした世界を垣間見ることは、人材としての自分の価値を高めることだと、自ら気づいてほしいと思っています」

「学生の成長が目に見える時が一番嬉しい」と語る生方淳子教授。

「元ゼミ生が、資格試験合格や就職内定、大学院合格などの報告に来てくれた時が教師として最高に嬉しい瞬間ですね」

そんな未知の可能性を秘めた若い人にぜひ伝えたいメッセージがあるという。

「抽象的で実際の役に立たないと思われがちな哲学ですが、サルトルの本には、生きる希望、特に若い人に対するメッセージがたくさん含まれています。人間は一瞬一瞬、自分を乗り越え、未来へと自分を投げかけて生きている。さまざまな制約があるかもしれないが、その困難な状況でこそ輝く自由がある、とサルトルは言います。私が特に好きなのが、ある戯曲の台詞。『あの河、あの山の向こう側で、未来のぼくがぼくを待っている。』という名言です。未来の自分自身と会う約束。今、志望校をめざして頑張っている皆さんにも、地平線の向こうにいる未来の自分といつか必ず会うという約束をしてほしいですね」

研究室の本棚はフランス哲学関係の本が並ぶ

こんな学生にきてほしい

哲学という学問は「常識として通用していることを、あえて疑問視し掘り下げて考える学問。即戦力が求められている現代に、逆行していますね」と苦笑するが、最近、日本でも欧米やアラブ諸国でも、若いサルトル研究者が増えている、とも指摘する。「現代世界は技術やマネーで解決しきれない深刻な問題を抱えています。以前流行したような知的遊戯としての哲学ではなく、環境、宗教、貧困、差別、テロ、死といった重いテーマを根本的に見つめ直す本物の思考がむしろ求められているのかもしれません」

そんな生方淳子教授が来てほしいと考えているのが、優等生ではなく「のびしろのある学生」。
「今まで勉強はそれほど好きでなかったけれど、自分をここで終わりにしたくない、自分にはもっと可能性があるはずだと感じている学生に、ぜひ来てほしい。そういう学生は、大学で本気で取り組めるテーマを見つけられれば、ぐんぐん伸びると思います」。

公開日:

※掲載されている教授の所属・役職などは取材当時のものであり、現時点の情報とは異なっている場合があります。