- 矢口 芳生 教授
- 東京農工大学
農業経済学研究室 やぐち・よしお
1952年栃木県生まれ。東京農工大学卒。東京大学大学院修了。国立国会図書館・調査および立法考査局をへて、98年東京農工大学に赴任。その後 琉球大学・埼玉大学・北海道大学大学院非常勤講師、農林水産統計観測審議会委員、食料・農業・農村政策審議会臨時委員などを歴任。04年より現職。主な著書として『地球は世界を養えるのか』(集英社)『WTO体制下の日本農業』(日本経済評論社)『共生農業システム成立の条件』(農林統計協会)などがある。趣味は映画・音楽鑑賞、利き酒、ぶらり旅。
矢口先生が主宰する「農業経済学研究室」のWebサイトアドレスはコチラ → http://www.tuat.ac.jp/~keizai/
地球上から飢餓を根絶するための「農業経済学」

- 夏の日の東京農工大学府中キャンパス
日本のコンビニエンスストアやスーパーマーケットにおいて賞味期限切れのため廃棄される食糧は毎日300万人分の食糧をまかなう量に相当するという。農林水産省が示す統計でも、“廃棄”として捨てられる食糧は年間60万トンを超える。
この飽食の国ニッポンではすさまじい量の食べ物が当たり前のように次々とゴミと化している。そして一方では、アフリカをはじめ途上国において8億余もの人々が飢餓スレスレの苦悩の日々を続けている現下の地球的現況において、これらは相当にショッキングな統計的事実ともいえよう。「地球より重い」はずの億万の人間生命の存亡と直結するこの巨大な不均衡・格差はなぜ起こり得るのだろうか?
このような地球規模の食糧不均衡問題や作物生産のあり方の問題点などをきちんと見極め、安定的な食糧供給や持続可能な農業のためにどのような政策を採るべきなのか? また食生活を含む生活環境の向上のために何が必要なのか? それらの難課題に真っ正面から立ち向かう学問こそが「農業経済学」だ。今回登壇願う東京農工大学の矢口芳生先生は、まさにこの農業経済学の立場から、世界がいま直面している食糧分配の不均衡問題について明快な回答を引き出してくれる。
「まず、食料の需要と供給を調整する国際機関がないということが挙げられます。そんなはずはないと驚かれるかもしれませんね。たしかにWFP(国連世界食糧計画)のように食糧の“援助”をする機関はありますが、それは強制力をもつ存在ではありません」
「少し残酷な言い方になりますが、豊かな国・先進国において食糧が余ったときコスト面でいちばん楽なのは食糧を焼却処分してしまうことなのです。飢餓に苦しむ途上諸国に余った食糧を運ぶにも運搬コストが必要になってしまいますからね。しかし、食べ物を燃やすなんてことは人道的にも許されることではない。余ったのなら足りないところに回そう――そういう視点に立脚して発足したのがWFPなのです」
たしかにWFPはれっきとした食糧援助機関ではある。しかし「食糧格差」を是正するための機関ではない。そうした調整機能と権限をもつ国際機関は21世紀初頭の今もまだ存在しない。ならば、自国の食糧を自らの手で各自まかなえば良いのではないかという考えが浮かぶかもしれないが、そう簡単な話ではない。
「途上国の大半はいまだ有効な食糧生産の術を十分に知り得ていないといえます。途上国が農業をしていないというわけではありません。たとえば輸出品目のコーヒーを作ることはできても、コーヒーを作ることによって他の作物を作るだけの余裕が失われてしまっています。コーヒーを売れば外貨を得ることはできますが、気候変動などによる不安定価格のせいもあって、突然に下落・暴落して低価格でしか取引されないことも起こり得る。そうなると、経済構造として基本的食糧が国内自給できていない途上国では直接的に壊滅的飢餓につながってしまうのです。そのうえこれらの途上国は人口の爆発的増加も続いているのです」
「ニッポン食糧危機」惹起する4つのシナリオ

- 農工大キャンパス内には新緑のアーチも
いつでもどこでも好きなだけ食べ物が手に入るニッポン的現状を考えれば、日本国民にとって食糧不足への不安など縁遠いかもしれない。しかし将来の日本の可能性として食糧危機は十分に起こり得る――そう語る矢口先生は、上記のような食糧生産が人口増加に追いつかない「マルサス的危機」のほか、以下の4つの可能性をあげる。
1) 偶発的な危機……港湾ストなどで食糧輸入のルートが絶たれてしまうケース
