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GOOD PROFESSOR

東京薬科大学
生命科学部 応用生命科学科

山岸 明彦 教授 理学博士

やまぎし・あきひこ
1953年福井県生まれ。東京大学教養学部基礎科学科、同大学院理学系研究科博士課程修了。カリフォルニア大学バークレー校、カーネギー研究所植物生理学部門の博士研究員、東京工業大学理学部生命理学科助手、東京薬科大学生命科学部分子生命科学科助教授を経て、現在応用生命科学科教授。理学博士。おもな研究テ—マは、「生命の初期進化」と「タンパク質工学」。『アストロバイオロジ—宇宙に生命の起源を求めて』(化学同人)、『地球外生命 9の論点』(講談社ブル—バックス)ほか多数 

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(図1)1990年分子生物学者ウーズらによって作られた
系統樹をもとにした、取材時点の山岸研究室の系統樹。
(図2)ついに宇宙が山岸先生の
フィールド(探査領域)に加わる。

生命の源・微生物の研究が、宇宙像も変える

――今回紹介するのは、地球生命科学分野で世界と日本のトップランナーである山岸明彦教授。

山岸教授は、生命の起源論を、遺伝子工学に基づいた実証を行って「生命の源」にさかのぼっている。分子生物学(微生物学)から考える進化と、遺伝子工学(たんぱく合成)の2つを同じ研究所で行えるのは、世界でも山岸研究室と、あと1か所だけという。

「自分のやりたい面白いことができるように進んでほしい。実証を積み重ねれば、宇宙空間や惑星で微生物探査もできる。RPGのように考えればいい。ライフを失ってもまたやりなおせばいい。まだ人がやらないこと、面白いことならば10年かかったって平気」と語る。

地球生命の源流へさかのぼるその研究の一端をのぞいてみよう。

分子生物学の見かたで作られた最新の系統樹を、生物の教科書で見たことがあるかもしれない(図1)。山岸先教授はこれに、生物の至適生育温度(最も良く生育する温度)を入れこんで、共通祖先の姿を具体的にしていった。現在生きている全ての生命は、「共通祖先」から誕生した。遺伝子分析の結果、その共通祖先は現生物とほとんど変わらない完成度の高いものと推論。当時、この共通祖先には「不完全である」「きちんとしたゲノムを持つ前の細胞の集団」としてプロゲノートという名がつけられていたが、山岸教授は、「共通祖先だからコモノートでいいんじゃないの」と名づけなおした。その後、このコモノートの酵素の一部、ついで酵素全体の遺伝情報を合成。「コモノートは好熱菌であるのか違うのか」と続いていた学者間の論争を「超好熱菌です」と決着させた。

現在、山岸教授の興味は、コモノート以前、原始地球での有機物生成から生命の起源にさかのぼり、より「不完全」な生命体像の仮説検証、実証に向かっている。共通祖先はかろうじて、現在の遺伝情報から姿がわかるが、これから行うのは遺伝情報が残っていない生命体の推論と実証だ。

「皆が一様に『そんなものはわかるはずないよ』というから、やってみる」と教授は笑う。(図2)

さらに、地球上の推察だけでなく、宇宙にも微生物を求める。探査のひとつが「たんぽぽ計画」。たんぽぽの綿毛のように微生物が宇宙空間に散っていないかと、宇宙空間や大気圏に浮遊する宇宙塵や微生物をエアロゲルというふかふかのブロックでキャッチする。別に宇宙空間(宇宙船内のラボではない)に、タフな微生物と有機物を出して、生き残れるかどうかをみる実験もする。近々打ち上げ、実験開始間近だという。

山岸明彦先生。研究室の扉には
学生手作りのプレート。
研究室を訪れる学生のための
「山岸研ポスター」。

新しい学問体系「生命科学」の誕生から充実

――生命科学という名前がまだ出始めの東京工業大学で理学部生命理学科に就職して、その後、東京薬科大学の新設の学部、生命科学部に招かれていらっしゃいます。

設立時に招かれてカリキュラムや実験設計をお手伝いして、翌年に入りました。
東京薬科大学は、明治初期設立という伝統ある薬学部と、1994年にできた日本最初の「生命科学部」の2本立てで、それぞれ日本最大級なんですが、「生命科学」ってわかります?

