- 長谷川 寿一 教授
- 東京大学
大学院 総合文化研究科 広域科学専攻 生命環境科学系 認知行動科学大講座 長谷川 寿一(はせがわ・としかず)教授
1952年神奈川県生まれ。76年東京大学文学部心理学専修課程卒。84年に同大学院人文科学研究科心理学専攻単位取得退学。帝京大学文学部助教授をへて現職。専門は行動生態学・進化心理学。著作は『進化と人間行動』(東京大学出版会)『はじめて出会う心理学』(有斐閣アルマ)など多数。
チンパンジーに最も近いのは・・・

- 25年前に先生がチンパンジーの研究をしていたころのスナップ。右に立つ女性は夫人の長谷川眞理子・早稲田大学教授
遺伝的にみれば、チンパンジーにもっとも近い生物はゴリラではなくヒトだという。そもそもヒトはほかの類人猿から独立して進化したわけではない。類人猿のグループからテナガザルやゴリラやチンパンジーが分かれ、最後に分岐したのがヒトだったに過ぎない。
「これまでヒトは特別の存在としてだけ捉えられてきました。しかし進化的視点で見直せば、ヒトも一介の生物なんです。だからこそ、人間の心や行動には進化の痕跡が数多く残っています」
ヒトが類人猿から進化したことを疑う日本の高校生はいないだろう。しかしヒトも動物の一員であり、ヒトの心理や行動に「進化」が強く関係しているとする長谷川先生のことばには驚くかもしれない。「本能だけで動く動物と人間とが似ているのか?」。そう不思議がる人もいるはずだ。
教育や社会・文化の影響、あるいは本人の学習によってヒトの心や行動は本能を超えどのようにも変わる――これが20世紀の人間観だった。このような考え方自体は間違っていない。しかし、99%の遺伝情報をチンパンジーと共有するという事実は「人間だけが特別」という価値観を揺さぶる。
「よく私はヒトを富士山に例えます。富士山は際立って高い崇高な独立峰で、ほかの山並みをひときわ引き離しているように見えますよね。しかし実際の富士山には広いすそ野があり、周囲の山々とつながっています。そうした周りの山並みやすそ野を研究することで、富士山をより深く理解できるようになると思うのです」
象の総合研究「ゾウオロジー」も進行中

- 長谷川研究室に愛想よく迎えてくれるアイドル犬の菊丸君
先生の研究のひとつの柱は動物研究である。チンパンジーの研究から始めて、クジャクの研究、さらに3年前からスリランカでの象研究も始まった。動物学を示す「ズーオロジー」をもじり「ゾウオロジー」と名付けられたプロジェクトは、長谷川先生をリーダーとしてさまざまな専門家が集い、象の総合研究ともいえる壮大な規模となっている。
インド象の血液や毛・フンからDNA情報を拾い出し、象の社会の仕組みを遺伝子から探る研究
上野動物園と協力して行なう象の心理学実験
象のコミュニケーションの研究
地域開発と象の保護の研究
あるいは発信機を付けて象の位置を把握し象の社会を研究する試みも計画されている。
「居場所を逐次知らせるGPSを組み込んだ発信機を象の1頭1頭に付けて、スリランカの携帯電話網にのせる計画を立てています。そのデータを東京に送れば、日本にいながらスリランカの象の動きを正確に追えるのです。水辺にどの象とどの象がいるとか、地域住民の集落にどれだけ近づいているとか、細かく情報を蓄積できるようになるはずです。このように象の社会を研究することが、ひいては人間の社会の基礎を説き明かすことにもつながっていくでしょう」
先生の研究のもうひとつの柱はヒト・人間そのものの研究だ。自閉症の人の顔の認知や赤ちゃんの数学や音楽研究など、これまで大きな実績を残してきた。
「赤ちゃんは大人と全然違って見えますよね。でも、赤ちゃんの能力は意外な形で大人の能力につながっていて、我々が気づいていなかった赤ちゃんの能力を見つけることもあります。そうした研究を積み重ねることで、大人の本当の能力をも理解できるようにもなるのです」
さらに文部科学省が選ぶ21世紀COEプログラム「心とことば」の拠点リーダーとして、「人間進化学」部門の研究も進めている。「言語の成立を可能にした前適応」を探ることで、ヒトがどうして「特別なチンパンジー」なのかを明らかにするという。人間研究の最重要拠点のひとつとして成果に大きな期待が集まっている。
現代社会の問題を解決すると得られる理解とは

- 長谷川寿一・長谷川眞理子 著 『進化と人間行動』(東京大学出版会)。「人間行動進化学」が高校生にもわかるように書かれている。目からウロコの事実も多く、生物という科目が好きでない人にもオススメ。
ヒトのすそ野は広い――と先生は何度も語ってくれた。雪をかぶった山頂だけではなく、その下にある生物としての共通の基盤の広がりにもっと目を向ければ、これまでと違ったヒトの姿が見えてくる。
「『ヒトは生物である』ことを理解すれば、もっと謙虚になれると思います。人間の傲慢さや誤りに気づけるようになるでしょう」と先生は説明してくれた。
たしかにヒトが地球で生きる生物の一員であるとわかれば、環境問題に対する考え方なども変わってくる。地下エネルギーをたった1種の生物が使い果たし、生態系を激変させる罪深さ。あるいは文化的には多様でも、遺伝的にはほとんど変わらない生物が戦争で殺し合うむなしさ。「生物としてのヒト」という視点は、現代社会の諸問題に対して「地に足の着いた」解決策を導き出すのかもしれない。
長谷川先生の研究に興味をもったら、東大の門をたたいて研究室を訪ねていこう。扉を開ければ、実験補助といやしを担当する白い犬・長谷川菊丸がみんなを迎えてくれる。先生の自宅からいっしょに出勤する菊丸は、長谷川研究室のホームページにもメンバーとして紹介されている。あらゆる訪問者を愛らしく迎える姿は、動物とヒトとが仲間であることを自然に教えてくれているようである。
こんな生徒に来てほしい
まず動物好きで、自然が好きで、好奇心のある人でしょう。それから何でも「なぜ?なぜ?」と問いかける人ですね。結局のところ、そこからしか研究は始まらないからです。疑問に思ったところから問題を見つけだし、研究の端緒になっていくのです。

