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Good Professor

岩田 修二

岩田 修二 教授
首都大学東京
大学院 都市環境学部 地理環境コース

岩田 修二(いわた しゅうじ)
1946年生まれ。76年に東京都立大学大学院・地理学博士課程退学。83年に理学博士号取得。ヒマラヤ・南極などで氷河地形の観測を続けるとともに、日本アルプスなどの環境保護の研究も続ける。81年に秩父宮記念学術賞を受賞。

主な著作に『山とつきあう』(岩波書店)、『ヒマラヤの環境誌』(八坂書房)など。

ブリザードのなかで氷河研究を心に決める

チベット高原北端、西崑崙山脈6900mの未踏峰(87年撮影)
チベット高原北端、西崑崙山脈6900mの未踏峰(87年撮影)

1969年2月、南米チリのパタゴニア、海抜2000~1500mに広がる広漠たる氷原はブリザードに見舞われていた。  

強い風と激しい雪がテントを埋めた。前進も後退もままならず、雪の下に穴を掘って天候の回復を待つ。外は数メートル先さえ見えない真っ白な世界に飲み込まれていた。 雪穴の入り口にも、容赦なく雪は降り積もっていく。入り口がふさがれたら、待つのは窒息死である。上に上にと入り口を掘り続けた。体力を温存しつつ待つしかない。1日、2日、3日……。天候は回復の気配さえみせない。降り積もる雪によって、外に通じる入り口はどんどん高くなっていった。雪穴の底から入り口までの高さが5mになったとき、やっとブリザードが弱まった。雪穴に避難して10日目のことだった。

これは岩田修二先生が23歳、まだ大学3年だったころの話である。

「この旅でチリからアルゼンチンに抜けるため、何日も何日も氷河を歩きました。つらいこともあったのに、明日で氷河とお別れだと思ったら、もう1日でもいいから氷河を歩きたいと思いましたね。そのとき、氷河の研究をしようと心に決めたのです」

写真で見る氷河は美しい。ブルーと白に彩られた氷河は、見ていて飽きない。そんな美しさに当時の岩田先生は魅せられたのかと思ったが、ちょっと違うらしい。  

「引きつけられたのは、『美しさ』ですが、実際に歩くと、必ずしも氷河はきれいではありませんでした。石ころがいっぱいあったり、汚れていたり。でも、そういうことを含めて『美しい』と思うのです。自然をダイレクトに認識できる『美しさ』でしょうか」

エベレスト初登頂映画に魅せられ、探険家を志す

南極セールロンダーネ山地の針峰群(91年撮影)
南極セールロンダーネ山地の針峰群(91年撮影)

何も知らずにお会いしていたら、先生が大学教授であると同時にアルピニストであり、探検家でもあるということに気づかなかったかもしれない。柔和な眼差し、穏やかな物腰。そこからは、生命を賭けて未踏の地を求める「野心」のようなものをほとんど感じさせないからだ。

しかしヒマラヤどころか南極にまで出向き、現地で氷河や永久凍土の調査を続けてきた経歴は並々ではない。それどころか56歳の現在でも、氷河が溶け出してできるヒマラヤの「氷河湖」で現地調査を続けているのだ。

「氷河が湖に崩れ落ちたり、水をせき止めている自然の堤防が崩れたりすると、下流で大水害が起こり、人々が死んでしまいます。そうした危険を予防するためにも、湖の現状を調べる必要があります。最近は、一年おきぐらいにブータンに行っていますね」  高校時代から冬の日本アルプスに登頂してきた「山男」は、しごく当たり前といった口調で語った。

先生の山への強い憧れはどこから来るものなのか、明確なことはわからない。ただ、先生の心を刺激した思い出は、小学校2~3年のときに母親と一緒に観たエベレスト(チョモランマ)初登頂の記録映画だそうだ。  「映画館のホールに登山用のテントやら寝袋が置いてありまして、それにえらく関心をもちました」

もちろん映画のワンシーンもハッキリ覚えているという。世界最高峰の頂上の手前にあるサウスコル。雪もあまりなく、強風が吹き荒れる映像に、「ここは死の匂いがする」というナレーションがかぶさっていた。

その後、中学・高校と登山部に所属して登山に熱中し、スウェン・ヘディンなどの登山家たちの探検記に胸を踊らせた。そして大学生になったころには、探検家として生きていきたいと本気で考えていたという。

「探検家になるためには、何でも食べるようにならないといけない。そう自分で決めて、かなりの偏食を直しました(笑)。『ヒマラヤに行くぞ』とか、『誰も行ってない所にいくぞ』とかね、毎日念仏のように唱えていました。それで自分を追い込んでいったのです。

「山」での人脈が学問との両立の救いに

南極セールロンダーネ山地で(85年1月)
南極セールロンダーネ山地で(85年1月)

しかし、探検の現実は厳しい。海外の山々や僻地に出かけると、数ヵ月は日本に戻って来られない生活。地理学には探検と同じぐらいの情熱を傾けたが、出席日数が足りない年は留年するしかなかった。また、氷河を研究している日本人など当時ほとんどいない時代でもあった。誰に聞いても、本格的な探検・登山と学問とは両立できないと言われる。そんな先生の救いは、「山」での人脈だったという。高校時代のクラブ仲間はもちろん、様々な大学の山岳部や探検部の学生とも山の情報交換を通じて友好を深めていった。そして学問においても「山」を愛する仲間は助け合った。大学院時代には、日本アルプスについて論文を書いていた仲間を集め、地理学の研究会まで作ってしまったという。その甲斐あって、当時の「山人脈」から何人もの研究者が生まれていった。

「人とのつながりで、いろいろな研究会に呼んでもらいました。それは非常に大きかったと思います。もうひとつ精神的にも大きかった。同じような研究をして大学院の卒業も迫っているのに、職がなくてフラフラしている(笑)。でも、同じような仲間がいるから、私もがんばれるってね」  

――でも、もう、さすがに未踏の地なんてなくなったのでは?  何気ない質問だった。これだけ交通手段が発展した現在なら、探検家のロマンをかきたてる未踏の地など地球上にはもうないのかとも思った。

「いえ、いまね、研究者が最も入りにくいのが、ミャンマーの北、チベットの東南部、このあたりです。近くまで行けますが、その場所に到着するのは非常に難しい」  研究室の本棚から地図帳を取り出し、"未踏の地"へのルートを指でなぞってくれた。そのとき、岩田先生の顔つきが変わった。その熱を帯びた眼に探検家魂が垣間見えたように思えた。  


――いつか行かれるのですか? 「はい、おそらく数ヵ月後には」と嬉しそうに答えてくれた。そこにいるのは、間違いなく現役の探検家だった。

こんな生徒に来てほしい

自然だけではなく、人間も含めて広く地域のことに関心があって、なおかつ自分のやりたいことがハッキリしている人ですね。そして何より行動力がある人。その行動力には、調査をしたら必ず記録を残すという意味の行動力も含まれます。私自身、記録をしっかり残すことで、様々な調査に呼ばれることになったのですから。

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