生命科学=ライフサイエンスは、遺伝子解析と遺伝子操作、分子生物学が始まって急速に発展した新しい学問。遺伝子解析による分子生物学が登場したここ30年で、生物学とくに進化論は、以前とまったく変わってしまいました。生き物と化石の観察と推論・仮説だけだったのが、一気に科学的な実証が可能になったのです。それまでの日本の生物学のジャンルは動物、植物、せいぜいで微生物学しかなくて、それぞれ生き物をまるごと研究していたのに対して、生命科学は1つ1つの生き物の遺伝子まで見て、その科学的な成り立ちを実証研究しながら、共通性のほうに着目しながら、生命の不思議や源の解明に進んでいく。僕の研究史は、この生命科学というジャンルができていく流れに沿っています。

――先生ご自身の研究はどう変わってきたのですか。

僕は最初、大学院のときは光合成を研究していました。アメリカから戻ったのが1986年。東工大に就職し、何を自分の専攻にするかと考えました。前々から進化をやりたいと思っていたんです。大学2年くらいのときに、オパ—リン(ソ連の生化学者。『地球上の生命は無機物質から有機物質を経て誕生した』と初めて唱えた)の『生命の起源』という本を読んだのが最初で、次にアメリカから帰ってきたとき友達に見せられたフォックス(シドニィ・ウォルター・フォックス。アメリカの生化学者)という人の系統樹を見てショックを受けた。今になって調べるとまだ不完全なんですけど、「ああ、僕も進化をやりたい」と思ったんです。ところが僕が大学院の頃は、「進化」は仮説や推論だけというイメージが強くて、「あんなものは学問ではない」と言われていました。大学院を出て5年経った当時でも、日本で進化を専攻している人はいなくて、僕も選べませんでした。ただ、その頃もう、ウ—ズという分子生物学者が古細菌(私たち真核生物とほぼ同じ温度帯を好むバクテリアと違って、高温や塩田、湖沼の底などの極限環境で生きる、核はもっていない)を発見していたので、この古細菌を調べると昔のことがわかるのではないかと、古細菌を専攻して研究を始めたわけです。

「たんぽぽプロジェクト」のワッペン。
まわりに並ぶのは参加する23大学のエンブレム。
JAXAの右隣が東京薬科大学のマ—クだ。
正門。

生命進化の仮説をたんぱく質工学で実証

私は87年、東工大で最初にやったのは、古細菌のDNAのかたちの調査。当時バクテリア(細菌)のDNAは輪(環状)になっているとわかっていて、われわれ真核生物の染色体・DNAは線状で端っこがある。じゃあ古細菌はどうか調べて、環状だと見つけた。その前後に全生物の共通の祖先に私は「コモノ—ト」という名前をつけたんですけれども、そのコモノ—トがどういう形のDNAを持っていたのか調べようと思い立ったわけですね。「古細菌も、真性細菌(細菌)も輪になっているんだから、コモノ—トも輪に違いない」と思ったわけです。ウーズの系統樹に温度を入れていって、コモノ—トが好熱菌ではないかとも推論しました。

「共通祖先は超好熱菌なのではないか」と言っている人は、僕の前、世界に何人もいた。日本では僕が「コモノ—トというのは超好熱菌に違いない」と言ったら、みんな賛成してくれたのですが、世界の研究者はそんなに甘くなくて、反論がいくつも出ました。推論で戦っても決着がつかないんで、東京薬科大学に来てから実験で実証したんです。

――どういった実験を?

遺伝子から系統樹を作るのと同じような考え方で、その生き物が持っていたたんぱく質(酵素)の推定ができてしまう。だったらその酵素を作り出す設計図である遺伝子を実際に作ってしまえばどんな生物かはっきりする。そうこうしているうちにだんだん遺伝子操作の技術も進んできて、最初は、部分的に祖先の遺伝子にしたDNAを作りました。出発材料は現在生きている好熱菌で、部分的に祖先の遺伝子に変えた。コモノートは絶滅していて、遺伝子がそのままあるわけじゃありませんから、人工的に配列を変えたんです。

できた酵素の耐熱性を調べたら、出発材料たんぱく質に比べ耐熱性が15℃くらい上がりました。コモノートが出発材料の生き物より高い温度で住んでいたので、耐熱性があがったと考えられる。たんぱく質の耐熱温度と、実際に生きている温度はふつう10から20℃ずれています。出発材料タンパク質は90〜95度で生き物は、80℃ぐらいで生きているので、コモノートは80℃より高温で生きていたに違いない。そうこうしているうちに全遺伝子を作るのも可能になったので、1つの酵素をまるまる作った。今はもう、遺伝情報を記録する塩基1つ1つをと指定して並べられるのです。推定した遺伝子、数百文字の遺伝子を丸ごと作って、大腸菌の中で、その遺伝子でたんぱく質を作らせ、38億年前のコモノ—トがもっていたであろうたんぱく質の耐熱性を調べたらおよそ100℃でした。

