東京地検特捜部って何?
正式には「東京地方検察庁特別捜査部」。現在は小沢一郎民主党幹事長周辺の「疑惑」捜査でよく聞かれる。そこで素朴な疑問。
「捜査って警察の仕事ではないのか?」
基本的にはその通りで、刑事訴訟法(刑訴法)189条2項には
司法警察職員は、犯罪があると思料するときは、犯人及び証拠を捜査するものとする
とある。「司法警察職員」の主力はいうまでもなく警察官なので、「捜査って警察の仕事」で原則正しい。難しい表現でいうと「警察は第1次捜査担当者である」となる。
したがって検察官の仕事は、これまた原則として警察から送致されてきた事案を起訴できるかどうか調べ(検察刑事部の検察官)、起訴した場合には裁判所で開かれる裁判で論告求刑を行うなど、「公判維持」(検察公判部の検察官)に務める。
では検察官に捜査権はまったくないかというと、そうでもない。刑訴法193条には
検察官は、その管轄区域により、司法警察職員に対し、その捜査に関し、必要な一般的指示をすることができる。この場合における指示は、捜査を適正にし、その他公訴の遂行を全うするために必要な事項に関する一般的な準則を定めることによつて行うものとする
とある。
ただし、ここから読み取れるのは「捜査を適正にし、その他公訴の遂行を全うするために必要な事項」への、いわば補助的捜査の色合いが強い。現に同条3項には「検察官は、自ら犯罪を捜査する場合において必要があるときは、司法警察職員を指揮して捜査の補助をさせることができる」とある。ここでも警察が第1次捜査担当者である点は揺るがず、東京地検特捜部、すなわち検察庁の1部局が警察を経ずに捜査をするという根拠にはなりにくい。
実は検察官は「起訴するかしないか」と「裁判への立ち会いと維持」に専念すればいい、という「検察官公判専従論」(米国はそうである)という考え方が、かねてよりあったし今もある。発端は戦前の、日本の検察が強大な権限を持っていた反省に基づいていた。
戦前の刑訴法は「検察官が捜査の主宰者」とされ、第1次捜査担当者だった。警察は「検事(検察官)の補佐として其の指揮を受け」る役割に過ぎなかった。検察官は裁判所の検事局に置かれ、どちらも丸ごと司法省トップの司法大臣の監督下にあった。つまり「司法・立法・行政」の3権のうち、司法の主体である裁判所が、行政府である司法省の元にあった。敗戦後に戦後改革の中心となった連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、これをいびつとみなし、司法省を解体して裁判所を独立させ、検察局は検察庁という行政機関として新発足した。
と同時に、1934年に起きた帝人事件のような、検察の暴走ともいえるでっち上げ事件や、特別高等警察のような思想取り締まりが、戦前の日本の暗部とみたGHQは「検察・警察の民主化」にも着手する。当初案はアメリカの制度と似た、検察官公判専従と自治体警察の創設などである。必然的に第1次捜査担当者は、検察から警察へ移動した。アメリカ流の、地方検察官を選挙で選ぶ公選制まで発想された。この頃、もはや検察の捜査権など風前の灯火だったといっていい。
そこに一筋の光明が差す。敗戦前日の8月14日の閣議(鈴木貫太郎内閣)で決まった、軍が保有する物資の処分に際して、一部が何ものかによって隠され、着服や横流しが行われているという「隠退蔵物資事件」である。その総額は当時の国家予算の約4倍と推測されるほど膨大で、摘発が各地で始まった。その捜査部が東京地検に置かれたのである。
1948年に起きた「昭和電工事件」は大物政治家逮捕に至る大事件となったが、隠退蔵物資事件捜査部も、この汚職事件に隠退蔵物資も関わっている可能性があるとして捜査に加わった。いわば警視庁(東京都警察本部)の助っ人だったのに、GHQはなぜか途中から、あれほど嫌っていた検察捜査を指示してきた。この理由はいまだ昭和史の謎である。こうして、晴れて「政治家の事件のような事案を独自捜査する部署」として日の目を見た捜査部は、1949年に東京地方検察庁特別捜査部と改称し現在に至る。
2010年1月現在、特捜部があるのは東京・大阪・名古屋の3地検。他の地検にもそれに準じた特別刑事部がある。規模は東京地検特捜部が一番大きいものの、人数は検察官約40人と以外と小さい。その役割は、アメリカの連邦捜査局(FBI)とやや似通っている。ただしFBIが行う凶悪犯罪事件を特捜はまず扱わない点や、特捜には起訴権がある半面で、FBIにはないなど違いも多くある。









