早稲田塾
GOOD PROFESSOR

神奈川大学
工学部 建築学科

曽我部 昌史 教授

東京工業大学大学院修士課程修了。伊東豊雄建築設計事務所勤務、東京工業大学建築学科助手を経て「みかんぐみ」を共同設立。東京藝術大学先端芸術表現科助教授を経て、2006年より現職。設計だけでなく、ワークショップの企画運営や評論の執筆、アートプロジェクトへの参加など、多彩な活動を展開。主な作品に、「北京建外SOHO低層商業棟」(2003)、「2005年日本国際博覧会トヨタグループ館」(2005)、横浜市の京急高架下文化芸術活動スタジオ「黄金スタジオ」(2008)など。「BankART Life㈽-新・港村」(2011)、「EARTH MANUAL PROJECT展」(2013神戸,2014マニラ)の会場構成なども手掛ける。

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工学部建築学科がある横浜キャンパス。
最寄り駅は東横線白楽駅。

“場”の持つ力を知るのが建築家の職能

――建築家というと、一般的には住宅やオフィスビルなど、建物を設計する職業というイメージが強い。だが、今回紹介する神奈川大学工学部の曽我部教授によると、それは狭義の役割であり、近年、建築家に求められることは、大きく変化しているという

建築家は、“場”の持つ力を理解し、デザインを通してそれを生活空間に翻訳する能力を持っています。今、私たちが暮らす社会はさまざまな分野で新しい局面を迎えており、それとともに建築家に求められることも多岐にわたり、その職能の活かし方も変化しています。環境問題をはじめ、多様化する価値観や社会からの要求にどう応えるかが建築家に問われている時代ともいえるでしょう。単に建物を設計するだけではなく、街づくりやアートイベントなどに建築家が積極的に関わるようになってきているのもそのためです。


――建築家に求められる職能、役割の変化を感じているという曽我部教授は、新しいニーズに応えるために、どのような授業を行っているのか

建築設計をきちんと行うことができる基礎力をつけることはもちろん重要ですが、私の授業では、「デザインがもつ今日(こんにち)的な力はどこにあるのか」というテーマに及ぶことも多いですね。例えば「都市デザイン論」の講義では、毎回一つのテーマについて建築や都市をめぐる社会的な背景の分析を行い、それらをふまえた具体的な活動例として、テーマに関連する実際のプロジェクトを紹介しています。これまで「リノベーション」や「仮設の建築」といったトピックを扱ってきました。一方、研究室では“場”や“空間”をキーワードにさまざまな活動を行っています。建築のデザインで何が可能なのかを考え、学生が現地に赴いて調査・考察を行い、地域の人たちと話し合いながら地域再生プロジェクトの立案に携わることもあります。2011年の東日本大震災以降は、学生とともに被災地へ行き、復興支援に関わる実践的な活動も行っています。

例えば震災後(2011年)、他大学の研究室と共同で牡鹿半島の漁村集落で活動をしました。研究室ごとに数個の集落を分担し、現地で合宿をしながら高台移転地の要望等を取材し、得られた情報を行政や地域の方々と共有するというものです。また地域の方々が高台移転後のイメージを理解しやすいよう、行政が作成した計画図面をもとに、学生たちが地域の人たちの要望を反映しながら、わかりやすいイラストや地形模型などを制作する活動も行いました。

――学生の被災地支援活動が、そのまま研究活動になる?

そのとおりで、学生たちが被災地から学ぶことは大いにあります。なぜならば、「社会を成り立たせている仕組みとはどういうものか」という、建築にとって重要かつ潜在的なテーマが、被災地でははっきりと浮き彫りになるからです。

また、学生がキャンパス外で学ぶことも非常に大きな意味をもちます。建築は建物というハードを作る仕事ではありますが、人というソフトがあって成り立つのです。つまり人がわからないと、建築はできない。被災地では人の気持ちや求めるものが赤裸々になります。空間をどう作るかが切実な問題ですから、行かないとわからないこと、行って初めてわかることがとても多いのです。今年初めて被災地へ行ったある学生は、『4年たってもまだこの状態なのか』と愕然としていました。そうした現状と向き合いつつ、必要なことを実践することで得られた知見は、とても得難いものです。大学の財産としても、活かしていけるのではないでしょうか。