遺伝子解析による進化研究と、たんぱく質工学、両方できるのは、世界でうちを除いたもう1か所くらいです。そこが競争相手ですね。遺伝子を祖先型に変えたらたんぱく質の耐熱性あがるとわかったので、企業とくんでいろいろやっています。パルプの酵素漂白、燃料電池用の酵素など特許は10ほど。まだ実用にはいたっていませんが、どこを変えたら耐熱性があがるかという、その方法も開発しています。

――先生の研究テ—マは「生命の初期進化」と「たんぱく質工学」ですが、たんぱく質工学は、企業のとのタイアップなど経済性を生むために後から加えたものですか。

いやいや最初から2つ一緒に研究してきたのです。

1987年米国から戻ってきたときに、研究室助手として就職した東工大で身につける必要があったので遺伝子工学は自力で学びました。遺伝子からたんぱく質を合成するのがたんぱく質工学なんですが、このもとになる遺伝子工学を僕の世代では教わっていませんから、苦労しました。ところが、遺伝子や系統を解析する進化学者は、普通、たんぱく質工学の技術は持ってないんです。もし僕がたんぱく質工学をやっていなかったら、進化の実証ができない。たんぱく質合成の何が重要かもわからなかったかもしれないから、やっていたかいがあったと思っています。

研究は、使えたほうがいいと思っています。科学ってやっぱり最後は使うものですからね。役に立つのは面白いし。蒸気エンジンなどの機械産業の発達を、ニュ—トン力学や熱力学の発展が裏打ちしていた。今の遺伝子工学も、遺伝学の発展と裏表の関係で進んでいます。ただね、一方で「役に立つ研究しよう」とばかり思っていると、大して役に立たないものしか生まれてこない。僕も進化を研究しようとやっていたら、役に立つ新しいたんぱく質ができてしまった。

――基礎研究から本当のジャンプが生まれるということですか。

そういうものでしょう。基礎研究は、単純に「何であるか」という発見や法則を見つける研究でもある。新しいものが見つかりますよ。

建物はレンガで統一され、
植栽はきちんと手入れされている。

面白いこと、ぎりぎりできるかもしれないことを研究する

ウ—ズが作った系統樹も今までは2〜3点の訂正だけでしたが、さらなる訂正点が出てきたので、この図を変えますよ。教科書に載る系統樹が訂正されるかもしれません。

私自身は、これからコモノ—トより前の研究をしたいと思っています。コモノートがほとんど完成された超好熱菌なんだから、そのまえにも生き物の歴史はあった。ただし遺伝子の数はもっと少なかった。ひょっとするとアミノ酸の数も少なかったかもしれない。今たんぱく質を合成するアミノ酸の数は20種類ですけど、もっと少なかったふしがある。今残っている生き物を材料にしてさかのぼることができる一番古い生き物はコモノ—トまで。それより前はもう生き物としては戻れない。「遺伝子(設計図)で戻る」だけなのです。

コモノートの遺伝子を作って、そこからたんぱく質(酵素)をつくったら、ほとんど完成されていて、今の生き物のたんぱく質と、ほとんど変わらない。神様が作ったわけじゃないんだから、いきなりそんな完璧なものができるはずがないでしょう。とすれば途中のプロセスがあるはずで、僕は、そっちをやりたいなと。

だって、知りたいでしょう。大部分の人はコモノート以前はさかのぼって考えられない、「できるわけない」と断言する。だからチャンスですよ。僕は考えられるし、答えに行き着けると思っているし、やり方も既に考えついているので、やる。そのほうが面白くない? 生命の起源について何がわかっているかというと、実は一般的に言われているより、ずっとわかっています。コモノ—トより前にRNA遺伝子の生き物がいます。今の生き物では遺伝情報のメモリーはDNAですよね。補助的に出てくるイメージがあるRNAで遺伝子ができている生き物がまず間違いなくコモノートの前にいます。

