予算案の審議
2011年1月、通常国会(常会)が始まった。毎年のことながら、当国会前半最大の山場は予算案である。具体的には「一般会計の使い道」をまとめた予算案と、その執行に必要な法改正(予算関連法案)などを国会で審議して成立させ、次年度(2011年4月1日から12年3月31日)に執行する。
予算案は憲法86条の
内閣は、毎会計年度の予算を作成し、国会に提出して、その審議を受け議決を経なければならない
に基づき「内閣」が「作成」する。これまでの慣例では、「内閣」の経理担当である財務省の主計局が中心となって、前年8月頃から、各省庁からあがってくる要望を査定して原案を作る。その後、最終的には各省の大臣まで要望を聞くなどして内容を固め、首相が主催する大臣の会議(閣議)で「これで行こう」と了承を得、「政府案」として前年度末まとまる。それが「審議」され、「国会」つまり衆議院と参議院の可決という「議決を経」て、日の目を見るのである。
もし予算がまとまらなかったら「暫定予算」が緊急避難的に組まれるので、「4月1日から何もできない」という事態には陥らない。しかしこれだと必要経費など最低限をカバーするだけなので、新年度予算に盛り込んだ新たな試みなどは反映できない。
予算は国民の生活を直撃するので憲法でも重視している。まず政権選択の府である衆議院から、必ず審議に入るよう定めている。他の法律の多くは参議院から先に審議しても構わない。だが、予算もそうすると参議院否決=国会の否決となり、衆議院の意見が決まれないままとなるので予算では許されない。
また衆議院で可決した後に参議院で否決されても、最終的に衆議院の議決=国会の議決となる。また参議院の審議が長引いても、30日後には衆議院の議決で自然成立する。現在、政府を支える(=与する)「与党」民主党は衆議院で過半数を制しているため、衆議院本会議で2月末ごろまでに可決してしまえば、党内で造反でも起きない限り政府案は国会を通過するし、暫定予算を組む必要もない。
では安心なのかというと、そうもいかない問題がある。最大の懸案は38兆2000億円の赤字国債の発行を認めてもらう、特例公債法案の行方だ。
そもそも2011年度予算政府案は、40%以上を赤字国債つまり借金に頼るといういびつな形である。それを含む特例公債法案は予算関連法案で、予算案ではない。通常の法律と同じ扱いとなる。すると、野党(政府を構成しない政党)が過半数を握る参議院が否決する可能性がある。その場合に衆議院で再可決して成立させるには、出席議員の3分の2の賛成が必要となるのだが、民主党などの与党およびそれに賛成するとみられる無所属議員などを含めても及ばない。すると予算案は成立しても、財源の40%が手当てできないという異常事態が生じる。使い道は決まってもカネがないとなるのだ。
あまり強調されていない事実として、赤字国債は基本的に違法という問題がある。財政法という「国の予算その他財政の基本に関して」定めた法律の4条に
国の歳出は、公債又は借入金以外の歳入を以て、その財源としなければならない
とあるからだ。したがって特例、すなわち「財政法では禁止だけどいろいろ理由があるので許してね」という法律を通さなければならない。近年何度も何度も特例が続いている。しかし日本語として、本来「続く特例」というのはおかしい。野党が反対する理はある。もっとも本気で否決してしまうと、国民生活に甚大な影響が及ぶのもまた事実だ。
もっと基本的な態度として、予算案自体の修正を図るべきとの議論もある。どうせ予算案は憲法の規定で通ってしまうのだから、関連法案という裏口から切り崩してやろうというのを卑怯といえばいえる。上記に挙げた憲法86条の規定は、内閣に予算作成を命じていると同時に国会審議による議決も求めている。与野党ともに国会議員なのだから、政府案そのものの修正を丁々発止議論すればいい。憲法が本来求めている姿でもある。
ところが現実にそうもいかない事情がある。そもそも政治とはせんじ詰めれば
どこからかカネを集めてどこかへ使う作用
だ。「どこかへ使う」が予算案だ。言い換えれば予算案とは、政府・与党の政治的パワーの源なのだ。その権限を巡って総選挙をしているといっても過言ではない。実際に予算案が修正(微修正を除く)されたケースはほとんどないのだ。
しかし2大政党制が定着し、衆参の「ねじれ」が常態化する可能性が当面高い以上、この慣例もそろそろ見直すべきだろう。だいたい政府案が成立するまでの過程は主に官僚が、もっといえば財務省主計局が事実上の権限を握っている。予算書は「日本一厳しい校閲を受けている」といわれるぐらい精密に組み上げられる。だから国会で少しでも修正すれば、あちこち食い違いが玉突きのように現れて収拾がつかなくなり、提案者の内閣の体面に関わる「混乱」が生じる可能性が十分あるのは否めない。しかしそうした「混乱」こそ、民主党が総選挙で訴えて支持された「政治主導」とも言い得るはずである。









