- 福元 健太郎 助教授
- 学習院大学
法学部 福元 健太郎(ふくもと・けんたろう)
1972年生まれ。東京大学法学部卒。所属学会は日本政治学会・日本比較政治学会・日本選挙学会・アメリカ政治学会。研究テーマは国会・政治参加・地方政治・日本外交。主な著書は『日本の国会政治』(東京大学出版会)、『代議士とカネ』(佐々木毅他編、共著、朝日選書)、『政治改革1800日の真実』(佐々木毅編、共著、講談社)ほか多数
身近なところに「政治」が見える時代

- 法学部と経済学部の教育研究棟。福本先生の研究室もここにある
2002年FIFAワールドカップサッカーの嵐のような熱狂がようやくおさまった。たしかに「百年に一度の日韓共催」だとしても、「まさかのJAPAN決勝リーグ進出」だとしても、日本でサッカーがそんなにメジャーなスポーツだったかしら?と思うほどお祭騒ぎの中で、ただでさえ現役高校生は時間が足りないのに、いまだに受験勉強のペースに狂いを生じたままの塾生もいるのではないだろうか。
度重なる政治家・公務員・一流企業経営陣の不祥事が発覚する中、昨今のニッポンの政治に対する不信感・無関心が国民に定着しつつあり、主権者であるはずの国民と政治との距離感がますます広がってしまっている。ワールドカップにおける、空しいほどの国民の熱狂の背景には、こうした閉塞感の漂うニッポンの政治に対する現実逃避といった一面もあるのかもしれない。
学習院大学・法学部の福元健太郎先生は、テニス・合気道をたしなむスポーツマンでもあり、ワールドカップサッカーの話題からインタビューはスタートした。この異常なほど盛り上がったワールドカップサッカーをはじめ、実は我々の身近なところに「政治」が見えるはずだという福元先生。
大学で「政治学」を学ぶ意味

- 通称「ピラミッド校舎」。700人収容できる、高さ25m、幅が30m四方の校舎
「なぜワールドカップは盛り上がったのか?これは政治学的な問いでもあるのです。なぜ日本人はワールドカップ日本戦で特別興奮するのか?より強い国のチームを応援するほうが合理的なのに、なぜ自分の国には実力が劣っていても賭けるのか?これらは経済学的には説明できないでしょう。これこそが、政治学で勉強する『ナショナリズム』の問題なのです。そう、意外と政治とは身近にあるものなのですよ。たとえば、クラスでどうやって学級委員を選ぶか?学級委員はなぜ他の生徒よりも権限があるのか?なぜ親や先生の言うことに高校生は従うのか?これらは政治学で学ぶ『権力』の問題に直結します」
大学で学ぶ政治学は、いま皆さんが高校で勉強している「政治経済」とはイメージが全く異なる。
「大学受験科目としての政経では特に『○○はこういうふうになっています』『××ではこういうことをしています』などと一問一答で答えを教えられますが、実は本来の政治学に答えなどなかなか見つけられないですよ」
ズバリ正解などなかなかないが、この21世紀の現代社会に生きていて解決しないでは済まされないことや問題になっている様々なことを対象に、七転八倒することの方が大学で政治学を学ぶことの実態に近いらしい。
たとえば2001年9月におこった米国同時多発テロ事件。その後の米国のアフガニスタンに対する攻撃が果たして本当に正しいかどうかという問題を考えるのに、今はっきりとした基準が確定しているわけではない。米国の立場から考えれば、米国が正しいかもしれないし、イスラム原理主義者たちの立場から考えれば、まったく違う見方だって可能なのだ。テレビ・新聞やインターネットをはじめ、溢れるほど情報過多の日本のマスコミ状況ですら、世界中の客観的な動向が公平に伝えられていることなどないことを知っておいた方が良い。
「政治学で取り扱う問題は、いろいろな切り口・見方によって様々な答えが出てきてしまいます。だからこそ、親や先生の引いてくれるレールの上を、社会の安定コースに沿って生きていきたい人には、政治学は向かないかもしれません。政治学を学ぶことは、決まったコースを歩けばいいというような楽なものではありません。対テロ戦争の例でいえば、アメリカの立場にもタリバンの立場にも染まり切らない強固な精神力を要するのです。しかし、それを楽しめるような自立心旺盛な学生にとっては、政治学は非常に面白い世界と充実した人生を保証してくれるかもしれません」
「立場」に左右されず「決断」のオプションを広げよう

