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GOOD PROFESSOR

上智大学
文学部 新聞学科

田島 泰彦 教授

たじま・やすひこ
上智大学文学部新聞学科教授、憲法・メディア法専攻。1952年埼玉県生まれ。上智大学法学部卒業。早稲田大学大学院博士後期課程単位取得満期退学。神奈川大学短期大学部教授を経て、1999年より上智大学文学部新聞学科教授。専門は憲法、情報メディア法。毎日新聞社「開かれた新聞」委員会委員、放送と人権等権利に関する委員会委員なども歴任。『この国に言論の自由はあるのか』(岩波書店)、『調査報道がジャーナリズムを変える』(花伝社)、『特定秘密保護法とその先にあるもの 憲法秩序と市民社会の危機』(日本評論社 (別冊法学セミナ—)、『表現の自由とメディア』(日本評論社)ほか著書編著書、シンポジウムコーディネート多数。

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規制や管理の批判にメディアが使う「法研究」を発信

――今回、紹介するのは、日本で初めてジャーナリズム実践教育課程がおかれた上智大学の新聞学科に在籍する憲法・メディア法の専門家である。上智大学文学部新聞学科の田島泰彦教授は、メディアやジャーナリズムにおける報道や表現の自由に対する制限や禁止、市民情報のいきすぎる管理などに対抗するための法的な知識を数多く提供。さらに、そうした規制のなりたちについても研究し、著書やシンポジウムで広く発信している。まず、研究の歩みと授業の特徴をお聞きした。

私は、もともとは憲法専攻なのです。上智大学の法学部で学んだ1970年代初頭は、学外はベトナム反戦運動でゆれ、大学にいてもいろいろな問題を肌で感じました。学生紛争もまだ続いていましたが、社会の事件として裁判官の思想や結社の自由を規制する「司法の危機問題」が起こりました。

憲法研究のために、弁護士を中心に大学教員や裁判官が多数集まっていた団体(青年法律家協会。現在も裁判官会員をのぞき存続)がありましたが、政権党だった自民党が「一部の裁判官が青法協のメンバーになり、裁判で、政権党と違う偏向判断をしている」と批判、71年に九州地裁判事補が再任拒否され(裁判官は10年間ごとの雇用契約のあと、失敗がない限り内閣名で継続雇用されるのがふつうです)、ある年には法律家になる人が受ける2年の司法研修所の研修後、青法協のメンバーを含む7名だけが裁判官への任官(採用)拒否をされました。卒業式で「思想信条で排除するのはおかしいのではないか」と発言した人は卒業も認められなかった。私は法学部の学生ですから、司法の独立の危機をとても強く感じました。

この時期、大学では筑波大学の前身の東京教育大学で、国立大学を核にしたつくば学園都市への移転をめぐって教授会の力を弱める一方、学長の権限を強め、トップダウンで移転させようとして、多くの教員、学生が反対する問題も起きました。

そのような社会的、法的問題が噴出する中で、「こういったことをもっと理解したい」と早稲田大学大学院に進み、憲法の人権思想を研究しました。神奈川大学短期大学で勤め始めた頃も憲法などを中心に教えていましたが、この頃、国会に「国家秘密法案」が提案されることになったのです。この法案は2014年末施行された特定秘密保護法の源流のような、秘密保護を強める法改正です。学者、憲法研究者、弁護士、メディアがこぞって反対し、法律自体は成立しませんでした。私も若手研究者として反対運動に関わり、ジャーナリストやメディア関係者と知り合って議論する中で、研究の関心が、表現の自由や報道の自由、メディアの自由と市民の人権など、メディアの法や倫理など現在の研究内容に変わっていったのです。

近代的な2号館とレンガ造りの1号館の間から
正門をのぞむ

「個人情報保護法」の持つ意味

ふり返ると、国家機密法が不成立に終わった後、1990年代末に、メディア規制上の大問題である「メディア規制3法」の提案が始まっています。これは権力が、メディアを個別、部分的に規制したり制限をつけるのでなく、よりシステマティックに表現の自由そのものを制限し、表現の担い手であるメディアやジャーナリズムを幅広く統制できる大きな流れを作ろうとするものでした。これが最終的に具体化したのが2003年に成立した個人情報保護法。個人情報を保護するためにメディアを規制するというものです。

