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GOOD PROFESSOR

東京農業大学
応用生物科学部 生物応用化学科

樋口 恭子 教授

ひぐち・きょうこ

東京都生まれ。櫻蔭高等学校卒業後、東京大学理科2類入学。農学部卒業。同大学大学院農学生命科学系研究科博士課程修了。博士号取得。その後国税庁に入庁し、鑑定企画官付 兼 醸造試験所勤務。東京大学大学院農学生命科学研究科農学特定研究員・科学技術振興事業団CREST研究員・日本原子力研究所高崎研究所博士研究員をへて2001年より東京農業大学講師。11年より現職。「ニコチアナミン合成酵素の研究」により第18回日本土壌肥料学会奨励賞受賞。生物多様性影響評価検討会農作物分科会・内閣府食品安全委員会など、学外の委員会活動も多い。

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応用生物科学部や地球環境科学部・国際食糧
学部などがある世田谷キャンパス。
ほかに厚木キャンパスやオホーツクキャンパス
もある

のんびりマイペース研究も可能な植物学

――今回紹介するのは、「植物栄養学」の専門家。人のための栄養学同様、植物が健康に育つための栄養を研究し、農業に役立てる基礎研究だ。なかでも樋口教授は「不良土壌に対する適応」の研究が専門。最近は塩分濃度の高い土地でもよく育つ植物のナトリウム排除の仕組みを解明し広く注目されている。世界の食糧生産が大きな危機に直面している今こそ重要な使命を担っている研究だが、ご本人によると、この分野に進んだのは「大学時代のネガティブな選択の結果」だという。

もともと化学と生物が大好きで、「未知のことを明らかにする分野に進みたい」と漠然と考えていました。そこで東京大学の理科2類に進んだのですが、まわりは優秀な方たちばかりなのに、わたしは正直それほど成績優秀ではなかった(苦笑)。だから人気が高く競争も激しい研究分野を選んでも、自分の能力ではついていけないだろうとも思いました。できれば自分のペースでのんびり研究生活を送りたい――そう考えて、あまり人気のないマイナーな研究分野を選びました。それが植物学だったのです。

――なぜ植物学はあまり人気がないのでしょうか。

ひと言でいえば、「植物学は商売になりにくい」からでしょう。植物の研究は農業に直結するわけですが、いまの日本は食料自給率は低いけれど、外国から食べ物を買える経済力があるため、農業に対する危機感があまりありません。それよりも「がんで死ぬかもしれない」など、健康への不安をより切実に感じている人が多いので、医学に近い生物学の分野の研究をバックアップする企業も多い。

また「もっとおいしいものを食べたい」というニーズが高いので、人々の興味は原材料より加工するところに集まりがち。そこで食品に直結する醗酵など微生物の研究の成果がたびたびニュースでとり上げられます。そもそも日本は温暖湿潤な気候なので、「植物なんて、研究なんてしなくても勝手に育つもの」というイメージも強いのでしょう。

また植物は、動物や微生物にくらべて根本原理がつかまえにくい面があります。それは植物が環境に適応して自らをどんどん作り替えていく能力があるためで、実験系を単純化して原理を見出しやすくするために細胞や組織を取り出して実験に使おうとしても、長期間にわたって元の機能を維持しにくいからなのです。

いま日本の豊かな食生活を支えているのは、おもに海外の大規模農業です。それを牛耳っているのは海外の大企業。外交がうまくいっているうちはいいですが、いったん外交がこじれると供給はストップしてしまいます。そのとき自国で輸出できる農作物や優れた品種の種がない国に、どこも何も売ってくれませんよ。

樋口教授の植物生産化学研究室などがある
2号館
東京農大の中核となる
複合施設「農大アカデミアセンター」。
蔵書数が約100万冊の図書館も。

そもそも農業とはそんなに自然なものではない

いまの日本で農業を維持することがコストに見合わないのなら、日本人のために農産物を生産してくれている国々の国土にダメージを与えず望みの種類・品質の農産物を得られるよう、栽培法と新品種の基礎研究をしておく必要があります。それすらしないでただ頼りっぱなしにしていると、将来的に大変なことになるかもしれません。その意味で植物学は非常に重要な分野なのに、いまの政府も国民もそれをあまり深く考えていないようにわたしには思えてなりません。

さらには世界的に農業生産は非常に土壌を酷使するやり方になっています。これ以上、土壌を悪化させずに収量を維持するにはどうしたらいいのか、肥料などの資材は低投入で最大限の収量を維持する方法を研究しなくてはなりません。

