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GOOD PROFESSOR

東京学芸大学
教育学部 総合教育科学系 教育学講座 生涯教育学分野

山口 源治郎 教授

やまぐち・げんじろう
名古屋大学大学院教育学研究科博士課程修了、札幌大学女子短期学部講師を経て、現在東京学芸大学教授。専門は図書館の歴史と法制度、地域図書館経営。

現在、都内3市で図書館協議会員、さらに東京多摩地域で15年間、市民と勉強会を続けるなど常に図書館の現場にかかわる。編著書に「新図書館法と現代の図書館」(日本図書館協会)、「図書館を支える法制度」(勉誠出版)ほか

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4月に学系がリニューアル。教育支援系は
「どんな時、どんな場でも学び続ける人を支える」とある
正門前ケヤキ広場の風景

市民の「広場」となる図書館を研究

――今回は東京学芸大学で図書館情報学を専門とする山口源治郎教授を紹介する。

「図書館」と聞くと、静かで穏やか、知的な場所のイメージだが、「公共図書館は、市民が本や読書する自由を共有化する市民パワーと、思想を国の都合のいいようにコントロールしたい国側の力のせめぎあいの場」「本来図書館は、市民と図書館員が一緒に時間をかけて育てていくもの」だという。山口教授の話を聞くと、図書館が以前とちがってみえるかもしれない。

東京学芸大学は、戦前から師範学校の伝統があり、全国でも教員養成の中心的な大学の1つ。入ってくるのは教師志望の学生がほとんどです。これまで教育学部の中に教育系と教養系があったのですが、4月から先生を養成する「学校教育系」とは別に、学校教育を支援するスクールカウンセラーやソーシャルワーカー、地域の学びを支援する社会教育主事や図書館司書、学芸員などを育てる「教育支援系」を独立させて再編成することになりました。

私は、この教育支援系の中、定員35名の「生涯教育コース」に属しますが、他にも外国から来る子どもたちのための「多文化共生教育」コースなど、ユニークなコースが用意してあります。

高齢者や若者、広い年齢層が学校で教える範囲を超え、広い分野で、地域で学んでいますし、図書館や博物館のように、自分たちで学びを作り出しているところもあります。

学校支援系を志望する人間は、教師志望の学生と、まるっきりカラーがちがいます。まじめな教師志望の学生に比べ、ずぼらな人、破天荒な人、ユニークな人も多い。先生を育てていくのに、「教師にならない、まじめではない人間とつきあっていく」ことも大事だと思うんですよ。教育系の大学では、当学と大阪教育大学だけに「教師にならないコース」があるんです。

――大学が教養系のほうに力を入れなおしたのですか。

いや、むしろ「学校教育」がうちの大学の核であるとして、学校教育を周辺から支えたり、社会の中の広い学びを考えて作り出していける人材を養成するという方針が、より明確にされました。

もともと教員養成コースだけだった当学に、1988年教養系のコースができ、学校教育に間借りするというより、社会教育や図書館やあるいは博物館で活躍する人材を独自に作ってきたのです。私は一期生が卒業する1991年に赴任しました。

――ご専攻は、戦前戦後の図書館の歴史と、図書館の法や制度、地域の図書館の経営ですね。

必要に迫られてそうなってきました。最初は子ども文庫、次に図書館の歴史、図書館運営。最近は経営委託問題などの問題が出てきて、法律や制度や運営を研究対象にせざるを得なかった。図書館の歴史、法制度や経営に関わることを研究したり、発言したりです。

もともとは障害児教育を学びたくて大学に進み、図書館とは関係ない社会教育専攻でしたが、卒業論文で戦前の石川県の図書館長の図書館論を取り上げて、公共図書館の歴史や制度について研究したのがきっかけです。大学院に進み、図書館関連の市民運動の相談を受けたり、関わったり。僕は学者や研究者より、地域で文庫を運営している人や図書館に関わる活動をしている市民とのおつきあいのほうが多いのです。市民講座から声がかかると、可能な限りで駆けていきます。

ケヤキ並木は子どもたちの通学路でもある
構内は武蔵野の自然にあふれる

図書館とは「広場」だ

図書館には本があり、読書する。それも重要な役割だけれど、もっと広がりのある空間、広場みたいな性格があるんですね。本には人をひきつける独特の魅力があるんです。本があるだけでなんとなく人が集まる。目的がなくふらっと立ち寄って時間を過ごしても文句を言われない。しかも本との出会いがある。そんな場所って、地域になかなかない。図書館とはそういう空間であると最近考えています。

