早稲田塾
GOOD PROFESSOR

青山学院大学
文学部比較芸術学科

三浦 哲哉准教授

1976年福島県郡山市生まれ。福島県立安積高等学校をへて、一橋大学社会学部卒。仏カーン大学大学院修士課程(DEA)映画演劇コース修了。東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻表象文化論コース博士課程修了。博士(学術)。日本学術振興会 特別研究員やいわき明星大学非常勤講師などをへて、2013年から現職。このほか2015年度「映画美学校 批評家養成ギブス」講師、3.11大震災後の福島をめぐる上映プロジェクト「Image.Fukushima」代表も務める。「キネマ旬報」「ユリイカ」等に映画批評を寄稿中。

おもな著書に『映画とは何か:フランス映画思想史』(筑摩書房)『サスペンス映画史』 (みすず書房) 、訳書に『ジム・ジャームッシュ・インタビューズ』(東邦出版)などがある。

  • mixiチェック
晩秋を迎えた青山学院大学の正門付近
青学キャンパス内のイチョウ並木。
正門越しには国連大学

3.11震災後だからこその映画史研究

――今週は、青山学院大学文学部比較芸術学科で教鞭をとりつつも、新進気鋭の映画批評家として健筆もふるう三浦哲哉准教授にご登場願う。まずは、ご専門の表象文化論(フランス・アメリカの映画史研究)という学問分野に興味をもたれたキッカケからお聞きしていこう。

わたしは中学生ぐらいから様々な本や映画などの文化・芸術に親しんでいましたが、一橋大学社会学部に進学して、野崎歓先生(現・東京大学文学部教授)から映画論および英仏文学の授業をうけたことが決定的でした。社会学を学ぶつもりだったのですが、フランス映画のおもしろさに目覚めました。そして仏ノルマンディーにあるカーン大学や東京大学大学院で表象文化論という映画も含めた研究にのめり込んでいきます。同時にそのころから映画評論家としても並行して文筆活動を続けてきました。


――ここで表象文化論とは、芸術を含めあらゆる文化事象として表れてくる表象の問題を研究する学問のことをさす。三浦先生の場合、おもな研究の対象はフランスおよびアメリカの映画史だ。

映画を観るという行為は、映画館という遮断された場所において、いっとき人工的に再現されたもうひとつの世界に身をゆだねることであるわけですが、これはよく考えると非常に不思議なことです。神秘的な「啓示」がそのとき降りてくる――そう表現する論者もいるほどで、それぐらい強烈に美しい映画が実際に世の中には確実に存在します。そういう思いは、映画を研究して知るほどにますます深まっています。


――青山学院大学文学部内に比較芸術学科が創設された翌年、演劇映像コースに所属する准教授として着任した三浦先生は今年で3年目を迎えた。先生の講義を受けるのは比較芸術学科の学生のみなのだろうか。

授業にもよるのですが、学部向けの「映像文化論」などは本学科以外でも受講が可能です。ここでは往年の無声映画からトーキー映画へ、フィルムからデジタルへとたゆまなく進化をとげてきた映像メディアの世界について概観しつつ、そうした映像メディアの誕生と発展が今日の社会・文化におよぼした影響についても考えてもらうようにしています。政治経済学部や経済学部の学生なども多いですよ。そのため授業のなかで映画を上映することもよくあります。1コマ90分なので全編通しでは無理なことが多いのですが、重要な個所を抜粋して観てもらうことになります。

映画研究のような若い学問をやる意味とは、柔軟な視点で絶えず自らを更新していくこと、あるいは柔軟なままに自身の考えを保っていけるということだと考えております。わたし自身も権威を振りかざして教えるようなことをするつもりは一切ありません。若い人たちといっしょに価値観や研究方法なども絶えず更新しながら、魂を揺さぶるような本物の映像体験をいっしょに分かち合えればとも思っております。


――青学文学部の演劇映像コースで映画文化について学ぶにあたって、受験勉強以外の勉強や趣味にあまり時間を割かずにきた学生達の〝基礎体力〟が足りないようなことを感じることなどあるのだろうか。

本学科には3つの領域があって、音楽・美術・演劇映像という3コースがあるのですが、演劇映像コースで映画について、カルチャースクールなどではなく大学で学ぶということにはそれなりの覚悟はもっていてほしいですね。じっさい何となく寅さんの映画や黒澤明監督のことは聞いたことがあるが、古典的な映画は観たことがない、そういう人はやはりとても多いです。