キャンパス内に建てられた大学院生の修了研究。

学生の成長の場としての被災地

――授業の一環として被災地支援を行うというユニークな取り組みが可能な背景には、神奈川大学が2011年から継続的に行っている被災地支援活動の存在が大きいという

被災地支援として大学ができることは、お見舞金を送ることくらいだと思われているかもしれません。しかし、本学が震災以降継続的に行っている「KU東北ボランティア駅伝」は、特徴的で新しい支援のかたちだと思います。この活動では、駅伝の襷をつなぐように学生ボランティアを途切れなく被災地へ送り出し、現地での被災地支援活動を通じて、現地の復興と学生の成長につながる機会を大学が提供しています。また、私のところのように研究室の活動として被災地で支援活動を行う学生をバックアップする体制も構築されています。

今の学生は覇気がないとか積極性がないとかいわれますが、被災地での活動を見ていると決してそんなことはない。社会奉仕的な意識の高い学生が非常に多いと実感しています。学生のそうした思いや可能性を広げる機会を提供できているという意味でも、本学が行っている被災地支援活動は大きな成果を出しています。

被災地支援活動において制作した刊行物。

自分で考える力をつける授業

――曽我部教授が授業で心がけていることとは何だろうか

「自分で考える力をつける」ということです。建築に必要な基礎力を身につけて卒業しても、実践の場でそれを使えないと何の意味もありません。何か問題に直面したとき、自分でどのような答えを出せるかが問われるのです。もちろん、そうした場合の答えの出し方を直接教えることもできますが、教えられたとおりにしか答えられないようでは、建築家には向いていないと思います。

ですから私は授業でも、一つひとつ手取り足取り教えるのではなく、ある程度“放り投げる”ようにしています。打ち合わせで私が方針を示せばスピーディにものごとが運びますが、その分、学生が考える時間が減ってしまいます。学生同士で必死に考えるように仕向け、その考えに対して私がダメ出しすることでさらに考えさせます。2006年に本学に赴任した当時は、学生ができていないところに対し、厳しいことをよく言ったものですが、最近の学生に対しては、本人のいいところはどこなのか、に気づかせることも重要だと考えるようになりました。

――そんな曽我部教授に、建築家という職業を選んだ理由を伺った

小学5年生の時、友人の父親が小さな設計事務所を経営していて、家に遊びに行くと設計の仕事場をよく見せてくれたのです。設計に使う道具の一つひとつが子供心にはとてもカッコよく見えて、「建築家になってこういう道具を使いたい」と強く思ったのがきっかけですね。またその友達の家には当時では珍しい電子レンジがあったり、住まい自体もオシャレで、モノをつくる人のライフスタイルがかっこよく見えたのも建築家に憧れた理由のひとつかもしれません。

大学で建築学科に進んでも、最初の2年間の基礎的な授業には正直あまり興味が持てず、部活などに熱中していました。しかし、建築設計課題を実際にやるようになった3年次からは、「こんなにも面白いことが世の中にあるのか」「毎日こんな面白いことだけをやっていていいのか」と建築への興味が湧き起こり、どんどんのめりこんでいきました。卒業設計の時など、3ヵ月も家に帰らず大学に泊まり込んでいたくらいです。建築家となった今もその思いに変わりはなく、日々楽しいと感じながら、建築というものに関わっています。ですから遊びと仕事の区別はあまりありませんね(笑)

こんな学生に来てほしい

最近は、いわゆる“野心家”的な学生が少なくなっているような気がします。私が学生の頃は、前日まで話し合っていたデザインとまったく異なるデザインを徹夜で一気に仕上げ、朝、これみよがしにミーティングテーブルに置いて、研究室の仲間に自分をアピールするような学生もいた。でも今は、みんなで話し合って、納得してモノを作り出そうとする学生が多い。また神奈川大学は地方からの学生が多いせいか、人間的にも純粋で優しい人が多いような気がします。昔のように自分の個性を出そうとする学生は減ってきているのかもしれません。

しかしそれは、必ずしも悪いことだとは思いません。これからの時代は、一人の作り手のアイデアだけで大量に生産するというのではなく、リソースをきちんと分析し、共同作業において効率的かつ冷静にアイデアをかたちにできる能力が、社会的に求められていくわけですから。

私が学生にただひとつ望むとすれば、どんな状況でもクリエイティブな発想と前向きな態度で向き合い続けようとするモチベーションを持っていてほしいということ。デザインが上手とか、センスがいいとかよりも、受け身にならず、どんな状況に対してでも自分なりの方法をあみだしていくような学生に来てほしいですね。


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※掲載されている教授の所属・役職などは取材当時のものであり、現時点の情報とは異なっている場合があります。