――個人情報保護法とは、メディア規制法なのですか。

そうです。次に2002年、人権を理由にしてメディアを規制する「人権擁護法案」が出され、これは2012年野田内閣が閣議決定した「人権委員会設置法案」につながっています。さらに青少年の保護を理由に「青少年有害社会環境対策規制法案」が出されました。これも一部国会には提出されましたが、批判を受け断念されました。

1990年代末に生まれはじめたこれら「メディア規制3法案」は「もっともらしい理由をつけて表現の自由を規制する」というものです。「市民の人権を侵害する」、「青少年の保護を阻害する」、「個人情報やプライバシーを侵害する」などの名目で「メディアからあなたたち市民を守るための法律を作りましょう」。そんな理由をつけて、幅広く表現やメディアを制限する手法が特徴です。戦後の日本は憲法が人権を保障するとともに、21条で「表現の自由」がある以上、昔のように「お国のため」というような理由では言論規制はできません。だから憲法の下でも規制ができる理由や口実を考えるんですね。同じく憲法で保護している人権やプライバシー、青少年保護という価値を侵害するものだからという理屈をつけて表現を規制する手法をとるのです。

しかし、この後、もっとストレ—トに国が考える価値感を理由に規制が強化されます。

その典型は2001年の「9・11米国同時多発テロ事件」のとき、「テロに対する戦いをするためには規制が必要」と、以前は成立しなかった国家機密法の一部が、防衛秘密法制に取り入れられたことです。「防衛の秘密は、国の秘密でも特別重要だから漏洩などの処罰を強化する」という提案です。加えて2003年に有事法制が成立。これはメディア関連にとどまらない大きな提案で、「一度戦争のような事態になったら、市民の自由や人権、財産権は規制されても当然でしょう」というものです。

メディアに関してはこの有事法制で「テレビラジオの放送局は指定公共機関にする」という重要な仕組みが入りました。「指定公共機関」とは、公共的な役割を果たす私企業や組織は、有事には、国や自治体に協力しなくてはならないというもので、日本赤十字や公共交通機関など190の機関と一緒に、NHK、民法キ—局、準キ—局も指定されたのです。新聞は除外されましたが、このときから放送局は、有事になったら指定公共機関として政府や知事が発する避難指示や警報などの緊急放送を最優先で放送しなければならなくなりました。つまり有事枠内で、国の命令による放送が義務付けられる、国の付属機関並みの扱いを受ける関係ができたのです。

個人情報保護法を中心としたメディア規制の枠が、これで一気に軍事的な方向に広がり、国の利害、国益を理由に、権力がさまざまな表現規制をするツールがだんだんできていったのです。そして、2004年にイラクに陸上自衛隊が派遣されました。もちろん道路の修復、給水や施設の修理をする道復興支援のためでしたが、その前のアフガニスタンでの海上自衛隊の後方支援などに続いて、武器を携えた陸上自衛隊が海を渡り、紛争がまだ終わっていないところで活動しました。

このイラク派兵では、メディアと防衛庁(当時)が事前に約束して、取材報道協定(取材ルール)を作っています。そこに「自衛隊や政府に不都合な情報が生じたときには、メディアは報道してはいけない」事実上の検閲もルールに入りました。とんでもなく乱暴な規制といえるでしょう。

その後、憲法改正がテーマの安倍政権では、憲法改正まで含めて規制強化が言われるようになりました。憲法改正は9条の戦争放棄が中心で、「なぜ表現の規制につながるのか」と思うかもしれませんが、もし9条が変えられ自衛隊が正式に国の軍隊として認められると、憲法をいじらずともあの手この手で強められてきた表現やメディア規制が、今度は憲法そのものを理由に強固になるのです。2000年前後から、そういう非常に大きな日本社会の、表現やメディア、ジャーナリズム規制強化が展開されていきました。僕は、この研究を中心に進めていったのです。

――研究の中心になったのは、メディアが一番激しく規制されているからですか。

確かにメディア規制の問題を中心にやらざるをえなかった面もあります。しかし表現規制やメディア規制とは、ひとことでいえば「人々が自由に考える手段を与えないこと」ですから、言論の自由やメディアの表現が広範に規制されれば、無惨な戦争状況にならない保証自体がなくなるわけです。だから、自分のフィールドとして、表現の自由やそれに密接に関わるジャーナリズム規制の問題中心に考えてきたのですね。