- 正門が作られたのは、明治41年。「學習院大學」と書かれた門標は、昭和36年に取り付けられた
誰でも人は常に決断をして生きている。「お昼に何を食べるか」というような単純なことから「仕事でどのようなビジネス行動をとればいいのか」「選挙で誰に投票しようか」といったことまで、人々は実に幅広いことを日々決断して生きている。そしてその決断の仕方も様々だ。「親に言われたから」「高校生だから」「先生が正しいというから」「TVニュースキャスターがそう言っていたから」「上司に指示されたから」「女性だから」といったような理由で、その決断をする人たちのほとんどは、それぞれの立場のままにしたがって他律的に生きている人たちである。
「他にオプションは本当にないのか?なぜそのような決断をしなければならないのかといったことを、もう一度よく考えないような人は政治学には向かないでしょうね」。福元先生によれば、「政治学を学ぶということは、日々の決断においてオプションを広げること」だという。
つまり、会社で上司に違法行為を命じられたとき、単に部下という自分の立場に従って行動を決断するならば、たとえ自分が社会的に罰せられるかもしれない危険を負ってでも忠実にその命令に従わなくてはならない。
しかし、政治学を勉強し、何が問題かを常に考え、そして自分にとって何が正しいのかを常に考えて生きている人は、他の二つのオプションに気づくはずだ。その一つは、上司に間違っていると諌言すること。そしてもう一つは、そのどちらもできないならば会社を辞職することである。これだけで、ただ一つのオプションから三つのオプションに広がったことになる。
力強く生きるにはビジョンを持って「決断」を
都会そして若者を中心にこれだけ自由の謳歌が市民権を得たはずのニッポンだが、先進諸国の中では例外的なほど選ぶべきオプションが狭い。そのニッポン的帰結として、殺され自殺するくらいならレールからはずれてみるというオプションも知らぬまま、不徳上司や悪辣同級生の言いなりになったまま、まさに死ぬまで通勤・通学するといった悲劇がいつまでも繰り返されてしまう。
「たくさんあるオプションの中から、どれを選ぶのかはあなた自身が考え抜いて決断することです。そして、その決断にはあなた自身のはっきりとしたビジョンがあるべきです」と福元先生は強調する。ふとしたときでも、あなたは「なぜ自分は今ここでこういうことをしているのか」をいつも意識するように心がけることで、『政治的』確信をもって力強く生きていくことができる。
非政治的で、あまり刺激的な情報に左右されずに迷いのない生活をするアジア的人生観を否定するわけではない。しかし、きちんと自分で考えて決断して生きていない人は、「なぜ今こんなことをしなくてはならないのか」と自分を失いがちであり、結局、仕事にしても勉強にしても類型化された退屈な人生パターンしか過ごせない。かつてのような、お気楽サラリーマンやOLたち、税金垂れ流しの公共事業依存企業の居場所が許されなくなりつつあるのだ。
戦後高度成長期には、指示待ちの他律的な人たちも社会的に有用な存在として許容されてきたが、そんな「幸せな時代」はもう帰って来ない。そうした「非政治的」な人たちは大学に入っても社会人になっても、漠然とした不安に襲われ続ける可能性が高い。なぜ受験をするのか?
なぜ大学に行くのか?なぜいま自分はこんな仕事をしているのか?ほかにオプションはないのだろうか?一つひとつ自分自身で考え抜いて決断しなければ、人生を勇気凛々信じて歩むことがますますできなくなりつつある。もはや、自身では何も選択せずに先生・上司・親など誰かに従っていれば、たいがい安逸なマイホーム生活が保証されるような時代ではない。そしてもはや、主流と違ったオプションを選んだからといって問答無用に抹殺される時代でもないのだ。
ここまで述べてきたナショナリズムや権力という二つのテーマは、実は政治学で取り上げるべき主要な基本問題だと福元先生は考えている。社会問題の本当に多くの部分に、この二つの要素が絡み合っているというのだ。
「上司に違法行為を命じられるという例は、上司の持っている権力の問題です。教師の言うことを生徒が聞く、これにも権力が絡んでいます。このように、世の中の構造がどうなっているのかということが見極められる人間は、どこからが命令で、どこからが自分の判断に任せられているのかがわかるはずなのです」。 たとえば、学校における先生と生徒の関係。生徒の在学中は当然先生に権力があるわけだが、卒業してしまえばその権力で基礎づけられていた関係は終わる。つまり、その先の関係は対等な友人同士となる。
親と子ども、生徒と教師、夫婦関係、政府と民間。ほとんどの社会的・政治的な立場はこのように権力によって作られた上下・主従関係から生まれる。このように、多くの立場は権力関係で基礎づけられるが、しかし、それ以上でもそれ以下でもない。政治の仕組みを学ぶことで、あなたの人生における一瞬一瞬のオプションは広がり、説得力を増していくだろう。
「上司に違法行為を命じられる先ほどの例でも、その立場に逆らって行動をするということは決して楽ではありませんよね。しかし立場に従うのなら、どこからどこまで命令を聞かなくてはならないのか、権力を学ぶことではっきりしてきます。上司と部下という仕事関係において上司に権力があるだけなら、プライベートのことにはたとえ上司の言うことでも従わなくていい。そこにあなたが従わなければならない必要はないわけです」
世の中の人はどのように権力を扱っているのか、自分はどのように権力を扱い、どのようにナショナリズムに対処していけばいいのか――先の見えない21世紀を迎えて無数の難題を抱える現代政治学だが、ここまでの政治学ガイダンスに興味の湧いた人は、福元先生らが日々研究を重ねている「立場」を越えた「自分」流の「新しい政治学」を学ぶことに向いているといえるだろう。
こんな生徒に来てほしい
政治学に限らず、学問習得で伸びていくには、他人が思いつかないようなことを考えることが必要です。いろいろな情報・常識を一度は疑ってみて、さらに納得したうえで改めて信じることができる人。まず、社会問題・権力問題などに関心のある人。そして、政治のようにルールの当てはまらない部分を解決していくことに面白さを見出せる人。さらに、人間のいろいろな嫌な所・良い所を含めて全部見てやろうという好奇心の強い人。そんな学生にぜひ来てほしいですね。