2) 循環的な危機……エルニーニョなど循環的気象条件の異常による不作のケース
3) 政治的な危機……食糧供給国による制裁措置などで輸入が制限されるケース
そして、矢口先生が新たな第4の危機として位置付けるのが「放射能汚染による危機」という最悪のケースだ。
「できることなら私もこんな可能性は考えたくないのですが、現実問題として想定しないわけにもいきません。チェルノブイリの原発事故は86年に発生してからだいぶ経ちますが、いまだにウクライナの現地の農業作物は甚大な影響をこうむっています」
世界屈指の地震大国でありながら、エネルギー源の原発依存度が日本ほど高い先進国はない。大地震やテロによる原発そのものの破壊、あるいはチェルノブイリ級の放射能汚染事故が発生した場合、狭い国土において農業と食糧の壊滅的危機が現実のものになる万一の可能性を否定する蛮勇はむしろ現実的ではない。
「そのときパニックに陥らないためには、安定した食料の備蓄などの対策がどうしても必要となります」
日本国内の食糧確保を安定させること――じつは、そのこと自体が他の途上国などの食糧の安定とも無縁ではないとも矢口先生は語る。
去る93年の日本において、冷夏と長雨・台風さらには日照時間の少なさにより米の大凶作が起こった。日本政府は国内の不足分を緊急輸入によって切り盛りしようとしたが、その時点でごくわずかの備蓄ストックしかなかったため、タイ米などの輸入量は膨大となった。大量の米が突然求められたバンコクの米相場は一気に急上昇。結果的に、途上国の人々の食卓にまわるはずのお米は姿を消した。いつもならアフリカなど途上国が輸入するはずの米はカネに明かして日本に奪われてしまった。そして高騰した米価格に手の出ない途上国の飢餓レベルが通年より悪化――こうした悲惨な事態が日本の凶作を機に引き起こされてしまった。
資本主義的ルールで「食の安全」は守れない
この失敗を繰り返さないためにも、日本国内で一定程度の自給と安定した食料備蓄をしなければならないと矢口先生は訴える。いま最も憂慮すべきなのは、世界的なグローバリズム潮流のなか「食の現場」においても商品経済が浸透し切っていることだという。
現在のWTO(世界貿易機関)体制下における自由貿易の旗印のもと、諸外国から食品・作物が低い関税で日本に大量に輸入される時代となった。その結果、国内の農水産業の生産物よりも数段安い輸入食物が店頭に広く並ぶようになった。
たしかに消費者にとって安さは魅力的だ。農業生産物でも工業生産物でも同じものが手に入るのなら安いほうが良いに決まっている。そうなると安い輸入食品に対抗するために国内の農業生産者は同じように価格を下げざるを得ない。その結果、コストを切り詰めてつくることを余儀なくされる。
「工業製品ならば、コストを切り詰めることは資本主義経済体制のおいて当然といえるかもしれません。しかし、人間の口の中に入れる食べ物についてまで工業製品と同じように効率や合理性だけを優先させることに私は反対です。『安いものはいい』という商品経済の図式を農業や食品生産に当てはめるのはとても危険なことなのです」
低コストを優先させた食べ物づくりという一面的な体系は、日本人の生命と生活の将来に暗い影を及ぼしかねない。安全な食べ物をつくるにはある程度のコストがかかること――そのことを一般国民・消費者にきちんと理解してもらうことが大事なのだ。自国内における農水産業振興と食糧自給について「防衛施策」として伝統的にきちんと議論される欧米先進国とくらべると、日本のそれはお寒いレベルというのが実情だ。
それでも最近ようやく「食」に対する一般的関心は徐々に高まり、「地産地消」のシステムが見直され始めている。もはや一般的な経済学における「需要と供給」というモノサシだけで食品生産や農業について語ることは時代遅れとも言える。世代を超えた自国民の健康や環境への影響とその展望という視点がますます必要となるだろう。
私たちにとっていちばん身近で重要な「食」を考える農業経済学。貿易自由化やグローバリゼーションという時代潮流のなか「食の安全」が緊急的課題として顕在化・政治化しつつある。逆にいえば、だからこそ学び甲斐のある研究分野ともいえよう。
こんな生徒に来てほしい
問題意識をもち、それを自分で解決するくらいの気持ちで研究にあたることができる元気な学生さんが理想です。学問的基礎は大学に入ってからでも十分に磨けます。まずは若者らしい元気さが第一に必要だと思いますよ。