とくに、第二次安倍政権になって、規制の流れ、監視や表現規制の問題が一気に強まっています。その象徴が秘密保護法や監視を具体化する共通番号制です。2013年前半に共通番号制、暮れに秘密保護法とほぼ同時にできました。今安倍政権は、1つ1つの規制をさらに進めながら、トータルに規制を強める枠組みとして憲法改正に踏み込む直前の段階にいると思います。安倍政権は昨年、衆院選で勝ちましたが、参議院の3分の2議席を取れていないので、最初から大きな抵抗を受けるような課題である9条改正からではなく、改正しやすい環境権を入れたり、憲法には入っていないプライバシーの保護を新たに加えるなど、2段構えで進めています。

「市民のプライバシーを大事にして、住基ネットや、共通番号の個人の情報の保護を憲法の中に入れ、国家から保護する」というのならわかりますが、内容を見るとそうではなく、個人情報保護法の仕組みと同じで、「メディアや表現の過剰な報道はけしからん」という議論だけがされています。プライバシー保護のための憲法改正はメディア規制の材料であり、9条改正の材料でもあります。プライバシーの保護などを材料に、自民党は9条に手をつけていくのでしょう。最初から9条をやめ、自衛隊を自衛軍にするというと各所から抵抗されるので避けて、やりやすい部分で改憲した既成事実を作り、その後世論統制を強めることが予想されます。

これは第一次安倍内閣ときの失敗から学んだのでしょう。最初の安倍政権がうまくいかなかった要因の1つは、メディアに警戒されたこと。安倍首相は就任後、すぐに「憲法改正」と言ったので、メディアだけでなく普通の市民にも警戒されました。だから今度は周到に、世論をちゃんとあやつれるようにして、憲法改正にいきたいわけです。

人間社会は、最終的に個々の人の頭で考えて判断しますから、考えて判断する部分を操作する仕組みを周到に準備して作っているともいえます。

市民の判断に関わるのは、メディアであり、教育であり、大学もそうですが、ここを押さえる取り組みもされています。教育では教育委員会を改正し、政治がコミットできる仕組みにし、大学でいうと学長を中心に大きな権限を与えていいと学校教育法を改正しました。メディアのダイレクトなコントロ—ルでは、NHKや朝日新聞という有力メディアをコントロールしようとしています。NHKは、最終的に経営委員会で、さまざまな判断をしていますが、この委員に政権に非常に親しい人を入れました。NHKは秘密保護法の閣議決定についてもまともな報道ができませんでしたし、政権が思うとおりのメディアになりつつあります。

もう1つは朝日新聞の言論を抑えたいのです。国家の管理枠がある放送局と違って、活字の世界のコントロールは難しいけれど、右よりのメディアと連携して慰安婦や福島原発事故の報道をめぐって集団で攻撃。朝日新聞はダメージを受け、今は「あまりリベラルな報道を行うのはどうか」と迷うようになりつつあります。メディア全部のコントロールはできないから、有力なメディアを抑えるのが第二次安倍政権の課題で、その先にはさらなる表現規制と市民監視、集団的自衛権の行使容認を踏まえた安保法制化、そして最終的には憲法改正という展開が予想できます。戦後民主主義を支えてきた価値や理念全体をかなり大掛かりに改変していこうというのが、目的なのだろうという気がします。

高校生にも読みやすい田島教授の著作

メディアは「権力の監視」ができる唯一の機関

このような動きを監視して批判できるのは、日本の社会ではジャーナリズムがその数少ない存在の一つなんです。右派も左派もいろんな立場はあっていいけれど、メディアには共有すべき共通の価値があるのです。

1つは「情報公開」。重要な事実を公開しない動きに対しては、みんなで批判する。これが表現の自由、報道の自由につながります。もう1つは、「権力の監視」です。これは任務であり、価値です。なぜかというと、これができる機関はメディアの他にほとんどないからです。権力の中で権力を監視しあう三権分立もありますが、庶民の目線で権力を監視し、コントロールする役割ができるのはメディアやジャーナリズムだけです。

メディアが役割を果たせれば、政権が何かを規制しようとしても、抵抗や批判する手段や情報を市民と共有できますが、このところメディア全体が、役割を果たさない状態にシフトしています。安倍政権でも、その前の民主党政権でも、権力を監視する機関としてすべきことを必ずしもしていないのです。

3・11のとき、避難に関わるスピーディーな情報は出ませんでした。さらに秘密保護法ができる事態に対し、立場の違いを超えて批判しなくてはいけないのに、それも十分でなかった。とくに右派のメディアは、権力と一緒になってメディアを叩く状態にまでなってしまっている。