ただ、そういう学生は今まで古典的な作品に触れる機会がなかっただけで、意識してどんな「表現」がなされているかを問いながら見る――そういうようなリテラシーさえ身につけば、若い感性をもった学生のみなさんは目を輝かせて面白がってくれますし、目からうろこが落ちたというような人も実際多いですね。


――子どものころから親から与えられた「ジブリ」が好きで「ディズニー」が好きなので――そんな動機だけで比較芸術学科演劇映像コースに来られてもあまりにも底が浅すぎるのは言うまでもない。

ポピュラーな映画作品が好きというのは否定しません。ただ、趣味として好きということに自足するのではなくて、この社会でそれらの映画が果たす役割が何なのかとか――そういった「問い」を持たなければ、芸術の研究にはなり得ません。だから歴史的な文脈も知っている必要があるし、映画だったら映画の歴史について書いてある新書の1~2冊くらいは読んでいてほしいし、古典的な映画もDVDでいいから小津安二郎くらいは観ておいてほしい――そういう希望は教える側としてはありますね。


――ITネット社会になって、いつでもどこでも最新の好きな情報コンテンツを好きなだけ個々に触れることのできる時代になったとは言われながらも……

実際はとても限られた趣味嗜好や流行の範囲内で映像を楽しむという方が大半だと思います。それではあまりにもったいないと感じます。やはり芸術・文化というものは、その本物を体験してみないと何の意味もなしません。それこそ青山にあって、原宿も渋谷も近いという本学の立地条件は、映画館や劇場・美術館など芸術鑑賞に適しています。まさに本学は映画をはじめ芸術文化について学ぶにはうってつけの環境にあるともいえるでしょう。

三浦研究室のあるガウチャー・メモリアル・ホール
著書『映画とは何か:フランス映画思想史』は、
科学映画作家パンルヴェから哲学者ドゥルーズ
までを貫く〝自動性の美学〟を軸にまとめた労作

「問い」をもった芸術研究を通じて感性を磨く

――青山学院大学文学部比較芸術学科演劇映像コースのゼミ演習は2年次の基礎演習と3~4年次の演習とに分かれる。4年次の卒業論文の指導については……

卒論のテーマは映画・映像文化に関する内容であるかぎりは学生それぞれの自由です。映画研究は新しい学問領域ですし、こちらから「規範」を強く押しつけることはありません。ただ個々のテーマ選択にあたっては、「そこに『問い』があるかどうか」にはこだわってもらいます。

たとえばジブリ映画などを観たときにでも、世の中ではこういう評価・批評がなされているけれど果たして本当なのだろうかと自ら調べていく。そういう「問い」の意識をもち続けられる研究内容であるならば、卒論レベルの質を保つ見通しが立つことにもなるわけです。


――ところで青山学院大学文学部といえば自己推薦入試制度に注目が集まる。三浦先生も比較芸術学科へ着任以来、おりにつけその選考にかかわってきたという。

本学比較芸術学科は10人をめどに自己推薦枠でとるのですが、そうなると30人ぐらいの受験生と面接する必要がありますので、学科教員は総出で面接などに対応します。自己推薦は一般入試とは入口そのものが違いますので、すでにある程度の個性(オタクやマニアをふくめて)をもって「腕におぼえがある」というような人を積極的に受け入れて、学科全体のコアになってもらい活性化させたいという狙いもあるわけです。


――よくいわれる入学後の成績評価など自己推薦と一般受験生との質に違いはあるのだろうか。

たしかにペーパーテストレベルにおける一般教養の当初の学力差は多少あるかもしれません。しかしもっと大きな傾向として、もともと芸術に特化して入ってくる自己推薦の学生には、キャラクターの濃さというか、学科全体を引っ張るような素質をもつ人が目立ちます。そういう意味ではねらい通りですね。今後もますますそうなってほしいと思っています。語学力などは大学に入ってからキャッチアップすれば十分なので。


――いよいよ4年目で初の卒業生を送り出す文学部比較芸術学科だが、その進路については……

一般的に「文学部は就職率が……」などと言われがちですが、もともと本学の卒業生は柔軟性があって、企業採用側にすれば一緒に働きたいというような印象を持っていただいていると聞きます。まだ全部の就職状況がわかるのはこれからですが、他学科などと比べても期待した以上に就職活動の成果があがりつつあると思いますね。

