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GOOD PROFESSOR

学習院女子大学
国際文化交流学部

工藤 晶人 准教授

くどう・あきひと 

1974年東京生まれ。96年東京大学文学部卒。2000年仏プロヴァンス大学DEA課程修了。04年東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。日本学術振興会特別研究員、大阪大学大学院特任研究員をへて、11年から学習院女子大学で教鞭、現准教授。 

おもな著書に『地中海帝国の片影フランス領アルジェリアの19世紀』(東京大学出版会2013年刊、サントリー学芸賞)、分担執筆に『教養のフランス近現代史』(杉本淑彦・竹中幸史編、ミネルヴァ書房 2015年刊、15人で執筆の大学初学者用教科書)ほかがある。

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授業では、古代だけでなく常にあった地中海の
人の移動も研究されている
『地中海帝国の片影フランス領アルジェリアの19世紀』
でサントリー学芸賞(思想・歴史部門)を受賞

複数の視点から見るフランス近現代史

——2015年は、フランスの首都パリでテロ事件があいついだ年だった。1月にはイスラーム教の開祖ムハンマドを揶揄した週刊風刺画新聞社が襲撃され、11月には連続銃撃事件が起きた。それぞれの事件の犯人とされたのがアルジェリアやモロッコにルーツをもつイスラーム系移民だったことから、事件の背景に注目が集まった。南仏プロヴァンス大に留学し、フランス占領後の19世紀アルジェリアを描いた初の著書によりサントリー学芸賞を受賞した工藤晶人先生は、この事態を、「事件の衝撃だけに目を奪われるべきではない」と冷静にとらえる。

宗教に根ざした対立としてとらえる見方や、移民社会のあつれきを強調する見方、難民の急増とむすびつける見方などがありますが、いずれにせよ単純な説明に満足せず、過去をふりかえることが必要です。

はじめに強調したいのは、移民+宗教対立=暴力というような短絡的なとらえ方を避けるべきだということです。フランスは19世紀の半ば、日本でいえば明治以前から、多数の移民を国外から受け入れてきました。フランス人の4人に1人は外国系の祖父母をもつと言われることもあります。19世紀から20世紀半ばにかけて多数を占めたのはヨーロッパの国々からやってきた人たちで、20世紀半ば以降に増加したのが、北アフリカとサハラ以南アフリカの旧植民地から移住してきたムスリムの人々でした。

近年の特徴としてもちだされる説明、たとえばイスラームとヨーロッパの文化は両立しないという類の議論は、じつはヨーロッパ系移民が多数だった時代にも繰り返されてきました。いまから1世紀以上前のフランスでは、イタリア人やポーランド人は同じカトリック教徒ではあるけれどフランス人とは信仰のあり方が相いれないと排斥されたのです。そうした差別は、その後の数十年のうちにほぼ消えていきます。もちろん、いわゆる政教分離の状況が異なる100年前と現在とを単純に比べることはできません。それでも、過去を知ることで現在の見え方がすこし変わるのではないでしょうか。

今日ではフランスの人口の1割弱、500万人前後がイスラーム教徒と考えられています。かれらにとっての「先祖の歴史」は、かつて植民地だったアフリカ大陸の側に根差していると言ってもよいでしょう。一方で第2世代以降の移民たちの大多数は、法的に平等なフランス人としてフランス社会のなかで生まれ育ってきています。その意味でフランスの歴史もかれらの歴史です。イスラーム世界、アフリカ、フランスの各歴史は切り離せず互いに重なりあっています。そしてその重なりあい方は、一人ひとりの事情によって千差万別です。そういった多様さに敏感であろうとするのが、現代の歴史学の特徴といえます。

学習院女子大の春の正門
都心とは思えない、落ち着きのある晩秋のキャンパス

共和国フランスが最後まで執着した植民地・アルジェリア

——数あるフランスの植民地のなかでアルジェリアを研究対象にした理由は……

わたしはフランス国内の政治史から勉強をはじめて、アルジェリアにフィールドを移すことになりました。いろいろな偶然が重なったのですが、アルジェリアがフランス近現代史に最も大きな影響をあたえた植民地だったということが出発点のひとつでした。

北アフリカのマグリブ三国(モロッコ・チュニジア・アルジェリア)のなかでもアルジェリアは、日本からはイメージを抱きにくい国かもしれません。古くは強力な王朝が栄えたこともあり、16世紀からはオスマン朝の属州として独自の歴史を歩んできました。1830年にフランスがアルジェリアを征服するとヨーロッパ系の入植者による開発が進み、20世紀前半には世界で3番目のワイン生産地になりました。1962年の独立前後には入植者のほとんどが去り、アラブ・ベルベル系のアルジェリア人による国家建設がはじまります。こうした経緯から、1830年から1962年までという時代区分はとてもはっきりとしたものです。