今われわれの社会は、自由や民主主義と違う危険な方向にいっていると感じています。僕はこれを批判して発言し、大学の講義やゼミでも、この傾向を重視して提起してきた。

――先生は中国漁船の尖閣上陸ビデオも、アルジェリア人質事件の被害者名も、「情報は出せ」と言っていますね。

全部出していいかという問題はもちろんありますが、原則は「重要な情報は出さないと話にならない」ということです。大事な事実を共有しないで、あいまいにしてはいけません。あいまいさを重ねたメディアは、暴かれたくない事実を抱えた権力者に都合よくお仕えする形になってしまうのです。そういう意味でも表現の自由は守らなければならない。政府の大本営発表をそのまま流し続けた過去の歴史からも、とくに日本の社会は、表現の自由を大事にしていくことが必要です。

イラク派兵のときも、メディアは「政府は検閲していい」というルールを認めてから取材に行っています。戦争でこそ事実を伝えなくてはいけないのに。メディアの監視がなければ、国はやりたいほうだいです。ところがメディア自身がきちんと規制を批判したり抵抗したりなかなかしにくい状況がいろんなところで生まれているのです。

――それで先生は、シンポジウムや本でメディアの支えになるツールを提供しているのですか。

そのつもりです。「社会そのものが、表現や報道の権利・自由を大切にし、不当な規制は許してはいけない」と繰り返し言っています。自由を作る手がかりを、私たちは、もう持っているんですよ。憲法もあるし、表現の自由も書かれていて、一応民主的な社会が生まれている。

しかし、はっきりいって、民主主義を自分の力だけで生み出したのではなく、占領軍が横から導入したことが弱みになっています。明治時代の自由民権運動や大正デモクラシーの伝統も生きているけれども、あれだけの戦争をして決定的に負けても、自分たちの力だけで戦後の体制変革ができなかったのは残念です。不徹底だったといわざるを得ない。だとすれば、今の社会は、不徹底だった部分を徹底する方向で進めていかなければならないのに、現政権は、不徹底なものをもっと不徹底にしようとしている。右でも左でも、ことメディアなら、言論の自由をより豊かにしていく役割を果たすよう頑張るべきだと私は言いたいのです。

――ところで田島ゼミの特徴を教えてください。

一番重視しているのは、「現在、何が問題か」というところから出発しようということ。理屈から入るのでなく、今実際に問題になっていることを出発点にして、なぜそうなっているのか掘り下げて考えを深めて、議論をしていきたいのです。

たとえば川崎の少年殺人事件。少年犯罪ですから犯人が自供しても、普通のメディアは顔写真も名前も出さない。しかしネットには情報がどんどん出ます。「どうしてそういうことになっているのか」と思う気持ちが生まれたら、それを大事に調べて議論をしていく。そんなゼミができたらいいと考えてきました。

――ゼミ生の就職先はほとんどマスコミ、ジャーナリズムですか。

年度により差はありますが、ある程度はメディアとジャ—ナリズム関係に進みます。必ずしもジャーナリズムではなく、企業や自治体に行く人も多くいます。学科の講義やゼミで勉強をすると、自分の向き不向きも含め「メディアに行くだけがすべてではない」と感じると思います。僕自身も、どんなところに行こうと、メディアについて関心を持ったり、権力の批判をしたりできるのは大事なことと言っています。いろんな形でメディアへの関心を持っていけば、ここでの知識を企業や自治体でも生かせると思います。

――上智の新聞学科の特色は……

歴史が古いこともありますが(1932年に日本初のジャーナリズム実践教育学科として設立)、いろいろな角度から、ジャーナリズムやメディアを学問的理論的に検討しながら、一方で、実践的な教育や研究も行って重視しているのが特徴です。ジャーナリズムは理屈だけの世界ではありませんから、教員も研究畑の教員と、現場出身の教員で構成されています。私のような研究者だけでなく、新聞社、放送局や出版社の現場を支えてきた人も教員として多く迎えているのです。

こんな学生にきてほしい

今のジャーナリズムやメディアが抱えるいろんな問題を正面から受け止めて、考えたり解決したりできる積極的な人に来てほしいと思います。どんな問題を抱えていて、なぜそうなのか調べてみようというような問題意識を持つ人に入ってもらいたい。どの分野でも、知識も大事ですが、自分で考えたこと、こだわることのほうが大切です。自分の思いを大事にしてほしい。

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※掲載されている教授の所属・役職などは取材当時のものであり、現時点の情報とは異なっている場合があります。