この学科で徹底的に勉強することで、人と人との意思疎通や、コミュニケーションとは何かということを、芸術を通して学ぶこともできるはず。それも、表面的な知識ノウハウではなく根本におけるコミュニケーション能力や人間的感性を磨いた学生をそれなりに企業側も欲しがってくださるという流れも見えてきそうな気もしています。

いわゆる青学ブランドと芸術の勉強をしてきたということがうまくかみ合って、社会で活躍できる人材として巣立ってくれればと思います。もちろん芸術関連の職種に就けるのが理想ですが、実際にそれを実現させた学生の数も予想以上に多いですね。

晩秋の日の青山学院渋谷キャンパス点描

「映像メディアのもつ宗教性」の秘密に迫る

――いっぽう福島・郡山市で生まれ育った三浦先生自身は、3.11東日本大震災後の福島をめぐるドキュメンタリー映画の上映プロジェクト「Image.Fukushima」を自ら主宰していることでも広く知られる存在でもある。

あれだけ深刻な原発事故をふくめて未曾有の事態に見舞われた故郷・福島の姿を前にして、映画にかかわる者として何かしらしたいと強く思いました。そこで大震災や原発事故をテーマとする意欲的な映画作品の紹介につとめる活動を続けております。

原発事故による放射能汚染問題は、現地にいればとくに、あまりにも一面的なイメージで語られすぎているように思います。そのような「紋切り型」のイメージを解きほぐし、より精細に現実に触れさせるような力が映画にはあるはずなのです。世に埋もれがちな良質のドキュメンタリー映画の存在を人々に知らしめ、偏見・憶測や一種のレッテル張りなどとは一線を画しつつ、現地で暮らす人々の肉声を届けていきたいと思って、全国で上映会などを催してきました。


――ドキュメンタリー映画監督らが泊まり込んで手弁当でつくり上げた映画作品を首都圏や福島などで上映紹介することで、「福島の今」を内外に知らしめようとする貴重な活動の数々ということになる。

こうしたドキュメンタリー映画には、自分とはまったく違う境遇や考えをもつ人々が現実にたくさん存在しているということを伝える力があると信じたい。そういう一念で、こうした上映会だけでなく、現地ジャーナリストの講演会なども東京等で企画開催したりしています。これらの経験は、自らの映画評論ふくめた研究活動ともつながっており、社会の現実に具体的にどう働きかけていくべきかという問題を考えるきっかけになりました。

――3.11関連報道をみていてもテレビ新聞など既存マスメディア産業の限界を見せつけられる一方で、IT発信をふくめた映像文化そのものが有する社会的・政治的なメッセージ性はますます大きくなっていく。それは今後の映画研究の手法にも新たな変貌を次々と迫ってくるとも語る。

DVDやビデオが大衆化したことの重要性はもちろんのこと、ITに関していえば、過去の映像コンテンツが簡単に観られるようになったのですね。これはものすごいことで、たった数年前までは全く不可能なことでした。インターネット上において世界中の映画アーカイブがどんどん拡充されていて、映画研究のリテラシーはこれから飛躍的に進化していくことでしょう。そういう意味では、まさに映画研究は未来の学問なのだと思っています。


――最後に先生自身の個人的研究の今後についても語っていただいた。

映画がもっている宗教性について考えていきたい――震災後ますますそう思うようになりました。たんに宗教について描かれた映画のことではなくて、映画そのものの映像メディアとして持っている宗教性、あるいは「人と人とをつなぐ力」と言い換えてもいいかもしれません。かつて宗教が果たしていたような人と人とをつなぐ力、それらを今そして未来において映画はもち得るのか。そのようなことは今後の研究テーマとして大いにありますね。

こんな学生に来てほしい

芸術について心の底からどうしても学びたいという人。たまたま偏差値的にちょうど良いなどではなくて、芸術表現に対してやむにやまれぬ情熱をもった人にきてほしいですね。ある程度の知識と情熱がないとお互いにつらいし、あなた自身のためにもならないことでしょう。


公開日:

※掲載されている教授の所属・役職などは取材当時のものであり、現時点の情報とは異なっている場合があります。