いま有機農法が人気ですが、最適な栽培環境であっても農作物の病虫害によるロスで収量は約3割も消えているといわれます。コストのかかる有機農法だけで世界の全人口を養うのは不可能なのです。現実には安全性の高い農薬を適切に使いこなすことができれば、環境を悪化させずに全地球の人口を養う方法を見つけられるかもしれないのです。

化学農薬というと悪いイメージを持たれがちなのですが、最近はだいぶ進化して安全性の高いものにどんどん置き換えられています。また化学肥料も使い方を誤ったために土壌を酷使し悪化させたのであって、有機質肥料とともに適切に使用すれば、有機質肥料のみよりもむしろ環境に対する負荷を軽減することができます。「天然物イコール善」「人工物イコール悪」という考え方にはほとんど根拠がありません。農業において天然と人工の定義はあまり意味がないように思います。

そもそも農業とはそんなに自然なものなのでしょうか。人間が手をかけて作っているわけですから、人工物とさえ言えるのではないでしょうか。06年から「有機農業推進法」が施行されていますが、それがどれだけ意味があるのか疑問です。

温度・湿度を一定に保つ「人工気象機」内で
栽培している大麦の苗

あす役立つことだけ追求していては革新などない

――樋口教授が担当する講義ではどのようなことを大事にされているのでしょうか。

1~2年次では基礎科学を担当していて、「生物学」「細胞生物学」「無機化学」「植物生理学」などを教えています。東京農業大学は「実学主義」をモットーにしていますが、わたし自身は「いったん実学は忘れてください」と言っています。あす役に立つことだけを追求していては技術革新などない――そう考えるからです。予想しなかったことが万が一起こった場合に備えて、役に立つかどうかわからないオプションをたくさん揃えておく必要が農業にはあるのです。生物のゲノムもそのようにして進化してきました。

あらゆる学問が高度化・細分化されていきますが、狭い分野に陥ってしまってはダメです。「知識」という“点”同士を結んで“線”にしていかないと、人々の役に立つ「知恵」にはなりません。まだ誰も足を踏みいれていない真っ白な分野に自ら新たな線を引いていく――そういう気持ちで学んでほしい。学生時代はそのために出来るだけ多くの“点”を集めて蓄える時期なのです。

来週の試験をクリアするためだけに知識を詰め込むのではなく、もっと先の将来を見据えてほしいと考え、そのような講義をしているつもりです。知識を身につけるだけなら、たぶん専門学校のほうが効率的です。「高卒より大卒のほうが就職時に給料がいいから」という理由で進学しようという学生には、なぜ企業が大学卒の社員に高い給料を払うのか、その理由をよく考えてもらいたいとも思います。

とはいえ、こういうことまで学生時代には十分にわからなくて仕方ないとも思います。社会人になってさまざまな問題解決に迫られて初めてわかることも数多くあります。卒業生に会うとよく言われるのは「学生時代なんの役に立つかわからないままやっていたことが今になって役立っている」ということです。大学時代にトレーニングしたことはどこかに残っていて、社会に出て本当に必要に迫られたときに武器として使えることが大事なのです。

そういう意味では、わたしは今現在の学生から直接感謝されることを期待しておりません。

こんな学生に来てほしい

自分で何かを明らかにしようという気持ち、野心を持っている人ですね。指示や正解をほしがる学生がとても多いのが残念です。仮説・予測を「正解」だと思っていて、実験でもそのとおりにならないと失敗だと思ってしまうのです。予測どおりにならないこと自体に発見が隠されているのに。そもそも最先端のサイエンス研究に明確な正解などないことがほとんど。植物学の魅力は「すぐ役に立つ」ことではありません。まだ解明されていない新奇なことを知りたい、生物の根幹を知りたいという望みがかなえられる分野であり、化学と生物の両方が学べる分野でもあります。その意味では、自分らしいペースで追いまくられることなくのどかな環境で研究をしたいという人には向いていると思います。

もっと大きくいえば、植物学は人類文明を維持していくために一番貢献できるかもしれない学問でもあります。いまは埋もれて顧みられていない知識がいざというときに国(人類)を救うかもしれない。はやぶさのような宇宙開発技術にだけ夢があるのではなく、植物学にこそ多くの夢があると思います。植物は動かないから消極的に見えますが、よく見ていると全くそうではありません。「なぜこんなところで生きていけるのか」と思うようなところでも、その環境に適応してたくましく生きていく。そういう植物たちを見ていると、人間をふくめた生物はどんな環境でも最大級の努力をしていく、それこそが大事なのだと痛感させられます。


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※掲載されている教授の所属・役職などは取材当時のものであり、現時点の情報とは異なっている場合があります。