——アルジェリア独立が1962年まで遅れた理由については……

ひとつには、ヨーロッパ系の入植者が多かったためです。その人口は100万人前後、3世代以上にわたって定着した人たちもいました。アルジェリアはフランスの延長と呼ばれ、ほかの植民地と違って「県」としてフランス内務省が管轄してもいました。アルジェリア独立戦争(1954~1962年)は、アルジェリア人が約25~40万人、フランス人も3万人以上が犠牲になったといわれる凄惨な戦争で、アルジェリアが独立を達成したのは暫定政府結成から4年後のことです。

その歴史を考えるためには、一方にフランスの歴史、他方にイスラーム世界の歴史という風にばらばらにとらえるのではなく、両側を俯瞰する視点が必要です。植民地時代を舞台にした文学作品として、アルジェリアで入植者の子として生まれた作家カミュの『異邦人』が有名です。独立戦争以前の1940年代に出版された小説ですが、そのなかでフランス系やスペイン系の入植者には名前があるのに、主人公に銃で撃たれて死ぬアラブ人には最後まで名前があたえられていません。いわば情報の非対称性があるわけです。おなじような偏りが、今日の私たちの歴史認識のなかにもある可能性に注意しておきましょう。

学習院女子大キャンパス点描
学習院女子大キャンパス点描

人間の考えは「時代とともに進歩する」のか?

——1830年に七月王政のフランスがアルジェリアを植民地にしたあと、1848年の二月革命・第二帝政をへて第三共和政が成立する。そのあいだフランス国民はほぼ一貫して植民地拡大を支持したことにもなる。

たしかにフランスといえば「自由・平等・友愛」の理念が有名で、植民地支配とどう結びつくのかわかりにくいところがあります。「文明化の使命」という優越意識があったからだという説は有名ですし、貿易の拡大をもとめた地方経済界の力を強調する研究者もいます。いずれにせよ、理念のおよぶ範囲は全人類ではありませんでした。

たとえば、フランス革命の時代の人権宣言がもっぱら男性の権利にかかわるもので、女性の権利がふくまれていなかったことはよく知られています。植民地についていえば、19世紀のフランス人の大多数は、民族としての自由がアラブ人にあるはずがないと考えていました。

ここまでは常識的な知識ですが、一方で興味深いのは、フランス革命の時代に男女同権を主張した人がいたように、19世紀前半にもアラブ人の民族としての自由を認めるべきだと発言したフランス人がいて、アルジェリア側にも同様の考えをもった人がいたらしいという事実です。これは、20世紀の民族運動よりもずっと以前のことです。昔の人々よりも後世の人々の考え方が進歩しているとはかぎらない。よく調べてみると、今日問題とされることには当時の人も気づいていたという例がしばしばあります。

——歴史を勉強する意味は何だとお考えですか。

もしかしたら歴史を知らないほうがある意味で気楽に生きられるかもしれませんね。マルク・ブロックという歴史家は、「歴史が何の役に立つのか説明して」という息子の言葉にこたえるために一冊の本を書こうとしました。ブロックが第二次世界大戦中に命を落としたために未完におわりましたが、その本のなかで、歴史学とは「より良く理解するための努力」であると書かれています。他人を悪とみなすことは容易だが、その前にもう少し相手を理解するべきではないのか、とブロックは言うのですが、もちろんこれは簡単な道ではありません。

歴史を学ぶことは、時間と空間で私たちと隔てられた誰かと出会い、その人たちが何をしていたのか、考えていたのかを理解する訓練になります。人間の多様さを経験し、わからないことを単純化して片付けず、より繊細な理解に近づこうとする態度は、大学卒業後どんな形で生きていくにしても役に立つはずです。

こんな学生に来てほしい

ゼミ生は、いま4年生が10人、3年生が11人。研究テーマは歴史が中心ですが、現代の移民、ジェンダー、紛争といったテーマを調べる学生もいますし、ヨーロッパだけでなくアフリカ、アメリカ、オーストラリアに関心をもつ人もいます。なるべく世界中いろいろな地域に関心をもって、いままで知らなかった国々や地域について調べ、五感を駆使して勉強してほしいと思います。自分で調べることで、いま何となく持っている世界についてのイメージと物語のバランスを変えてほしいのです。狭い意味の歴史だけではなく、現代の出来事にも広く興味や関心をもてる人を歓迎したいですね。



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※掲載されている教授の所属・役職などは取材当時のものであり、現時点の情報とは異なっている場合があります。