飯島輝華 (いいじまてるか)
- 第31期生
──[大学・学部を選んだ〈理由〉] AO対策講座で気づいた、本当に進みたい道
3歳のころから日舞をやっていて、今は芸名を許された名取です。大学では舞踊家として文化教育を推進するための勉強をしようと思い、高校でも私立文系コースで学んでいました。でも、「何か違うな……」という思いがずっとあった。実は理系の方が好きだし、教育自体にそこまで興味があるのか、我ながら疑問。悩んでいたとき、早稲田塾のスタッフに勧められて、AO・推薦入試特別講座「慶應義塾大学 SFC・法学部FIT対策編」を受講しました。
SFCの存在は、自宅から近いこともあり知っていたのですが、受験対象としては見ていなかった。受講をきっかけに、「ここなら様々な視点から複合的な勉強ができるかも。受験してみよう!」と。父が建築家で、その姿に憧れていたこともあり、「建築家になりたい」という目標もできました。
──[私の〈受験ストーリー〉 ] 初めて経験した挫折
SFCのAOにはⅠ期とⅡ期があり、Ⅰ期は二次で結果が出せなかった。今まで大きな挫折がなかったので、自分の全部を否定されてしまったようで、落ち込みました。でも、まだⅡ期もあるし、一般もある。頑張ろう! と思い直し、自分を信じてひたすら前に進みました。

──[私を支えてくれた〈先生〉] 舞踊と建築をつなぐキーワードを発見!
Ⅱ期の出願前に塾で面接をしたとき、講師に聞かれたんです。「君にとって、舞踊家の夢は何%くらいなの?」。「80%です」と答えたら「そのブレが面接で伝わったんだよ」と指摘を受けました。Ⅰ期のときは、まだどんな建築家になりたいのか、具体的なビジョンを持っていなかった。子どもの頃から舞踊家になりたいと思っていたので、その道を捨てるべきなのか、悩みがあったんです。
建築と舞踊――。この2つの夢を結びつけるキーワードが、「劇場」でした。それに気づいたのも、講師の指摘がきっかけ。私が「こんな建物を設計したい」と持っていく作品の中に、劇場が多かった。「私がやりたいのは、劇場の設計なんだ!」と気づかされてからは、ひたすら志望理由書を書き直す日々。寝る間も惜しんで、何度書き直したか覚えていないくらい。毎回、講師やスタッフに、読んでいただきました。その結果、Ⅰ期とは全く違うものができ上がりました。
──[オリジナルの〈勉強法〉] 面接練習は録音してチェック!
一次の合格が出てからは、面接対策とプレゼンシート作りに追われました。面接の練習では、自分の受け答えを録音し、ちゃんと答えられなかったところ、話がそれてしまったところなどを聞き直してチェック。次回の参考にしました。
プレゼンシートはデザイン性も問われるので、クレヨンを使ってカラフルにし、絵を描いたり写真を貼ったり、「華やかにわかりやすく」を心がけた。和風な要素など舞踊家をイメージさせるものは、あえて排除。建築家になりたい、という思いがしっかりと伝わるように、講師から何度もダメだしを受けながら必死で作業を続け、完成に向かいました。

──[後輩に〈ひと言〉] 自分が納得した言葉で伝えよう
文章も面接での発言も、自分自身がその言葉に納得して自信を持っていないと、相手に伝わりません。「本当にこれでいいのか?」と自分に問いかけて、答えを出した上で臨んでください。
面接は、舞台の公演と同じ。すべての力を出し切る勢いでいきましょう。後で振り返ったときに、「今ではもうできないな」と思えるくらい、一生懸命に!
──[将来の〈夢〉] 観客を非日常の世界に導く劇場を
周囲の環境とは異質の、非日常の世界を生み出すような劇場を造りたい。自分が舞台に立ち、一番踊りやすかったのは、歌舞伎座。残念ながら建て替えが決まっていますが、将来、自分の造った劇場が歴史に残ったら嬉しいな。1級建築士になるためには、大学院で2年間学ぶ必要がありますが、常に初心を忘れずに歩んでいきます。
私の「湘南学園高校自慢」
特徴的な授業に「フィールドワーク」があります。いろいろな仕事の現場に行き、そこで取材をする。私は北朝鮮問題に興味があったので、NHKや朝鮮人学校にアポイントを取り、インタビューにうかがいました。
また行事が盛んで、「学園祭」「体育祭」「合唱コンクール」が三大行事。合唱コンクールはクラス対抗で、鎌倉芸術館という大きなホールを借り切って行います。
私の「慶應義塾大学 環境情報学部 現役合格アイテム」
お守り三つ
湯島天神のお守り三つ。まず、家族で参拝したときのもの。Ⅰ期とⅡ期、それぞれの試験前にいただきに行きました。もうひとつは後輩からもらったもので、この三つをひとつに結び、何かあると握り締めたり、ポケットに入れたりして心の支えにしていました。
















