早稲田塾
GOOD PROFESSOR

東京都市大学
環境学部 環境創生学科主任教授 大学院 環境情報学研究科

田中 章 教授

たなか・あきら

東京農工大学農学部環境保護学科卒(植生管理)、ミシガン大学大学院ランドスケープ・アーキテクチャー修士課程修了(自然復元)、東京大学大学院農学生命科学研究科博士課程修了(緑地学)。(株)パシフィック・コンサルタンツ・インターナショナル、(株)野村総合研究所、(社)海外環境協力センター、英国国立ウェールズ大学大学院日本プログラム環境マネジメント学科長兼環境アセスメントコース主任を経て現職。東京工業大学大学院総合理工学研究科環境理工学創造専攻非常勤講師、東京大学教養学部学際科学科国際環境学非常勤講師を兼務。『環境アセスメント学の基礎』(恒星社厚生閣)『HEP入門〈ハビタット評価手続き〉マニュアル』(朝倉書店)など著書多数。「公益社団法人日本不動産学会論説賞」「東急グループ環境賞」「エコプロダクツ大賞」「日本造園学会賞」など受賞歴多数。

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2009年に武蔵工業大学と東横学園女子短期大学が統合し、
東京都市大学と改称。
田中教授が所属する環境学部環境創生学科は、
横浜市の美しい緑と水辺のネットワークの中にある
田中研究室のある3号館

生活空間で自然と共存できる方法を研究する

――田中教授の専門は、「緑地創成学」「復元生態学」「造園学」「ランドスケープ・エコロジー」「生物多様性保全学」。聞きなれない名前の分野が多いが、一言でいうと「失われつつある自然を復元するために必要なフィールドワークから環境政策に至るまでの研究」だという。なぜそうした研究を志したのか。

私が生まれ育った静岡県の清水市(現静岡市)はもともと自然豊かな土地で、そのせいか私は幼い頃から動物や植物が好き、自然の中にいるのが好きな子供でした。幼稚園前の記憶で、「章ちゃんは朝から暗くなるまで、外でアリをじっと観察している」と親戚の人に言われました(笑)。様々な生物の図鑑を眺めるのが好きで、当時TV放映されていた番組「野生の王国」も夢中になって観ていました。

ところが私が育った1960年代70年代は、清水市でも開発のために自然消失が進んでいた時期。子供心にも「なぜ、こんなきれいな自然を失くすのか」と、疑問と怒り、悲しみでいっぱいで、小学校の時に、近くの山の開発に対して、清水市役所に意見を投書したこともあります。「自然と人間が健全な形で共存できたらいいのに」という思いが子供の頃からあり、それは現在も変わっていません。その気持ちは、現在の研究にもずっとつながっています。

――「環境保護について専門的に学びたい」と思い、日本で最初に環境保護学科が設立された東京農工大学の環境保護学科に入学しましたが、数ヵ月通った後、大学に行かなくなりました。当時の日本では、環境分野の学問の体系化が始まったばかりであり、大学の授業は従来の分野の寄せ集めのような状態、と生意気にも思いました。そして、これらの授業が環境保護とどう結び付くのかわからず、「自分が思っていたような授業ではない」と決め込んで勝手に落胆したわけです。

その時に思い出したのが、アメリカの野生動物保護区(wildlife refuge)のこと。アメリカには野生動物のための特別の区域があり、たとえばオオカミを守るために政府が土地を確保して、オオカミのための生息地を再構築し、保護している。日本の開発優先、それに伴う自然消失を目の当たりに体験している自分にはそのような施策の存在自体が信じられませんでした。それでアメリカに実際に行ってこの目で見て確かめたいと思ったのです。

早速、資金を稼ぐために大学を(親に内緒で)離れ、1年間、住み込みでトラックの運転手をして必死でお金を貯めました。そして渡米し、北アメリカを中心に様々な国の都市や地方を放浪。その間、アメリカの野生動物保護区や国立公園なども自分の目で確かめることができました。人間は自然を消失させるだけではなく、自然を復元し、保全することができることを知って、感動しましたね。1年後、LAの路上で見覚えのある日本人に会い、勇気を出して声をかけたら何とも勝手に離れた農工大の奥富清先生だったのです。奥富清先生は日本の植生学の大家であり、ブラジルでの国際生態学会の帰りにLAに滞在されていたわけです。既にLAのことも詳しくなっていた自分はLAの観光案内などをしているうちに奥富清先生に諭され、結局、その後1ヵ月ぐらいで日本に戻り、農工大に復学しました。1年間の海外放浪で、自分が学びたい目標もはっきりしましたから。

