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坂東太郎のこれだけは知っておきたい高校生のニュース常識 【早稲田塾】

出生率が3年連続で上昇

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09年5月、08年の合計特殊出生率(1人の女性が一生の間で生む子の数)が、厚生労働省の人口動態統計で1.37だったとわかった。過去最低だった、05年の1.26から3年連続の上昇である。

まず当たり前のことから。子どもは男性と女性合わせて2人から生まれる。したがって早死にのリスクを考えると、日本では約2.08が人口維持に必要とみなされている。これを下回ると、ざっといって親の代より子の代の数が減る。何と2.08未満は、1974年の2.05から30年以上続いている傾向でもある。このままだと将来の推計人口は、50年後には約9000万人に、100年後には約3千万人台もありうるとの、ショッキングな見通しがある。「1.37」をやれやれと喜んでいい状況ではまだまだない。

「少子」の主な流れは、まず1966年の合計特殊出生率1.58があった。干支で60年に1度来る「丙午(ひのえうま)」の年。江戸時代に、「八百屋お七」と俗称されている女性が、火事で焼け出された際に会った男性が恋しくて、もう一度火事があればと放火したが消し止められた。「火付け」は重罪で死刑となった。それを浮世草子作家の井原西鶴が、1686年刊の『好色五人女』で大火災の犯人に仕立て上げ、(史実と違う)大評判となった。そのお七が丙午生まれ(実際は生年不詳)と俗説が広まり、さらに、読本作家の滝沢馬琴が1811年に著したエッセー『燕石雑志』に、丙午生まれの女性は男を食うと書き、デタラメながら根強く受け継がれて「生み控え」となった。

翌年には回復するが、72年に2.14を記録して以来、低下傾向が続く。そして前述の通り、74年に2.05と人口維持に必要な2.08を下回った。だがこのころに政府が少子化対策に熱心だった形跡はない。
騒ぎになるのは89年の1.57という数だった。「丙午を下回った」と問題視されて、90年からエンゼルプラン、新エンゼルプランと対策を講じた。「丙午」という妙な迷信が後押ししたわけだ。

まず72年以降から、遅くても74年以降からなぜ手だてを講じなかったかが問題となる。このころの日本はいざなぎ景気(経済の高度成長)が終わり、円切り上げや第一次石油危機で経済危機に見舞われていて、目の前の炎を消すのがやっとだったかもしれない。同時にそうした社会不安が、「生み控え」につながった可能性もある。

別の観測もできる。71年から74年は第二次ベビーブームで子どもの数が急増した。「少子化」は「数」で判断する場合が多い。この時期は「率」は低下への転換点だったが、数は多かった。だから切迫感がなかったのかもしれない。

次に90年以降のエンゼルプランなどが効果を発揮しなかったのはなぜか、である。多くの識者が指摘するように、仕事と子育てを両立できるようなシステム作りが不十分なのが大きい。社会保障費のうち、児童・家庭関係は約3兆円で全体の4%、高齢者関係の約60兆円とは大差がある。「人口維持」だけに限れば高齢者関連予算も人口維持には役立っていようが、少子対策は寒い現実がある。

国立社会保障・人口問題研究所の出生動向基本調査によると、ひと組の夫婦から生まれる子どもの数の平均は05年で2.09あるのに比して、同年代の15~49歳の女性で子どもを生んでいない人の割合は、1970年の6%から05年には38%まで増えている。結婚すれば2人は産むが、しなければ生まないということである。

各種統計から浮かび上がってくるのは、結婚すれば子どもを2人は生むが、男女とも仕事で子育てに手が回らず、とくに男性は「亭主関白」でもないのに子育てにほとんど参加できない。対して働く女性は、男女平等にほど遠い環境にあり、育児の時間と責任はきわめて長くて重い。状況を改善する国の予算規模は微々たるものだとなる。結婚しないという選択をする女性が増えてもおかしくない。

そこでさまざまな措置がなされ、わずかでも3年連続の出生率上昇となったと言える。しかしもっと別の見方も可能。キーワードは「希望」だ。

戦後一番出生率の高かった第一次ベビーブーム(1947年から50年ごろまで)は、今より恵まれていたかというととんでもない。敗戦後の強烈なインフレと、それを抑える引き締め政策に国民はほんろうされ、医療も食料も不十分だった。

失業者は約1400万人とみられ、さらに失った海外植民地から、約700万人の日本人が復員または引揚げてきた。育児に踏み切る動機など何もなかったように感じる。だが適齢の日本人夫婦は次々に子を生んだ。

当時の文言を読むと「新日本建設」「祖国再建」など、まるで新世界に乗り出すようなキャッチフレーズが目立つ。何もない状況下であったが、明らかに絶望的だった戦争が終わって、終盤は「新日本建設」が始まった。これからは、何もない今より悪くなるはずがない。そして「これから」を担うのは子どもである。そんな連想が後押ししたのではないだろうか。

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著者紹介

【坂東太郎】

毎日新聞記者などを経て現在、早稲田塾論文科講師。 現在、日本ニュース時事能力検定協会監事を務める。 著書に『マスコミの秘密』『時事問題の裏技』『ニュースの歴史学』など。 早稲田塾の「AO・推薦対策講座」および「論文作法」を担当。

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