早稲田塾
GOOD PROFESSOR

東洋英和女学院大学
国際社会学部

池田 明史 学長

いけだ・あきふみ

1955年、神奈川県生まれ。東北大学法学部卒業。大学在学中1977年から79年英国スターリング大学及びオクスフォード大学に留学。1980年アジア経済研究所に研究員として入所、中東の現代政治分析を担当。84年から86年イスラエル・ヘブライ大学トルーマン記念平和研究所客員研究員、1994年から95年英国オクスフォード大学セントアントニーズ校客員研究員、1995年から96年トルーマン研究所客員教授などで長期在外研究。1997年より東洋英和女学院大学社会科学部助教授、現教授。日本国際政治学会、国際安全保障学会所属。主な著書は共著 『大量破壊兵器不拡散の国際政治学』(有信堂)『中東—ニュースを現代史から理解する』(自由国民社「現代用語の基礎知識」特別編集)、編著で『イスラエル国家の諸問題』『中東和平と西岸・ガザ』(アジア経済研究所)ほか多数

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毎年6月23日(沖縄戦終結「慰霊の日」)を
含んで増田弘教授ゼミ(日本外交史)と
合同で行う沖縄旅行
東洋英和の先生がたを中心に執筆
『なぜ世界で紛争が無くならないのか』
( 講談社+α新書 2009年6月)

中東紛争の第一人者が教える複数の視点

――今回紹介する池田明史教授は、中東紛争研究の第一人者。平和が当たり前の私たちにわかりづらい中東情勢を「自分が彼らだったらどうする」と引き寄せて考える方法を示してくれる。

私は大学の3年生が終わった時点で休学して、2年ほどイギリスの大学に行ったのですが、その時期初めてエジプトのサダト大統領がイスラエルを訪問し、79年にはイスラエルとエジプトが平和条約を交わしました。

この前まではイスラエルとエジプトを含むアラブ陣営は、両方とも「相手は存在しない」と言っていました。つまり「イスラエルという国家は存在してはならない国、だからつぶすのだ」というのがアラブ側の主張。イスラエル側は「(イスラエルが占領した地域に住んでいた)パレスチナ人は独立した民族ではなく、たまたまイスラエルに住んでいるアラブ人。アラブの国は20以上あるのだからそこへ行け」と、双方とも相手は犯罪者かテロリストだと言って、互いに鉄砲を撃ち合い、捕まえたら牢屋に放り込むか射殺するかでした。

しかしここではじめて、「相手は好むと好まざるとに関わらずそこにいる」と互いの存在を認めたわけです。いる相手とは話ができるのですね。

周り中、その話で持ちきりでした。当時、今の中東の状況を作る大もとが一気に起きてその意味を考えさせられたのが、中東の紛争問題を研究するきっかけになりました。

帰国して4年生を終え、当時通産省の管轄だったアジア経済研究所という開発途上地域専門の研究機関の研究員になり、繰り返される紛争の分析をしました。その後、紛争解決、和平プロセスの検証をしました。その間、イスラエルのヘブライ大学やイギリスのオクスフォード大学で長期の在外研究をして、96年に日本に帰り、翌年ここ東洋英和に移ったわけです。

ここでも基本的には中東和平問題、中東におけるさまざまな紛争問題が研究テーマで、教えてきたのは、国際政治学、中東地域研究、地域紛争論や世界人権論。今は、授業はもたず、2・3・4年生、各学年10人から15人前後のゼミを担当しています。

キャンパスの美しく整えられた洋風の植栽。
海外のようだ
大学内のチャペル

教えられるのは分析技術だけ

――何を一番重要視して学生に伝えられているのでしょうか。

私が扱うのは、現在進行形の紛争です。大事なことは、紛争をしている人たちはみんながそれぞれ「自分に正義がある」と思って、死に物狂いでやっているということを知ること。

それと紛争の当事者は、どうやって支持を獲得するかが一番大事なわけですから「ためにする説明」や「ためにする言論」で満ち溢れます。それを頭において主張を聞かなければならないということですね。

学生の中には、「パレスチナ問題のように延々と続く紛争は、大昔から続く宿命の歴史的対立」とか(実際は第二次大戦後に生まれた問題です)、あるいは「どうしようもない宗教戦争」というようなきわめて短絡的なイメージを持つ人が多い。

――一般でも「中東紛争は宗教戦争だ」というのが定説になっています。

宗教が違うことが原因で本当に人々は殺し合いをするのかというと、かならずしもそうとは言えないのです。むしろ逆で、戦争状態があって、それを生き抜くために、後付けで宗教を持ってくるんですよ。

現実に今、イスラエルとパレスチナの間で弾を撃ち合っている世代は、生まれたときから毎日が戦争状態です。そういう状態に放り込まれた人がまず考えるのは「とにかく生きのびること」「勝つこと」です。彼らは文句を言うひまもなく、弾を撃たなければならない。

ところが人間は、ずっと戦うにはいろんなものが必要になるのです。

彼らは、もう前線ではなく、敵対している相手の住んでいる地域に深く入っていって、住宅地で子どもが遊んでいるところを狙撃したり、一家団欒でご飯を食べているところに手投げ弾を放り込んだりしなければならない。こういうことは普通の神経ではできないわけですね。