私が学びたいと思ったのは、「動植物と人間が、本当の意味で共存できる社会」を作る方法。そのためには生態系の基盤である植生学は重要要素だったわけですが、奥富清先生の勧めもあり先生の植生管理学研究室に入れていただくことになりました。高校卒業直後と異なり、大学での勉強の目的や必要性を納得できたので、今度は必要と考える授業はとことん勉強しました。同級生たちの卒論のテーマは、尾瀬や北海道の原生林や離島などのまさに残された自然そのものがテーマでしたが、私の卒論のテーマは、「東京湾のゴミ埋立地の上にどんな自然が成立するのか」。手つかずの自然の保全は他の優秀な人たちに任せ、なぜか、自分は生活に身近な自然、人間が壊してしまった自然をどう復元し、共存していくかのほうに興味があり、「朝起きてから夜寝るまでの生活空間で自然と共存すること」が、当時から一貫した私の研究テーマだったのです。

卒業後は環境アセスメント(環境影響評価=開発などの事業の環境への影響を事前に評価し、市民参加の下で、予測される悪影響を未然防止するための仕組み)の調査を行う会社に入社し、数年間は「環境コンサルタント」として、日本の開発と保全のせめぎ合いの最前線で働きました。しかし、当時の日本の環境アセスメント制度は行政指導で法律もなく、実質的に環境を守るための仕組みとは言えないものでした。むしろその運用は、開発推進のための免罪符になっているともいえました。次第に「自然を保護する側の論理だけではなく、開発側の論理を理解しないと、自然を守ることはできない」と考えるようになり、大学院で勉強することを思い立ちました。最初は日本で開発と保全のバランスに関して学べる大学を探したのですが、当時の日本の大学は開発は開発、自然は自然と縦割り構造で、当方の求めているような融合的な、しかし見方によっては中途半端な分野を勉強できる大学は、どこにもなさそうでした。結局、当時からそのような分野が極めて活発であったアメリカの大学院を目指すようになりました。そこで最終的に目指したのがミシガン大学大学院(University of Michigan, Ann Arbor)。生態学を学ぶ環境スクールの中にランドスケープ・アーキテクチャー分野がある、まさに開発と保全の調和について学べそうな大学院でした。後から知ったのですが、農工大が日本で最初の環境保全を学べる大学だったのと同様、ミシガン大学も世界で一番古い環境保全分野の大学だったのです。

ミシガン大学大学院に入るためには、英語のTOEFLの点数を上げなければならなかったので、カリフォルニア大学デービス校にある英語学校に通いました。その時、その土地の有力なディベロッパーと仲良くなり、彼の大豪邸のゲストハウスに住まわせてもらえることになりました。当時のアメリカは、環境アセスメントを通して、保全すべき自然を破壊せざるを得ない開発事業では、開発のために失われたのと同じ自然を、別の土地に事業者が用意しなければならないという「代償ミティゲーション」(その後、生物多様性オフセットと呼ばれるようになった仕組み)という制度が実際に動き始めたばかりでした。そしてそのディベロッパーの彼がまさに大規模な住宅地開発に伴う環境アセスメントを行っており、その結果として代償ミティゲーションを検討していたわけです。このような縁があり、結局、ミシガン大学大学院に入学する前にこの開発会社に入社し、「ミティゲーション・プランナー」(環境影響緩和策プランナー)として従事することになりました。このカリフォルニアでの代償ミティゲーション事業との運命的な出あいが、その後の研究目標やライフワークになりました。そしてこのプロジェクトが、後に代償ミティゲーションの初期の代表的成功例として世界的に知られることになったのです。

静岡県の下田市と共同で、アカウミガメの
産卵地の周知と保全を呼びかける看板を製作した
田中教授の生態系評価手法に関する著書は
韓国の大手出版社からも翻訳され、
韓国の専門家や学生にも読まれている

実社会での自然環境保全の経験を活かした専門教育

――ミシガン大学大学院で造園学修士号(Master of Landscape Architecture)を取得した田中教授は、帰国後、東京大学大学院博士課程に再入学している。それはなぜか。

ミシガン大学大学院在学中に結婚したので、帰国後、生活費を稼がないといけない事情もあり、一旦は野村総合研究所という情報が集積されている研究所に就職しました。そこでの最初の仕事は1992年の地球サミットの合意文書、アジェンダ21(世界各国が21世紀に向けて、環境と開発のバランスを図るためにとるべき行動計画)を翻訳・出版する仕事でした。また、当時、先進国の中で日本だけが持っていなかった環境アセスメント法の法制化に先立ち、様々な海外調査を行いました。そんな中で、アメリカで経験した代償ミティゲーションに代表される生態系保全、自然環境保全のための実質的な仕組みの導入は、当時の日本における最も大きな課題だと考えていました。そこで、そのような概念、制度、事例を日本に紹介する活動を、新しい学会(IAIA-Japan, 環境アセスメント学会など)の設立などを含めて様々な機会を通じて行いました。