今図書館の利用はざっと住民人口の3分の1。ベストセラーの貸し出しはごく1部、あとは実に多様な図書が貸し出されます。

戦後の公共図書館は、1970年代に地域市民が市町村に訴えて作っていき、当初は子どもたちや地域の主婦を中心に利用されました。1990年頃から急速に増えたのが成人利用です。リタイヤされた人の利用だけでなく、仕事に使う人も増えている。この変化に図書館が応えているかというと、ついていけていないところがある。利用者でも図書の内容でも、要求の幅は増えているのに、職員の数や予算は削られがち。ある程度新刊書が買えて、規模があり、利用者に驚きがあると期待がふくらみ、利用度が高まる。資料費と利用度は相関するのです。

「学芸カフェテリア」は学生のための
カウンセリングスペース

「市民パワー」と「公権力」のせめぎあい

――今回の大学編成変更で、先生の教える内容は変わりますか。

基本は「市民と図書館の関係を重視している」ということで大きくは変わりません。図書館員の専門性、図書館のやるべきことはあれど、基本的に「図書館は市民によって育てられる」。私は市民が、自己形成、思想形成、暮らしを楽しく豊かにするために図書館があると見ますから、そういう実体を作るためのサービスや経営のあり方、イメージまで、学問する立場から構築していきたいと思っています。

日本もそうですが、一般に公共図書館は、2つの力から作られています。

1つは民衆の力。民衆が図書館を求める、あるいは読書を、自分たちで共同化して保障しあう読書の共同化。個人では買えない多彩な本に共同で出資、利用、管理しようという力が公立図書館の原点としてあるわけです。

もう1つの力は、国家や公権力の目的に沿う図書館作りです。日本の戦前の図書館もそうですが、図書館は国民を誘導していくための装置でした。「あの本を読むな、この本を読め」と図書館で指導させた時代がありますし、警察が発禁本を取り去ったり、利用データを出させたりした。これは合法で、検閲も公然とできたのです。

ナチス時代のドイツでは「反ナチ的」「反ドイツ的」な本を、大学図書館の中庭で学生自身が燃やした歴史があります。アメリカでも1940年代から50年代のマッカーシズム時代には、「反アメリカ的」な本にラベルを貼り攻撃しました。図書館への攻撃もずいぶんあったのです。民主主義を標榜する国でもこういうことが起こり、今の日本も、歴史観の違いには不寛容で攻撃的です。時代のうねりはいつでも起こり、それを感じた図書館や出版界は簡単に自粛します。

戦後日本の図書館では、市民や国民の読書を権利として保障しようという観点が強いのですが、よく見ると例えば『はだしのゲン』のように「あの本を読むな」「この本は隠せ」など、統制は起こってきます。せめぎあいは今も変わりません。

自由な読書の場にするのか、思想統制を許すのかは、図書館を守り育てる人しだいなのです。

――静かな仕事に見える図書館司書には、別の一面があるのですね。

知的でスマートに見えますが、人とかかわる仕事ですから。クレーマーの処理、40代50代の非正規職員のコントロールは、正規職員でも20代では難しいでしょう。

専門職は知識だけでなく、経験を積む、場数をこなさないとこなせません。教師が30年かけてベテランになるように、図書館員も「なっていく」ものなのです。司書資格や接客態度も大事ですが、経験の蓄積が必要です。われわれにできるのは基礎作りだけ。しかし基礎があってはじめて蓄積が生きるのです。

図書館員の伝統的な能力とは、好きな本だけでなく嫌いな本も読み、利用者の顔を思い浮かべながら、置く置かないを判断できること。情報化技術も必須になりつつあります。一方で、いったん本は横に置いて市民の中に入り、図書館に求めるものを聞ける要素も必要になってきます。

市民と共同して歩む「社会教育」では、自覚的に目標を立て行わなければなりません。まじめさに加え、積極的に市民の中に入っていく行動性が求められているのです。

こんな学生に来てほしい

図書館員は、利用者からの感謝が大きい魅力的な仕事です。正規職員になるのは難しくはなっていますが、毎年5〜6人の図書館コースで、本当に図書館に勤めたいと願う人は、毎年2~3人が都道府県や市町村、国立大学の図書館に、正規職員になっています。(今年卒業4人のうち3人は図書館員。1人は出版社)。夢を実現するための応援は惜しみません。市民の「本を読みたい」願いをかなえたい人、図書館という広場を守り、市民の要求に応えていける人に来てほしいと思います。

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※掲載されている教授の所属・役職などは取材当時のものであり、現時点の情報とは異なっている場合があります。