できるようになるためには、「それが正当なんだ」とまず自分に言い聞かせなければならない。たとえば、「この土地は、俺たちが神様からもらった。それをあの連中が入ってきて自分のものにしているのだから、物理的に排除するのは当然だ」と自分自身を納得させる、一番強力な理論が宗教だったり、歴史認識だったりするわけです。

少なくとも私が見ている限り、宗教が違うから、あるいはイデオロギーが違うから人々が殺しあうのではなく、そこにまず紛争があって、その紛争に負けないため、勝つために、宗教やイデオロギーが動員されるのだと思います。

そういう彼らが弾を撃ち合っているとき、傍観者であるわれわれが、スポーツの審判のように「主張はこっちのほうがより正しい」などとは軽々しく言えないのです。ウルトラマンとバルタン星人が戦っているわけではなく、戦っているのは、みんなウルトラマン一家。単純に善玉と悪玉で割り切ってしまうような見方をすると誤ってしまう。こういうことが、私が教えている基本的な姿勢です。

東洋英和女学院は2014年に放映された
NHKドラマ「花子とアン」の舞台でもある
「IS」について書いた「地歴最新資料」

「複雑さに耐える」ための授業

――一般向けの経済誌にも「日本の見方は短絡的である」と書かれていますね。

そうです。この国の人々は、あまりにも簡単に、善玉と悪玉を分けようとする。一般に見られる欠点です。世の中は、そんなに単純なものではない。複雑さに耐えなければならないわけです。

――「複雑さに耐える」、どう学生さんに伝えるのでしょうか。

学生を連れて毎年沖縄に行っています。日程は、沖縄戦が終結した日である6月23日と重ねます。

これは3年生のゼミ生を原則として連れて行く毎年の研修なんですが、沖縄についたその日に沖縄戦跡国定公園を巡って、そこで70年前に何があったかということを一応再確認します。次に今度は、自衛隊の那覇基地、陸海空の3自衛隊、それぞれの施設を見学します。これは一方では日本の安全保障の問題を肌身で感じてもらうんですね。

次に沖縄国際大学の学生とゼミをもちます。すると沖縄で一番問題になっている米軍の基地問題、普天間基地をどうするのか、辺野古に移転するのかということがあるわけですが、これは立場によって見方が違ってくるわけです。

自衛隊で現実に見た安全保障の問題から東洋英和の学生が考えればどうなるか。沖縄国際大学は普天間基地のすぐ横にあって、1回学内にヘリコプターが落ちてひどい目にあった学校です。その学生は何と考えているのか。それぞれ視点が違います。立っている基盤が違うから視点の違いが出てくるわけです。

教師は答えを用意しているわけではない。ただ学生にそういう見つからない答えを考えさせる、感じさせるのが沖縄研修の狙いです。沖縄研修で「世の中は複雑だ」ということを感じてもらうのです。

安全保障の問題でも、今までは航空自衛隊の基地に行くといつも格納庫でのF15という主力迎撃戦闘機のコックピットに学生を乗せてもらったのですが、今回は格納庫に1機もなく、しかも中国の領空侵犯対処があって、F15が2機ものすごい勢いで飛んでいきました。それだけやりくりに困っているということですよね。

日本が置かれている安全保障の問題がいかに厳しいか彼女たちは現実に肌身でわかったはずです。そういう問題と、たとえば米軍基地の移転問題がどういうふうに結びつき、そしてそれを沖縄県民や沖縄の学生がどう見ているかという問題と、当然結びついてくる。

日本全土の75%の米軍基地が集中する沖縄は、返還後もほとんど「合法的な占領地」です。この状態をどう脱却するかは日本人一人ひとりが考えなければならない問題です。しかしこういう問題に、皆が納得する正解はない。現実とは、努力すれば必ずよくなるというような簡単なものではありません。結局、各人が自分で答えを選び取るしかない。その答えが他人と違っていても。

現実は複雑に入り組んでいて、組み合わさって、難しい。複雑な糸を、どこまでほどいていけるかなんですね。

たとえ解析を終えても、現実はきれいにはならない。糸は、ほどききれなくてもいいわけです。考えながら生きていくことが「複雑さに耐える」ということです。

こんな学生に来てほしい

ものごとを、複数の視点で見られるようになってください。私がゼミで指導しようとしているのは、起こっている事象から「距離をとるための方法」です。ある問題を、状況だけで見ずに、状況全体を上から見たら、構造的に見たらどうか、あるいは原理の面から見たらどうなるかなどいくつもの分析法があります。私はそれで同じ現象や状況を解析するとどうなるかという手法を教えます。手法や態度、順序については指導できますが、その結果、どのような結論や考えを導き出すかはその人固有のものです。

ですから来てほしいのは、現象や事件や状況に、何らかの関心を持っている人です。それがどんなものでも「関心を持っている」ことが大事です。



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※掲載されている教授の所属・役職などは取材当時のものであり、現時点の情報とは異なっている場合があります。