今われわれの遺伝子はDNAですけど、コモノート前の生物は遺伝子DNAを持ってなくてRNAだけで自己複製していた。だけどそのRNAが最初にどうやってできたかはちゃんとはわかっていない。大部分の微生物学者、進化学者は、海の底で誕生したと思っている。けれども、私と、丸山茂徳(東京工業大学地質学・地球生命学)という東工大の先生は、理由はそれぞれ違いますが、陸上の池で誕生したと思っています。僕は、五色沼みたいな火山のすぐそばの温泉の中で、有機物が大量に濃縮されて誕生したと思います。濃縮は海じゃダメ。水が多すぎて。これもやがて立証しますよ。

面白いもの、今手に入るものでぎりぎりできること、誰もやってないことが、一番やりたいことです。だから「宇宙にひょっとしたら生き物いるんじゃない?」と思ったら、研究を始めるわけです。

もうすぐ国際宇宙ステ—ションで微生物の実験が始まります。宇宙ステ—ションの外をさらって、いろんな微粒子を捕まえたり、地球から微生物を持っていって、宇宙空間で生きていられるかを調べたりする「たんぽぽ」というプロジェクトです。

たんぽぽは、綿毛を撒き散らすでしょ。地球から火星、火星から地球に、綿毛が飛んでいってもいいじゃない。それを調べようよというわけなんです。もちろん飛んでいくのは、微生物。微生物が移動するのは、綿毛が散るのに似ているんじゃないか、ということです。

――それは先生が中心になってやっている。

そうです。面白いでしょ。

宇宙実験にしても、できる実験は限られているんです。どんな実験を優先するべきとか、反論が出たらそれはちゃんと検証する。ダメだったらとまっちゃいますけどOKだったらクリアして次のステ—ジに行く。RPGと同じですよ。1ステ—ジクリア、2ステ—ジクリア、大物で挫折。ライフ失った、再挑戦。ライフを失うのなんか慣れちゃった。ダメっていわれても、もう1度やればいいんです。「宇宙で微生物の実験をやろう」と呼びかけてから、実現に至るまで10年かかりました。でも時間をかけてもいい面白いことならばやる価値がある。そうでなければ、やってもしょうがないでしょ。おもしろい研究以外はやるなと学生には言いたい。時間のむだですよと。

――山岸研究室の特徴は

卒研生でもひとりひとりが1つテ—マを持つのが、うちの研究室の特徴ですね。誰かの「お手伝い」ではありません。大きなテーマに関わっても、自分でその中の1つ何かを分担してやる。人にあれやれこれやれいわれたら、やる気しないでしょ。僕がそうだから。

卒研生でも、「この研究室ではこういうことができますよ」というテーマ、うまく進めば最後に博士が取れるくらいのテーマを全部で20個ぐらい紹介して、自分で選んでもらう。卒業研究で雑誌論文を書いてしまう人もたまに出ます。学会発表する人も出ます。

1人で実験するっていっても孤独ではないですよ。ディスカッションは皆でやりますし、大きな研究はチ—ムでします。ただその人がその人のテ—マを持っているってことが重要です。あとは、一言でいうと「楽しんでやってください」ということ。

――今年の4月から、3年生の夏から研究室に入れるようになると聞きました。

この研究室で行っている実験のテーマ全部できますよ。たんぱく質を作って、耐熱性を調べるのは皆やってるし、宇宙実験は人数が限られますが、今卒研生が2人やってます。ただ、運が良くないと準備ばっかりですよ(笑)。

今は、ちょうど微生物を宇宙に打ち上げるときだから、今年の卒研生はとっても運がいい。打ち上げる微生物のサンプルを作ってます。ただ、卒業しちゃうと解析はできない。来年の卒研生は、解析をぎりぎりできるかできないかです。面白い実験に関われるかどうかはタイミングによります。

『地球外生命 9の論点』講談社
(ブル—バックス=新書 2012年)
日本の研究者9人が生命について述べる。
「生命は意外に簡単に誕生した」と山岸教授

こんな学生に来てほしい

うちにある実験の中で「このテ—マやりたい」と思ったら来てください。世界中でここでしかできないテ—マがいくつもありますし、それができる時期も今だけです。実証実験が終わったらもうやる必要はない。生命科学関連の技術はどんどん進みますから、以前はできずに今になって条件が整ってきたテ—マもあります。できるようになったそのときにするのが面白い実験です。それを「自分でやりたい」と思ったらどうぞいらしてください。

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※掲載されている教授の所属・役職などは取材当時のものであり、現時点の情報とは異なっている場合があります。