日本で自然環境の復元や保全を推進するためには、フィールドでの知識や技術だけではなく、法律を含む新しい制度の導入が不可欠。日本の縦割り行政の中で開発と保全のバランスを図るための仕組みを考えるためにはこれまでの経験だけでは不足であり、自然環境保全の法律や制度に関する知識がもっと必要だと考え、再び、大学院博士課程で学ぶことを考えていた。そんな時に、東京大学農学生命科学研究科での緑地学研究室の武内和彦先生の指導による博士課程に入学する機会をいただいて、そこで環境アセスメント法とミティゲーション制度に関する国際比較の研究を行い、農学(緑地学)の博士号を取得しました。

その後は、これまでの経験を活かし、環境省の国際協力を行っている機関において、主に東南アジア諸国の環境保全分野にかかわるODAに従事しました。さらに、英国国立ウェールズ大学大学院の日本プログラムや諸大学の非常勤講師として、これまでの経験を基に日本ではまだ知られていない海外の自然環境保全の仕組みや事例などを紹介したり、個人の環境コンサルタントとして国内外の環境保全プロジェクトに参加したりしてきました。しかし「自分ひとりで動いているだけでは、この地球生態系の保全に対して微々たる効果すら期待できないのでは」と考え、「病みつつある地球の白血球である若い人たちに伝えたい」と考えていた時に、本学(東京都市大学、当時は武蔵工業大学)の教員のお話をいただいたのです。

田中教授の造成による、生態系や生物多様性に
配慮し太陽光や雨水などを利用したビオトープ・
パッケージ。研究室学生たちが維持し、
様々な研究の舞台となっている

実社会と密に連携した教育の推進

授業ではランドスケープ論、緑地政策論、環境フィールド・計測演習、環境情報リテラシー、環境影響評価論、生態系アセスメント、復元生態学などを教えていますが、3G(学会、行政、業界)との連携を常に心がけています。卒論を書くことだけが目的ではなく、研究成果を学会で発表し、行政や業界から委託を受けて研究するレベルまでを目指す。学会や行政、企業とかかわると、学生であっても非常に厳しいことを言われます。そうやって厳しい実社会からの批判や評価を受けつつ、学生ならではの将来に対する可能性や展望を持った研究を行うことで、学生たちは人間的にも成長し、その結果、高いレベルの研究成果が維持できます。ですから学生たちが実社会と交わる機会を積極的に作って、否が応でも実社会との関係性の中で研究を進めるように仕向けています。

日米で合計3つの大学を卒業した経験から痛感したのが、“日本の大学は社会に対して閉じている”ということ。実社会とのネットワークが少なく、卒業後も学生時代の研究がそのまま実社会で役に立つことは社会からもあまり期待されていないようです。結果として日本の大学での研究は、“調査のための調査”、“研究のための研究”など、自己完結的な作業に陥りがちです。それに対してアメリカの大学では、実社会のプロフェッショナルを育てることが極めて明確な目標になっています。言い換えれば、非常に高度な職業訓練校なのです。ですからアメリカの大学は徹夜して勉強しても時間が足りないほど大変です。「田中研究室に入ると忙しくなる」といわれることがありますが、普通のアメリカの大学のレベルだと思います。卒業後の学生の進路は主に「企業」「公務員」「大学院」の3方向。企業では環境系やランドスケープ系の専門性の高い企業に進む学生がほとんどで、公務員でもやはり環境系や造園系や都市計画系などに従事しています。いずれにしても、環境分野は極めて多様なことを同時に学ばなければならない分野なので、大学院にまず進学することが望ましいです。

こんな学生に来てほしい

人間のための生活空間と、人間以外の動植物の生活空間(生息空間、ハビタット)との調和を実現するための技術や知識や仕組みを身につけたいと思っている人。個別分野の学問のための学問ではなく、人間も含めた複合的な生態系を総体的に学び、実社会での実践的な問題解決に直結した環境学を学びたい人。そして自然や動植物を愛している人。若い学生たちは皆、病んだ地球の白血球のようなもの。そういう意識を持った若い人の受け皿として、実践的な理論と技術を教えるのが私の役目。

「T字型」の専門性などといいますが、私の研究室では「広く」かつ「濃く」がモットーですが、やはりどうしてもその人なりの“根っこ”がないとダメ。その根っこをつくるのは大学学部の4年間だけでは難しいのです。大学入学前が重要であることは言うまでもないけれども、大学入学後に「根っこ」が生え始めてきたとしたら、社会に出てからも勉強をつづければ30歳くらいまでにその人なりの根っこができると思います。私の研究室の卒業生には、環境分野や造園分野といった専門分野の第一線で活躍している人が多くいます。彼らは、卒業後も当研究室と密接な関係を持って環境創生の仕事に取り組んでいます。そのような教え子たちの存在こそが私の宝物です。

[研究室HP] http://www.yc.tcu.ac.jp/~tanaka-semi/


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※掲載されている教授の所属・役職などは取材当時のものであり、現時点の情報とは異なっている場合があります。